小さな魔法陣、大きな縁
「……そんなふうに言ってもらえるとはのう。わしの拵えたものが、誰かの役に立っておると思うと……嬉しいもんじゃ」
どこか照れを隠すように、眼差しを和ませる。
「それで、お主は何を読んでおったのじゃ?」
促され、カイルは手にしていた本を差し出した。
「これです。――『日常生活を彩る小魔法陣集』という一冊でして」
本の表紙を見せながら、思わず頬を緩ませる。
「どれも痒いところに手が届くような陣ばかりなんです。正直、使う人を選ぶようなものも多いですが……必要な人には、喉から手が出るほど欲しくなるような実用性があって。つい、夢中で読んでしまいました」
「ほぅ、面白そうじゃな」
バルドは受け取った本をぱらぱらとめくり、目を細めた。
「ふむふむ……ほう、これはなかなか……。こういう工夫こそが魔法陣の醍醐味よ。基本形といえども、発想を加えれば新しい術式に生まれ変わる。これが魔法陣の面白さなのじゃ」
真剣に語るその横顔に、カイルは思わずうなずく。
「バルド様の魔法陣も、どれも驚くほどシンプルで……それでいて機能的ですよね」
「うむ」
バルドはページから顔を上げ、指で円を描く仕草をしてみせた。
「魔法陣はのう、複雑になればなるほど、起動が不安定になったり、時に暴発したりもする。できるだけ無駄を削ぎ落とし、整えること……それが何より大切じゃ」
カイルは小さく笑みを漏らした。
「確かに……私はまだまだですね。必要な機能をつけようとすると、どうしても複雑に描きすぎてしまうんです。わかっているんですが……“シンプルに直す”のが一番難しくて。でも、だからこそ一番楽しくもあります」
「ほぅ……」
バルドの瞳がわずかに光を帯びた。
「お主……本当に魔法陣が好きなのじゃな」
そう言うと、胸の奥を試すような声音に変わる。
「なにかオリジナルを持っておるなら、ぜひ見せてくれんか。そういうものこそが、その人らしさを映す“生きた陣”になるのじゃ」
その言葉に、カイルの胸は熱く高鳴った。
「……実は、私の魔法陣も、この本に載っているような“ちょっとしたもの”が多くて」
そう言って、カイルは鞄から一冊のノートを取り出し、そっと開いた。ページには几帳面な筆跡で描かれた魔法陣が並んでいる。ぱっと見は冒険や生活に役立つ実用的なものが多い。だがその合間に、どこかほほえましい陣が紛れ込んでいた。
――苦い薬を甘くする魔法陣。
――消毒の際に沁みない魔法陣。
――ピーマンの苦味を和らげる魔法陣。
暮らしを少しだけ楽に、少しだけ笑顔にする工夫の数々だ。
「ほぅ……」
バルドはページをめくりながら、にこにこと目を細める。まるで宝物を見つけた子どものようだ。
「おぬし、なんとも面白い魔法陣を描くのう。この“薬を甘くする”というのは、実に良い。小さな子にとってはまさに救いではないか」
「はは……」カイルは照れくさそうに頭をかいた。
「息子がどうしても苦い薬を嫌がって、何とか飲ませてやれないかと試行錯誤して……やっと完成したんです。線もまだ無駄が多い気がしますけど」
「いやいや、これは素晴らしいぞ」
バルドはごつごつした指先で紙を軽く叩き、真剣な眼差しを向けた。
「確かに余分な線もあるやもしれんが、それは研ぎ澄ませば良いだけのこと。……ふむ。もし良ければ今からわしの工房に来ぬか? この魔法陣、いくつか一緒に検証してみないか?」
思いがけない誘いに、カイルの胸はどきりと跳ねた。何ひとつ作戦通りに動けてはいないのに、気がつけばバルドと知り合い、その上、家にまで招かれることになるとは――。あまりに順調すぎて、信じられない思いだった。
「……は、はいっ! ぜひお願いします!」
声が少し上ずったのを自覚しながらも、カイルは深く頭を下げた。
そうして二人は、それぞれ手にしていた本を抱えた。互いに「日常生活を彩る小魔法陣集」を、バルドは追加で料理のレシピ本を。まるで少年のように目を輝かせる老魔導士の姿に、カイルは思わず笑みを浮かべる。
本屋を後にし、石畳の道を並んで歩き出す。
「そういえば――」と、バルドが不意に口を開いた。
「おぬしの名を、まだ聞いておらなんだな」
柔らかな夕陽が二人の背を照らす中、その問いかけが新たな物語の幕開けを告げるかのように響いた。
ツムギの物語は水曜日と土曜日、ハルの物語は月曜日と金曜日の23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
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