父の帰宅
――それから、いくつかの日が過ぎたある夕方。
宿屋の扉が勢いよく開いた。
「――待たせたな! できたぞー!」
ノックの音もかき消すほどの声に、ハルは思わず顔を上げる。
そこには、目の下にうっすらとクマを作りながらも、満面の笑みを浮かべたカイルの姿があった。
手には分厚いノートと、何やら包みのようなものが抱えられている。
「……父さん、ようやく帰ってきたんだね」
呆れたように笑いながらも、ハルの声にはどこか安心がにじむ。
「いやあ、バルドさんのところで少し手こずってな! でも見ろ、最高の仕上がりだ!」
自信満々に胸を張るカイルに、ハルは苦笑いを浮かべて立ち上がる。
「はいはい。おかえりなさい、父さん」
「おう!」
カイルの明るい声が響く。
その響きが、しばらく静かだった宿の空気をいっきにあたためた。
「それで――どんな魔法陣になったの? 見せて!」
ハルが目を輝かせ、身を乗り出す。
「おう、もちろん!」
カイルは満面の笑みを浮かべると、抱えていたノートを広げた。
そこには、細かい修正線と注釈で埋め尽くされた魔法陣の図が描かれている。
バルドとともに徹夜で練り上げた成果を、これでもかと誇らしげに見せつける。
「どうだ! これが――すべての条件をクリアした、完全版だ!」
「すごい……!」
ハルは思わず息を呑む。
線の流れが滑らかで、構造が理にかなっている。
ほんの少し角度を変えただけで、魔力の通りが格段に良くなっていた。
「ここをこうすればよかったのか……さすがバルドさん。無駄がまったくない……」
「僕たち、無駄だらけだったんだね……」
苦笑しながらも、心の底から嬉しそうにページをめくるハル。
その姿を見て、カイルはどこか照れくさそうに頭をかいた。
「ははっ、俺も最初はそう思ったさ。
でもな――こうして形になると、頑張った甲斐があったってもんだ」
「うん……」
ハルは真剣な表情で頷き、机の上にひとつの魔石を取り出す。
「……あとは、これに書き込むだけだね」
静かに言葉を重ねたハルの声に、カイルは力強く頷いた。
「そうだ。これでようやく完成だ――“守り石”の新しい形がな」
「じゃあ……早速やってみる?」
ハルの目がわずかに輝く。
「いや、その前に――まずは腹ごしらえからだな!」
カイルが笑いながら、両腕いっぱいに抱えた包みをテーブルの上に広げる。
香ばしい匂いが宿の一室いっぱいに広がり、ハルの表情が一気に明るくなった。
「うわっ、すごい量だね! これ、全部?」
「もちろん! バルドさんが“子供の分まで持ってけ”ってな」
カイルは嬉しそうに笑いながら、湯気の立つスープを並べる。
二人は向かい合い、久しぶりの“親子水入らず”の夕食を囲んだ。
「いやぁ……バルドさんの飯は本当に美味しかった。あの人、魔法陣の鬼だけど料理の腕も半端じゃない」
「魔法陣の鬼って……」ハルは吹き出しそうになりながら笑う。「でも、わかる気がする。魔法陣の話になると、目の色が変わるよね」
「そうそう! 夜中まで“線一本の角度が違う”とか言い出してな。もうつき合うのが大変で……」
愚痴をこぼしながらも、カイルの顔には誇らしげな笑みが浮かんでいた。
「でも、何度も挫けそうになった時に、バルドさんの客間の壁を見てな。昔の弟子たちのメッセージがびっしり書いてあったんだ。あれに、かなり励まされた」
「へぇ……そんなのがあるんだ」
ハルはスプーンを止めて、興味津々といった顔で身を乗り出す。
「父さんも、何か書き込んだの?」
「おう、もちろんだ!」
カイルは胸を張り、得意げに言う。
「『失敗したら、なぜ失敗したのかをまず考えろ。何度でもやり直せる』――ってな。中々だろ?」
ハルは思わず吹き出して、肩をすくめた。
「うん……父さんらしいや」
そして、ふと思い出したように顔を上げる。
「そういえば、その壁の中にジンさんの書き込みもあるらしいよ。
元の時代に戻ったら、確かめに行きたいな」
「おっ、いいなそれ!」
カイルは嬉しそうに笑い、二人の笑い声が夜の宿に温かく響いた。
長い時間を離れていたはずなのに、不思議とその距離はもう感じられなかった。
テーブルの上の灯りがゆらめき、二人の影をゆっくりと近づけていった。
たくさん食べて、腹も心も満たされたあと。
カイルが手を叩き、満足そうに立ち上がる。
「――よし、じゃあ始めるか!」
机の上に守り石と魔法陣の写図が並べられ、空気が一気に引き締まる。
ハルは息を整え、慎重に刻印の筆を取った。
淡い光を宿した刃先が石の表面を滑る。
その音は、夜の静けさの中にリズムのように響いた。
「そこだ、ハル。もう少し深く刻め」
カイルの声がすかさず飛ぶ。
「角度を見ろ、この線は命だ。いいか、ここは一度でもズレたら台無しになる。角度誤差一度も許されん!」
その口調は、まるでバルドそのものだった。
ハルは目を瞬かせ、思わず笑みをこぼす。
「父さん……すっかり弟子になっちゃったね」
カイルは苦笑しつつも、どこか誇らしげに頷いた。
「まぁ、あの人の熱に当てられたら、誰だってこうなるさ」
作業は夜更けまで続いた。
刻まれていく線はやがて光を帯び、宿の一室に淡い輝きを落とす。
それはまるで、二人が共に過ごした時間そのものが、石の中に刻まれていくようだった。
――そして、その作業は翌日も、そのまた翌日も続くことになる。
細やかな線が積み重ねられ、ひとつの“想い”が形を成していく。
静かな夜の底で、守り石が小さく脈打つ。
まるで、彼らの努力に応えるかのようだった。
ツムギの物語は水曜日と土曜日、ハルの物語は月曜日と金曜日の23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
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