守り石の欠片と一冊の本
思いがけず、バルドと話すことができたハルは、胸の奥からふっと力が抜けるのを感じた。
——たとえ、この時間軸で知り合いでなかったとしても、バルドさんはやっぱりバルドさんだ。
物腰の柔らかさも、話しぶりも、少しぶっきらぼうな優しさも、何一つ変わっていない。それに、こうして言葉を交わすことができた。
(……どうしようもなくなったら、その時は頼りに行こう。きっと助けてくれるはずだ)
そう心の中で呟いた時、自然と記憶がよみがえる。
バルドはいつだって、ハルに本を与えてくれた。冒険者として初めての依頼に出る朝、「これは持っておけ」と差し出されたのは——
『毒草と魔物の簡易図鑑』。手のひらにすっぽり収まるポケットサイズで、毒の見分け方や応急処置の手順まで丁寧に載っている。あれから何度も命を助けられたし、今も毎日欠かさず開いている相棒だ。
その後も、何かの節目には必ず本を勧められた。POTENハウスの本棚には「ハル用」と書かれた栞が挟まった本が少しずつ増えていき、どれも的確に自分の役に立つものばかりだった。
(そういえば……この本屋も、バルドさんに教えてもらったんだっけ)
思わず小さく笑みが漏れる。こんな場所で出会ってしまうのも、ある意味当然だった。
手にした本へと視線を落とす。
——そんなバルドさんの本だ。きっと今回も、自分を助けてくれる。
理由は分からない。ただ、根拠のない確信が胸の奥から湧き上がってくる。
ハルはその本を購入し、紙袋を大事に抱えて本屋を後にした。
通りに出ると、いつの間にか夕暮れの色が街を包み、建物の影が長く伸びている。
そろそろ薄暗くなってきた——そう思い、ハルは魔道列車の駅へと足を向けた。
ホームに着くと、淡い光を放つ魔導式の案内板が、次の列車の時刻を示している。間もなくやってくるその列車に乗り込み、心地よい振動に揺られながら、ハルはカムニア町の定宿へと戻っていった。
宿に戻ると、ちょうど帳場にいた宿の親父が顔を上げた。
「おかえり、坊主。今日はよく歩いたみたいだな。風呂はもう沸いてるぞ」
「あ、ありがとうございます!」
笑顔で礼を言い、そのまま浴場へ向かう。湯気の立ちこめる風呂で一日の疲れを流すと、体が一気に軽くなった。
部屋着に着替えて自室に戻ると、さっそく今日買ってきた本を机の上に置く。
——バルドの本。そう思うだけで、背中を押されるような、静かな力が胸に満ちる。
ポシェットの中から、これまでバルドから贈られた本たちを取り出し、机の上に並べていく。ポケットサイズの『毒草と魔物の簡易図鑑』、危険地帯で役立つ応急術式の小冊子、初心者向けの魔法理論書……そして今日の本達。
並べてみると、それぞれが自分の成長の節目を刻んでいるのが分かる。
ふと、手を止めた。
(そういえば……ダンジョンでも、本を手に入れたんだったな)
一応、中身を確かめておこうと、ポシェットの奥から厚手の本を引き出す。
タイトルを見た瞬間、息が詰まった。
『歪時空干渉術における多重因果操作と収束転位』
ハルはハッと目を見開く。ダンジョンで拾ったときは、あまりに難解なタイトルで印象に残らなかった。だが今は違う。脳裏に浮かんだのは、あのダンジョンで手に入れた特別な石——。
(……これ、全部繋がってる……?)
おそらく、この本とあの不思議な石には何らかの関係がある。それに、この本だけがダンジョン内で実体を持っていたという事実も、不自然すぎた。まるで、何者かが意図的に残したかのように——。もしかすると、あの場所で元の世界への帰還を願い、執念のように研究を続けていたのは、ほかならぬダンジョンマスターたちだったのかもしれない。
あの不可解な魔導士たちが、姿を消したり現したりしていた仕掛け——あれも、この研究の一端だったとしたら……。
胸の奥がざわつくのを感じながら、ハルはあわててポシェットの中を探った。指先が、布の感触の奥に埋もれた小さな袋をとらえる。守り石を入れていた袋だ。
机の上に取り出し、慎重に口を開けると、ころん、と粉々になった欠片がこぼれ落ちた。
ボロボロではあるが、表面には微かに魔法陣の線が残っているのが見える。細かく、繊細な形だ。それはまるで、時間の流れそのものを刻みつけたかのような、複雑で不思議な模様だった。
「……やっぱり、半分くらい粉々になっちゃってる……」
息を呑み、ハルは一つひとつの欠片を、パズルのように慎重に合わせていく。指先に伝わる冷たさとざらつきが、妙に現実感を伴って心に迫った。欠片がひとつ、また一つと、ぴたりとはまり、少しずつ、元の姿が浮かび上がっていく。
大きめに割れ、魔法陣の線が判別できる部分の修復が、ようやく形になったころ、ハルはふぅっと長く息を吐いた。
「……とりあえず、ここまではなんとかなった、かな」
机の端に残った粉状の破片を見下ろす。
「粉々になっちゃってる方は……修復はちょっと無理そうだな。でも……念のため、取っておいたほうがいいか」
そうつぶやき、そっと手で集めて、元の小袋に戻す。粉は光を受けて、かすかにきらめいていた。
残った石の組み合わせを見直すと、つながった部分はかろうじて形を保っているが、これでは持ち上げただけで崩れてしまいそうだ。
「さて……わかるところは繋がったけど、このままじゃすぐバラバラになっちゃうな。何かで接着したほうが……いいよな」
そう呟きながら、ハルはポシェットの中をがさごそと探り始めた。
申し訳ありません。忙しい時期に入ってしまいました。
その為、更新頻度を少し下げさせて頂きます。
ツムギの物語は水曜日と土曜日、ハルの物語は月曜日と金曜日の23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
⚫︎ 僕だけ戦う素材収集冒険記 〜集めた素材で仲間がトンデモ魔道具を作り出す話〜
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