茶と魔法陣と、忘れられた約束
カイルは、意を決して口を開いた。
「……実はこれ、ダンジョンで見つけた古代の魔法陣をもとにしているんです。どうしても形にならなくて……まだ試行錯誤の途中ですが」
バルドの眉がわずかに動く。
カイルは続けた。
「どうやらこれは、魔石の力を最大限に引き出すための陣のようで。……もし完成させられれば、息子の助けになると思ったのです」
「息子、とな」
低くつぶやいたバルドの瞳に、一瞬だけ柔らかい光が宿る。だが次の言葉は、重みを帯びていた。
「……子のためにと願う気持ちは、わしにもよくわかる。じゃがな」
ノートに描かれた線を指先でなぞりながら、彼はゆっくりと言葉を継いだ。
「古の魔法陣は、一歩誤れば暴発する。魔石そのものが暴れ出し、制御の利かぬ力と化すのじゃ」
「……暴発、ですか」
カイルは思わず息をのんだ。
「うむ。下手をすれば命を落とすやもしれん。――正直に言えば、わしはこの魔法陣は勧められぬのう。おぬしの思いは尊いが、息子を守るためにこそ、慎重であった方がいいな」
その声音には、ただの警告ではなく、深い経験からにじむ切実な願いが込められていた。
カイルはしばし黙し、唇を噛んだ。――守り石のことを打ち明けるわけにはいかない。だが、まったく説明を避けるのも不自然だ。思案の末、言葉を選びながら口を開いた。
「……実は、この魔法陣は“帰還石”に組み込めないかと考えていたのです。戦いの最中でも、無事に帰れる道を作れれば……息子の助けになると」
バルドの眉がわずかに上がる。
「もちろん、危険な使い方をするつもりはありません。条件付けを重ねて、安全に発動するようにと……そう思って試したのですが」
カイルは小さく肩をすくめ、苦笑を浮かべた。
「どうにも、その条件付けが安定せず……このままでは、とても使い物にはなりません」
正直さと悔しさがないまぜになった声だった。
バルドはじっとカイルを見つめる。その眼差しは叱責ではなく、試すような静けさを帯びていた。
やがてふっと口元を緩める。
「……そうか。帰還石か」
小さく笑みを浮かべ、うんうんと頷いた。
「子どもには、やはり何より無事でいて欲しいのもよな。親なら誰しも願うことであろう」
その声音には温かみがあったが、すぐに真剣な色が差す。
「帰還石ならば、まあ大事には至らんだろう。……ただしな」
分厚い指でノートをとんと叩き、低く言葉を続けた。
「火や水、雷といった魔石の中でも、純度の高いもの。大きい魔力を持っているものに組み込むのは危うい。攻撃性の高い石と結びつけば、暴発しかねん」
カイルは黙って頷く。
「それとな……」
バルドの目がわずかに細められた。
「この魔法陣は、無闇に人に見せてはならん。――たとえ、それがわしであってもだ」
「……!」
カイルは思わず息を呑んだ。
「おぬしが悪用するなどとは露ほども思っておらん。じゃが、魔法陣というのは、それをどう使うかで善にも悪にもなる。この陣は……悪意ある者の手に渡れば、力を増幅させる危険な道具になりかねん」
重い沈黙ののち、バルドは静かに言葉を結んだ。
「だからこそ、扱う者は誠実でなくてはならん。覚えておくがいい」
「……は、はい!」
カイルは背筋を伸ばし、力強く返事をした。胸の奥で決意が改めて固まる。
するとバルドはふっと口元を緩め、片目をつぶってみせた。
「よし、それなら――作り上げてしまおうか」
声音はいつもの穏やかで、どこかおどけた調子に戻っていた。
「……はい! 本当に、ありがとうございます」
カイルの声に自然と熱がこもる。
バルドはノートをもう一度覗き込み、顎に手をやって唸る。
「見たところ、この魔法陣はもう完成しておるように見えるが……どこに悩んでおったんじゃ?」
「それはですね……」
カイルは少し照れたように笑い、説明を始めた。
「条件付きにしようとしているんです。帰還石を使った時、あるいは……心臓が止まった時に力を解放するように、と」
「ほぅ……」
バルドの目が細く光る。
「つまり“最後の一手”を託すということか。だがな……心臓が止まってしまった後で力を解き放っても、肝心のおぬしの子供は助からんだろう。それに帰還石を使うときに魔力を最大にしたとしても……果たして、それに意味はあるのか?」
問いかけは穏やかだったが、核心を突いていた。
カイルは言葉に詰まり、ノートを見下ろす。
「……心臓が止まっていたとしても、戻ってきてくれさえすれば……どうにかできるかもしれない、そう思ったんです」
胸の奥で心の中で小さくつぶやいた。――嘘ではない、ぎりぎりの言葉。バルドに嘘をつくことだけはしたくなかった。
「……なるほどのう」
バルドは顎に手を当て、ゆっくりとうなずいた。
「心臓が止まっておっても、すぐに戻れれば医療所で奇跡的に助かることもあるらしい。……本当は止まる前の方がよいのじゃがな」
「はい。だから……帰還石を使った時に、自動で効果が起動するようにすればと思ったんです。石の力を最大限に解放できれば、可能性はもっと広がるかもしれない、と。
それに……心臓が止まった時でも発動するようにすれば、魔物に急に襲われたり、自分の意思で起動できない時の“保険”になるはずだと考えました」
考えを整理するように、カイルは答える。
顎に手を当て、なるほどと感心したように目を細めた。
「うむ! 普通の帰還石よりも強力にすれば、親としても安心して子に持たせられるじゃろう。……いやはや、条件付けにするのは骨が折れそうじゃが――」
にやりと笑みを浮かべ、片目をつぶってみせた。
「なんと楽しそうではないか。 さあ、作るぞ! 我が家には食べ物も飲み物も山ほどあるし、寝床も用意してあるから時間はたっぷりあるぞ」
「えっ……泊まり込み、ですか……?」
カイルは苦笑を浮かべつつも、その瞳には期待と高揚が宿っていた。
――その夜からしばらく、バルドの家の作業部屋に、ふたりの声と茶の香りが長く灯り続けることになる。
だがカイルは、夢中になりすぎていた。
ほんの少しのつもりで立ち寄ったはずが、気づけば夜が明け、さらに日が巡り――肝心の「すぐに宿へ戻る」とハルに告げていた約束など、頭の片隅からすっぽり抜け落ちていたのである。
ツムギの物語は水曜日と土曜日、ハルの物語は月曜日と金曜日の23時ごろまでに1話投稿します
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