ダンジョンマスター
その静寂を破ったのは、場違いなほど控えめな声だった。
「……あ、あの。失礼します」
全員の視線が一斉に振り向く。
鉄格子の向こう——薄闇の中に、黒髪が肩にかかるほど伸び放題になった青年が立っていた。
驚いたような、けれどどこか希望を帯びた目で、こちらを見つめている。
「私は……このダンジョンのマスターの、健太と申します。
と言っても……つい先ほど、記憶を取り戻したばかりなのですが……」
ぎこちなく頭を下げ、そして言葉を続けた。
「大変申し訳ないのですが……その、檻から……出していただけませんでしょうか?」
その瞬間——ハルたちは、はっと息を呑んだ。
(そういえば……いた!!)
アザルとの戦闘で気を張り詰めていたせいか、誰もが完全に忘れていた存在。
ずっと、部屋の隅の鉄格子の中に閉じ込められていた“ダンジョンマスター”。
「す、すまぬ! 今すぐ開けるでござる!」
クロが一番に駆け出した。
続いてアオミネ、リュカ、サイル、ロザも急いで鉄格子へ向かう。
アオミネが鍵穴を見つけ、剣の柄でこじ開けようとし——
「待ってください、刃が傷つきます!」
リュカが横からすっと手を伸ばした。
そして、どこか誇らしげに胸を張り、
「ここは俺の怪力で、なんとかしますので!」
というと、サイルはサイルで、眉ひとつ動かさず言った。
「違います。そこの魔力式は不用意に触ると危険です。まずは順番に、段取りを踏みましょう」
その冷静な制止と同時に、リュカが「いや僕が!」と押し出てきて、
アオミネはアオミネで「なら俺が斬る方が早ぇ!」と剣を構え、
クロは「拙者の体当たりで充分でござる!」と跳ね回る。
あっという間に、統一感ゼロの大騒ぎになった。
鉄格子の向こうで、健太はぽかんと目を丸くする。
「……あの、本当に、すみません……助かります……」
恐る恐る口を開きながらも、その声は少しだけ震えていた。
けれどその顔には——やっと孤独という檻から解放された者の、ほっとした微笑みがしっかりと浮かんでいるようだった。
その微笑みを見た瞬間、誰も何も言わなかった。
ただ、“まずは休ませてやろう”という想いだけが、自然と全員の間に流れた。
サイルが体調確認をしている間に、ハルがそっとポシェットからタライを取り出し、
ロザが魔法で清らかな水を張る。
リュカは手をかざし、じんわりと湯気が立ちのぼるほどに温めた。
「どうぞ」
ロザが微笑むと、健太は戸惑いながらもタライへ足を入れた。
誰かと視線を合わせるのも久しぶりなのだろう。
けれど湯に浸かった瞬間、肩の力がほろほろと抜けていくのが見て取れた。
しばらくして湯から上がると、
カイルとハルが風魔法と布を使って丁寧に身体と髪を乾かしていく。
その間に、ロザが小さな鍋を取り出し、持ち込んだ食材で温かなスープを作り始めた。
香りが広がり、蒸気が立ちのぼる。
それを健太の前に差し出すと——
健太は両手でそっと椀を受け取って、ひとくち啜った。
「……おいしい」
小さく呟いた声は、震えていた。
瞳の奥に涙が滲み、それが静かにこぼれそうになる。
その様子を見て、
リュカが口を閉じたまま照れくさそうに目を逸らし、
サイルは眼鏡越しにふっと優しく表情を緩め、
アオミネは腕を組んだまま辺りを見ないふりをし、
クロはぽよんと跳ねて健太の近くに寄った。
そして全員が、どこか同じように——
気持ちを通わせた者たちの微笑みを浮かべた。
その空気の中で、カイルがそっと健太のそばに腰を下ろした。
穏やかな声で、押しつけにならない距離を保ちながら言う。
「……話せるようになってからでいい。
ゆっくりでいいんだ。
話してくれたら、何か力になれるかもしれないからな」
その横で、ハルがぱっと柔らかい笑顔をつくった。
両手を胸の前で軽く合わせ、小さく前に差し出す。
「無理は……無理はしなくていいですからね。
ゆっくりで大丈夫です」
健太は、しばらく視線を落としたまま、
湯気の消えた椀を両手で包み込んでいた。
その指が、ほんのわずかに震える。
やがて、そっとスプーンを置き、深く息を吸い込む。
「……ごちそうさまでした」
その言葉は、食事のお礼と、
“話す覚悟”のどちらも含んでいるようだった。
健太は、皆の顔を順に見回し、静かに口を開く。
「もう……ご存知かもしれませんが」
声は弱いが、それでも前に進もうとする意志があった。
「僕は、こことは違う世界。
“地球”という星の、“日本”という国から来た者です」
リュカが息を呑み、サイルが眼鏡の奥で目を細める。
「仲の良い四人で……山登りをしていて。
ほんとうに普通の一日だったんです。
楽しくて、笑ってて……
なのに、突然ここに連れてこられてしまって」
健太の視線が、遠い記憶の向こうを見つめる。
「気がついたら……四人とも、このダンジョンの中にいました。
どう足掻いても出られなくて……
それでも帰る方法を探して……」
そこで、言葉は一度途切れた。
だが、ゆっくりと顔を上げたその目には、
“思い出すことを選んだ”強さが宿っていた。
——こうして、健太の話が始まった。
ツムギの物語は水曜日と土曜日、ハルの物語は月曜日と金曜日の23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
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