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大作戦の行方

 一人残されたカイルは、深く息を吐き、胸に広がる鼓動を押さえ込むように拳を握った。

 (……よし、落ち着け。俺はただ本を見に来ただけの客だ。ただの偶然……そういう顔をしていろ)


 そう自分に言い聞かせ、木の扉に手をかける。

 からん、と鈴が澄んだ音を立て、静かな店内に響いた。


 中に入ると、すぐに穏やかな低い声が耳を打った。


 「……そうか、あの少年、また来ておったのか」

 「ええ、魔法陣の棚に真っ直ぐ向かわれて。随分熱心なご様子でしたよ」


 朗らかな笑い声が続く。

 「ほう、やっぱり魔法陣か。……もう一度会いたいものじゃのう。だが、名前も聞いておらんし、顔もどうにも思い出せん。いやはや、歳かのう……はっはっは」


 店の奥で店員と談笑するバルドの姿は、大きな背中を少し丸め、カウンターに手をつき、その声には親しみと温かさがあり、ただそこにいるだけで場を和ませている。


 カイルの喉が、ひとりでに鳴った。

 (……やっぱり、このお方だ……噂に聞いた通り、いや、それ以上に……)


 一瞬見とれてしまい、危うく足が止まりそうになる。慌てて視線をそらし、自然を装って本棚へと歩み寄った。


 革張りの分厚い魔導書を取り、ぱらぱらとめくりながら、棚の影からちらりと奥をのぞく。


 バルドはまだ店員と話している。

 (……焦るな。俺はただの一客だ。時を待て……ハルのいう通りにすれば上手くいく)


 緊張と期待が入り混じり、カイルの指先は本のページをめくりながらもわずかに震えていた。


 やがてバルドは店員との談笑を終え、ゆったりと店内を歩き出した。そのまま通り過ぎるかと思いきや、ふと料理書の並ぶ棚の前で足を止める。大きな手で一冊を抜き取り、目を細めて読み始めた。


 分厚い体格に似合わぬ柔らかい笑みを浮かべ、時折「ほう」と小さく頷きながらページを繰る姿は、まるで子どもが新しいおもちゃを手に入れた時のようだ。


 カイルは横目でそれを見て、胸の内で小さく息を呑んだ。

 (……ハルの言っていたことは本当だったのか。いや、嘘だとは思っていなかったが……まさか、あの“元王宮魔道士”が、こんなにも楽しそうに料理の本を読まれるとは……)


 畏れ多さと同時に、奇妙な親近感が胸をよぎる。だが、すぐに首を振り直した。

 (いかん、今は邪魔をしては失礼だ。時を待つんだ)


 そう思い、気配を殺して待ち続ける。

 ……が、ふと顔を上げた瞬間、隣の棚に置かれた一冊の背表紙が目に留まった。


 「《日常生活を彩る小魔法陣集》」


 何気なく手を伸ばして開いた瞬間、目に飛び込んできた図案に思わず口元が緩む。


 「……おお、卵を完璧な温泉卵にする魔法陣……? おいおい、こんなものまで……」


 さらにページをめくると、「鼻水を一気に吸い出す魔法陣」だとか、「雨の日に靴下を乾かす陣式」、「焚き火の煙を常に風下へ流す陣」など、役に立つのか立たないのか判別に迷うが、とにかく生活を便利にする魔法陣がびっしりと描かれていた。


 「……くくっ、なんだこれは。便利すぎるだろう……いや、くだらないのか……?」


 カイルは思わず笑みを噛み殺しながら、指先で陣式をなぞる。緊張はどこへやら、気づけば眉間の皺も緩み、真剣な顔つきで読み耽ってしまっていた。


 「……ふむ、なかなか工夫があるな。これなら卵の火加減を間違える心配も……」

 小声で呟きながらページをめくっていた、その時だった。


 「――何か面白い魔法陣でもありましたかな?」


 低く響く声がすぐ耳元に落ちてきた。


 「っ!」

 カイルは本を取り落としそうになり、慌てて振り返った。すぐ背後に立っていたのは――白い髭を整え、深いしわの刻まれた顔に穏やかな眼差しを宿した老人。その佇まいは柔らかく、だが内に秘めた力を感じさせる。


 「……!」

 驚きのあまり、息が詰まった。すぐ目の前にあるのは、ハルから幾度となく聞かされてきた名前、その伝説と実績で心の奥底から憧れてきた存在――。


 「バルド……様……」


 反射のように口をついて出た言葉は、敬意と畏れが入り混じった囁きだった。

 それはまるで、夢の中でしか会えないと思っていた英雄に、不意に手を差し伸べられたような感覚だった。


 バルドは少し目を細め、驚きで固まるカイルを興味深そうに見つめていた。


 「……おや? わしの名前をご存じか。どこかでお会いしたことがありましたかな? 失礼、年のせいでどうも覚えが悪くてのう……」


 静かな声音だが、眼差しには探るような光が宿っていた。


 カイルは慌てて背筋を正し、手にしていた本を胸に抱きしめるようにして頭を下げた。

 「い、いえ! お会いしたいとずっと憧れておりましたが、実際にお目にかかるのはこれが初めてです」


 言葉が口をついて出ると、堰を切ったように胸の奥の思いがあふれ出した。


 「バルド様の魔法陣は……とても機能的で、余分な線がなく、そして驚くほどユニークで使いやすい。冒険者も、街の人々も、いつもありがたくその魔法陣を使わせていただいています。わ、私自身も幾度となく助けられました……!」


 緊張で声がわずかに震えながらも、真剣さと感動がそのまま言葉に乗る。気づけば、本来の作戦も忘れて、一気に吐き出すように憧れを語り切っていた。


 バルドはしばし驚いたように瞬きをし、それから口元に皺を寄せ、ゆっくりと微笑んだ。

ツムギの物語は水曜日と土曜日、ハルの物語は月曜日と金曜日の23時ごろまでに1話投稿します


同じ世界のお話です

⚫︎ 僕だけ戦う素材収集冒険記 〜集めた素材で仲間がトンデモ魔道具を作り出す話〜

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⚫︎ 異世界で手仕事職人はじめました! 〜創術屋ツムギのスローライフ〜

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