師と友のあいだに
「……カイル、と申します。冒険者をしております」
名を口にするとき、ほんのわずかに胸がざわめいた。余計なことまで話さぬようにと自分に言い聞かせる。
「ほう、冒険者とな。道理で歩き方に無駄がないわけじゃ」
バルドは満足げにうなずき、石畳をゆっくりと進み出した。
「討伐や探索、依頼の形はさまざまですが……私は特に、素材を集めたり、記録を残したりするのが好きでして。戦いは避けられませんが、その中に見つかる“ちょっとしたもの”が何よりの楽しみなんです」
「ふむ、なるほど。小さき発見を重ねてこそ、冒険もまた実りをもたらす。……おぬしの魔法陣にしてもそうじゃな。暮らしの中でこそ輝く工夫が多い」
バルドは抱えた本を軽く持ち直し、横目でカイルを見やった。
「……派手ではなくても、仲間や家族を少しでも助けられるなら。それだけで、描いてきた甲斐があると感じます」
カイルの声は静かだが、その奥には確かな熱があった。
「うむ。小さな便利さこそ、人を守る力に通ずるのじゃ」
バルドは愉快そうにひげを揺らしながら、先を指差した。
視線の先には、緑に囲まれた家が見えてきた。庭先には香草らしき草木が揺れ、煙突からは細い煙がのぼっている。
「……着いたぞ。ここが、わしの家じゃ」
懐かしむように呟き、バルドは門を押し開いた。
庭を抜け、扉を開けた途端、彼は子どものように嬉々として振り返る。
「こっちじゃ、こっちじゃ!」
まるで待ちきれぬといった様子で、背筋を軽やかに伸ばしながら奥の部屋へと進んでいく。
辿り着いたのは、魔法陣や道具が整然と並ぶ作業部屋だった。棚には厚い本がぎっしりと並び、机の上には描きかけの陣や試作品らしき品々が雑多に置かれている。だが不思議と乱雑さはなく、どれもが使い込まれた道具らしい温もりを放っていた。
「……ふむ、まずは腹ごしらえじゃな」
そう言うなり、バルドは慣れた手つきで茶器を並べ、香り高い茶と小皿に盛られた菓子をさっと用意した。
「よし、準備万端! 食べたい時につまむといい。それでは早速始めよう!」
声も弾むように、バルドはカイルのノートを受け取り、熱心にページをめくりはじめる。ごつごつした指先が紙を滑り、時折「ほう……」「なるほど……」と低く唸る。
「わしが読んでいる間、退屈ではあろう。そこらにあるノートや本は、好きに手に取ってよいぞ」
片手を振りながら、視線はすでにノートに釘付けだ。
(……本当に楽しそうだな)
思わず口元を和ませつつ、カイルはそっと周囲を見回した。
作業机の脇には、何度も書き直された魔法陣の下書き。棚には「実験記録」と書かれた分厚い綴じ本や、日用品の研究を思わせる資料。壁際には古びた木枠に収められた魔道具がいくつも掛けられ、それぞれが不思議な気配を放っていた。
「……さて、どこから見せてもらおうか」
小声でつぶやきながら、カイルは静かに部屋を歩き出すのだった。
それから二人は、互いの研究ノートを開いては意見を交わし合った。線の引き方、魔力の流れの整え方――どれもが新鮮で、話題は尽きない。
「ここはこう削れば、もっと安定するぞ」
「なるほど……! では代わりに、この補助線を足せばどうでしょうか」
「はっはっは、面白い! おぬし、やはり只者ではないな」
やがて香り高い茶と甘い菓子をつまみながら、笑い合う声が部屋を満たしていく。気づけば敬語もすっかり和らぎ、バルドはひげを揺らして言った。
「なあ、もう“様”づけはやめてくれ。肩がこるわい」
「……では、バルドさんと。よろしいですか?」
「うむ! それでよい。それでこそ友じゃ」
すっかり打ち解けた空気の中、バルドはカイルのノートをめくっていた。そのとき、不意に指が止まる。
「……む?」
険しい色を帯びた声に、カイルの胸がわずかに跳ねる。
「これは……なんじゃ?」
ページに描かれた魔法陣を凝視しながら、バルドは静かに問いかける。
カイルも横から覗き込み、思わず息をのんだ。そこにあったのは、ハルと共に組み上げてきた、守り石の魔法陣。まだ完成してはいないが、明らかにカイルの魔法陣の中では異質だった。
「……これは……」
わずかに動揺がにじむ。
バルドはゆっくりと視線を上げ、真っ直ぐにカイルを見据えた。
「いや、誤解するでない。わしはおぬしのことを疑ってはおらん。魔法陣や言葉の端々から、おぬしがどういう人間かは十分に伝わっておる」
穏やかな声色に戻りながらも、目だけは真剣だった。
「じゃが……この陣は危うい匂いを放っておる。すべてを読み解けるわけではないが……古の術式が織り込まれておるのだろう?」
部屋に静寂が落ちる。
胸は高鳴り、喉の奥が乾いていく。
ハルと共に描いたその魔法陣を、どう説明すべきかカイルは悩んでいた。
ツムギの物語は水曜日と土曜日、ハルの物語は月曜日と金曜日の23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
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