王宮魔導士バルド
その言葉にカイルはふと顔を上げ、腕を組んだままハルを見た。
「……バルドさんっていうのは、ハルがよく話してた、あの“ハルの住んでる家の持ち主”だった人か? 毎日の食事の世話とか、お弁当を作ってくれたり、本をくれたりする、あの優しい方のことか?」
問いかけに、ハルの目がぱっと明るくなる。
「うん! そうだよ!」
子どものような勢いで身を乗り出す。
「バルドさんのご飯、すっごく美味しいんだ。お弁当もね、栄養たっぷりで、いつも楽しみなんだよ。それだけじゃなくて……ツムギお姉ちゃんの魔法陣の先生でもあるし、ジンさんの師匠でもあるし……」
言葉を数え上げるたびに、指先が空中で跳ねる。
「あとね、おやつも美味しいんだ! それに、こっちに来てからも会っちゃってさ。本屋さんで! あっ、大丈夫だよ、ちゃんと変装はしてたから!」
自分で言いながら慌てて釈明するように笑い、そして胸元から一冊の本を取り出す。
「それで、この本を買ったんだ。バルドさんが書いた本らしくて、すごく読みやすいんだ」
差し出されたのは『いちばんやさしい魔法陣の本』。
ページの端は柔らかく使い込まれており、ハルの頼れる手引きであったことがすぐにわかる。
カイルがそれを手に取ると、ハルは「そうだ!」と声を上げ、ポシェットをがさごそと漁り始めた。
「まだ食べられるかな……この前バルドさんがダンジョンに潜る前作ってくれたおやつ、こっそり残してて持ってるんだ」
笑顔でそう言って袋を探すハルの姿は、どこか安心しきった子どもの顔だった。
そんな息子を横目に見ながら、カイルは静かにページを繰る。
ぱら、ぱらと紙がめくられる音が部屋に響いた。
やがて、ある箇所で手が止まる。眉がぴくりと動き、目の奥に驚きの色が走る。
「……なぁ、ハル」
低い声が静かに落ちた。
「もしかして……このバルドさんって方は……“元王宮魔道士”のバルドさん、じゃないのか?」
ハルはポシェットの底から小さなクッキーを取り出し、ぽいっと口に放り込んだ。さくりとした食感に頬を緩めながら、まるで当たり前のことのように言う。
「うん、そうだよ。バルドさん、“元王宮魔道士”だって言ってたよ。父さんに言ってなかったっけ? ——ほら、父さんも食べてみて! 美味しいんだよ」
クッキーを渡しながら、答えるその様子に、カイルは思わず声を裏返らせた。
「いってねえよー!」
思わず机を叩くような勢いで身を乗り出し、半ば叫ぶように言葉を返す。
「バルドさん……いや、バルド様といえばな、数々の生活に便利な魔道具を生み出してくれた、庶民や冒険者にとっちゃ本当にありがたい存在なんだぞ! 俺だって何度その魔道具に助けられたか……」
言葉を継ぐうちに、目の奥に熱がこもっていく。
「しかもだ、王宮魔道士としても有名でな。実力だけじゃなく、数多くの研究成果を残したって、ずっと語り継がれてるんだ。俺だっていつか話してみたいって、ずっと憧れてた人で……」
そこまで言ってから、カイルはぐっと言葉を切り、眉間に深い皺を寄せた。
「……なんでそんな方が、ハルのいる創舎で、しかも料理人みたいなことしてるんだ? お前の言う“バルドさん”って、本当にバルド様なのか……?」
尊敬と困惑がないまぜになった視線をハルに向け、深く息を吐く。
「……本当に未来は、訳がわからんな」
ハルは、目を丸くしながらも、どこか誇らしげに笑みを浮かべていた。
「……しかし、あのバルド様が……ハルを可愛がってくれてるのか……。あのバルド様が……」
遠い目をしながら呟くカイルの様子に、ハルは首をかしげつつも、特に口を挟まず、そっと自分の前の本に視線を戻した。
(……今は放っておいた方がよさそうだな)
いつものように魔法陣の本を広げ、細い指先で図形をなぞり始める。ページをめくる音と、父の低いうわ言のような声だけが、しばしの間部屋に響いていた。
やがてカイルは、何かを振り切るような様子を見せると、
「いや、これはチャンスかもしれないぞ!」
と唐突に声を上げた。
それから父はまた、ブツブツとひとりごとを呟き、口元に不敵な笑みを浮かべている。
そんな父の様子を見て、ハルは小さく息をついた。——父さんがこの顔をするときは、止めても無駄だ。きっと最後まで考え抜かないと気がすまないんだろう。
でも、その頑固さもどこか懐かしい。POTENのみんなが何かに夢中になってるときと、ちょっと似てるな……と心の中で苦笑しつつ、ハルは言葉を挟まず再度静かに見守ることにした。
数分ほどして、ようやく現実の世界に戻ってきたカイルが、ぱたりと本を閉じたハルを見やった。
「なあ、ハル」
声の調子が少し低くなり、真剣味を帯びたかと思えば、次の言葉は妙に楽しげだった。
「父さん、いい作戦思いついちゃったよ」
その顔は、まるで悪戯を思いついた子供そのものだった。目の奥にちらりと宿った期待と高揚が、ハルの胸に「嫌な予感」と「わくわく」を同時に芽生えさせる。
「その作戦っていうのはな——」
にやりと口角を上げ、カイルは楽しげに息を弾ませた。
ツムギの物語は水曜日と土曜日、ハルの物語は月曜日と金曜日の23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
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