張り込み開始
お話の切れ目の関係で今回は少しだけ短めです。
こうして二人の“偶然を装う作戦”は、ひそかに始動しようとしていた。
あくる日から、ハルとカイルは本屋の向かいにあるカフェに通いつめた。テラス席なら、本屋の出入りをしっかりと見張れる。だが、通りを眺めながら待つ時間は思いのほか長く、退屈とも言えるほどだった。
「父さん、家に帰らなくていいの?」
果実水を飲みながら、ふと気になってハルが問いかけると、カイルはコーヒーカップを傾けながら、淡々と答える。
「こっちが優先だろう。しばらく忙しくなるってのは、ちゃんとみんなに伝えてある。心配しなくていいぞ」
その表情は実に真剣で隙がない。けれどハルの目には、どうしてもバルドに会いたいだけのように映ってしまい、つい心の中で苦笑してしまった。
(……これがロザさんの言ってた“忙しそうにしていた時期”なのかな。でも父さん、どう見ても張り込みっていうよりファンみたいなんだよな……)
しかし、それから数日が過ぎても、肝心のバルドの姿は一向に現れなかった。
二人が毎日同じ席に陣取る様子に、カフェの店員や常連客もちらちら視線を送ってくる。
すっかり不審人物扱いされつつあることに気づいたハルは、目立つことを避けるために、本屋で何冊も本を買い込み、それを読みながら待つことにした。
カイルも、何も注文せずに長居をするのは、やはり気が引けるようで、ハルが夢中になって分厚い本を開いている隣で、何度も店員を呼び、追加で甘い菓子を頼んではコーヒーと一緒にせっせと口へ運んでいた。
最初のうちは、皿の上に並んだ焼き菓子を嬉しそうに眺めながら、「必要経費だ!」と声を潜めて豪快にかぶりついていたが、三日目ともなると、甘い香りに満ちた空気の中で、カイルは胃のあたりを押さえ「う……」と小さく唸るようになっていった。
「父さん……大丈夫?」
本から顔を上げたハルが心配そうに覗き込むと、カイルは苦笑を浮かべながら、
「ちょっと食べすぎただけだ」
と答えるものの、その声には覇気がなく、肩もどこか重たげに落ちている。心なしか頬のあたりがほんのり丸くなった気がして、ハルは唇をきゅっと結び、必死に笑いをこらえていた。
「もう……父さん。あとは僕が食べるから、無理しないでよ」
苦笑まじりにそう言って皿を手前に引き寄せると、カイルはほっとしたように息をついた。
「助かった……。頼んだはいいが、残すのも悪いしな。そういえばハルは――」
次の言葉をかけようとしたその時、ハルの体がびくりと強張った。
「……あっ!」
慌てて手を伸ばし、首元のマフラーをぐいっと持ち上げる。口元から目のあたりまでをすっぽりと隠すと、視線を一点に釘付けにしたまま、椅子の背に小さく身を縮めた。
不思議に思ったカイルもつられてそちらを振り向く。
そこには、堂々とした足取りで本屋の扉を押し開け、意気揚々と店内へ消えていくバルドの姿があった。
扉の鈴がからんと澄んだ音を立て、二人の胸に緊張と高揚を同時に呼び込む。
いよいよ――“作戦”の時が来たのだ。
ハルとカイルは慌てて荷物をまとめると、椅子を引く音をできるだけ静かにしながら席を立つ。会計を済ませると、外の空気が一気に胸に流れ込んできた。
「父さん、平常心でね。頑張って!」
ハルが小声で言う。声は弾んでいたが、その瞳は真剣だ。
「バルドさんはいい人だから……作戦通りに動いたら、きっと上手くいくから」
カイルは一瞬だけ表情を和らげ、にっと笑った。
「おう! 父さんに任せとけ! ――ハルは宿屋に戻って、ゆっくりしてろ。終わったら、父さんもすぐ宿に行くから」
そう言い残し、大きな背中を軽く叩くように手を添えて、父は歩き出した。
その背に力強さを感じながらも、ハルはほんの少し寂しさを覚えた。
カイルは路地の角に入る前に立ち止まり、深く息を吸い込む。
「……よし、いくぞ」
心の中で唱えるように呟くと、ぐっと背筋を伸ばし、堂々とした足取りでバルドが入っていった本屋へと歩みを進めた。
ハルは、その姿が群衆に紛れて見えなくなるまで目で追った。
「……父さん、頑張れ」
心の中で強くエールを送り、小さく拳を握る。
そしてマフラーを整え、雑踏に溶け込むようにして、ハルは城下町の人波へと歩き出していった。
ツムギの物語は水曜日と土曜日、ハルの物語は月曜日と金曜日の23時ごろまでに1話投稿します
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