帰るべき場所へ
「……できた!」
「おう、できたな!」
カイルとハルの声が重なり、部屋の空気が一気に明るくなる。
長い時間をかけ、ついに――“守り石”が完成したのだ。
机の上には、淡い光を放つ四つの石。
ひとつはチビハルのために。
ふたつは、元の時代へ帰るための導きとして。
そして最後のひとつは、カイルが元の時間軸に戻るためのものだ。
「やったね、父さん!」
「おう!」
ハルが両手で石を包み、カイルもその上から手を重ねる。
石のぬくもりが指先を通じて伝わり、ふたりの笑顔が重なった。
長かった作業の日々が、ようやく終わった。
静まり返った部屋の中に、守り石の光だけが穏やかに脈打っている。
その明滅を見つめながら、ハルの胸にひとつの思いがこみ上げた。
――これで、やっと帰れる。
「父さん、すぐにでも元の時代に戻ろう!」
ハルの声には、弾むような期待が宿っていた。
だがカイルは、ふっと笑って首を振った。
「少しだけ待っててくれ。やることがある。チビハルのポシェットにこれを仕込んで――それから、みんなに挨拶してくる」
「……そうだよね」
ハルは照れくさそうに笑い、後頭部をかいた。
「つい、気持ちが焦っちゃって」
「気持ちはわかるぞ」
カイルは笑いながら、優しくハルの肩を叩いた。
「一緒にアザルを倒す訓練もしてきたしな。――早く試してみたいよな」
「うん……それにしても、草や花にも記憶があるなんて思わなかったよ」
ハルは少しだけ俯き、静かに言葉を続ける。
「なんか申し訳ない気がして、あれ以上はちょっとできなかった」
「そうだな」
カイルの声が少しだけ低くなる。
「ありゃあ、危うい技だ。やり方は単純だし、風魔法を扱える者なら練習すれば誰でも真似できる。……公にするのは、やっぱりやめておいた方が無難だよな」
ハルは小さく頷き、目を伏せた。
「ほんとだよね。……一定時間で戻るとはいえ、もし誰かが意図的に記憶を消したままにできたら、取り返しがつかない。悪用もできるし」
しばしの沈黙。
それを破ったのは、カイルの穏やかな声だった。
「にしても――そのアザルってやつ、人から記憶を奪っていたんだろ?
ハル、お前が吸い取ったあの記憶……持ち主に、ちゃんと戻ってるといいな」
ハルはゆっくり顔を上げる。
「……うん。きっと、戻ってると思う」
窓の外では、夜明け前の淡い光が差し始めていた。
新しい朝が、静かにふたりの作業部屋を包み込む。
完成した四つの守り石が、柔らかな光を返した。
それからの数日間、カイルは別れの挨拶を済ませ、旅立ちの支度を整えていった。
ハルもまた、アザルとの再戦に備えて戦略を練りながら、少しずつ心の整理をつけていく。
POTENの皆を遠くから見つめ、作業に励むツムギやナギたちの姿を胸に焼きつけた。
街の路地では、リュカやロザ、サイル、アオミネ、そしてクロたちの声がいつもと変わらぬ調子で響いていた。
誰にも気づかれぬよう、物陰から静かにその日常を見送りながら――ハルは、ひとり心の中で別れを告げた。
そして、忘れ谷へ向かう日の朝が来た。
数か月のあいだお世話になった宿の親父に、カイルと並んで深く頭を下げる。
「世話になりました!」
「ほう、もう発つのか。……気をつけてな」
親父の声に見送られ、ふたりは外の風へと踏み出した。
空は高く澄み、風が柔らかく吹き抜ける。
通い慣れた石畳の感触が、今は少しだけ遠く感じられた。
「――ハル」
歩き出してまもなく、カイルが静かに口を開いた。
「もう、お前はこの時代には戻ってこれないぞ。……心残りはないか?」
ハルは足を止め、空を見上げた。
雲の切れ間から差す光が、まるで誰かの手のように町を包んでいる。
「うん、大丈夫!」
振り返って笑うその顔は、どこか晴れやかだった。
「戻ったら、みんなにまた会えるし――それに、ちゃんと約束も果たさなきゃ」
カイルは目を細めて頷く。
「そうか。……なら、行こうか」
朝の光が二人の影を長く伸ばし、その先へと導くように揺れていた。
――そして、忘れ谷へ。
深い森を抜けた先、谷底には静寂が満ちていた。
湿った風が岩肌を撫で、かすかな水音が響く。
ハルは足元の岩壁に手を当て、周囲を慎重に見回した。
「父さん……やっぱり、この時代にはまだ入り口はないみたいだ」
「そうか、やはりな」
カイルは腕を組み、険しい岩壁を見上げた。
「なるべく近くで守り石を使いたかったが……仕方ないか」
「うん。ここなら、十分近いと思う」
ハルは頷き、掌の中の守り石を見つめた。
「じゃあ――使うか!」
カイルの声が少しだけ高まる。
その瞳には、期待と不安が入り混じっていた。
「いいか、ハル」
ふと声の調子を落とし、カイルは息子を見つめる。
「お前の想像……いや、分析に賭けるぞ。この石は願いを形にする石のはずだ。
アザルと対決したあの部屋を思い出せ。匂い、色、空気の重さ、そこにいた者たち――できるだけ細かく思いえがけ」
ハルは真剣な眼差しで頷く。
カイルは片手で守り石を掲げ、口元に笑みを浮かべた。
「そして父さんは、“このハルについていく”という強い気持ちを込める。
もしも間違った時代に着いたとしても――俺たちは一緒だ!」
その笑顔は、どこまでも頼もしかった。
「うん!!」
ハルは胸の奥まで力を込め、強く頷く。
二人はそれぞれの守り石を片手に握り、もう片方の手をしっかりと重ねた。
視線が合った瞬間、言葉よりも強い決意が交わされた。
風が止まり、谷が静寂に包まれる。
「――元の時代へ!」
ふたりの声が重なった瞬間、守り石がまばゆい光を放つ。
光はたちまち谷を満たし、すべての音を飲み込んだ。
その輝きの中で、二つの影がゆっくりと溶けていった――。
ツムギの物語は水曜日と土曜日、ハルの物語は月曜日と金曜日の23時ごろまでに1話投稿します
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