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ハルの休息

 部屋の片隅に腰を下ろして、ハルはようやく深く息を吐いた。全身がずしりと重い。戦いの疲れも、涙の後の消耗も、ようやく今になってまともに感じ始めていた。


 (……なんか、すごい……ベタベタする)


 ふと、自分の身体から立ち上る生々しいにおいに眉をしかめた。血と汗と泥、魔力の焦げついたような匂いが肌にまとわりついている。


 (うわ……ちょっと臭かったかも……)


 ようやく落ち着いた頭で、父に思いっきり抱きついた時のことを思い出して、少しだけ赤面する。


 (ほんと、怪しさ満点だったよな……ぼろぼろの姿で、突然現れて、よく父さん、信じてくれたな……)


 照れくささと感謝が胸の奥でじんわり混じる。


 気分を変えるように、ハルは立ち上がって宿の浴場へ向かった。洗面器にお湯をくみ、少し熱めの湯気が立ち上るその中へそっと手を沈める。

 ぬるりと、指の間を抜けるお湯。生きてるって、こういう感覚なんだな……と、しみじみ思う。


 泥と血を落としながら、傷だらけの腕をそっとさする。ところどころに痣やひっかき傷が残っていて、戦いの痕跡を物語っていた。


 「ふぅ……生き返る……」


 独り言のように呟きながら、身体の汚れと一緒に、張り詰めていた心の緊張も少しずつ洗い流していった。


 湯船に身を沈めた時、ハルはそっと目を閉じた。

 あの戦場の風。アザルの冷たい声。リュカの叫び。仲間たちの表情。父の手の温もり。すべてが、夢の中の出来事のように遠のいていく。


 (……でも、まだ終わってない)


 湯の中でぎゅっと手を握りしめる。ぽたりと肩からしずくが落ちた。


 やがて湯から上がったハルは、借りたタオルで髪を拭きながら、静かに鏡の中の自分と向き合った。


 少し赤くなった目。濡れた髪。あの日より、ほんの少しだけ大人びた顔。


 (やらなきゃ。僕にしかできないことが、まだあるんだ)


 湯上がりの熱がまだ残る身体をタオルで拭きながら、ハルは静かにベッドの縁に腰を下ろした。

 シーツはまだ誰の温もりもなく、少しひんやりとしている。


 (父さんが戻ってくるまで、少しだけ……)


 そう思い、軽く息をついて横になる。目を閉じると、すぐに意識の底に沈みそうになった。だが、それを引き留めるように、考えが頭を巡り始める。


 (……どうして、僕は三年前に来たんだろう?)


 身体の疲れと頭の混乱がせめぎ合うなか、ハルはゆっくりと思考の糸をたぐっていく。


 ——帰還の小刀。それを使えば、帰還ポイントに戻れるはずだった。

 でも、戻った場所は帰還ポイントだったけど、戻った先は今じゃなかった。三年前の町、父さんがいた頃の世界。どうして……?


 (もしかして……あの時の“声”……?)


 転移の直前、魔導通信機から確かに聞こえた。あの、優しくてどこか切実な声。


 (前に……僕がピンチのときも、あの声が……)


 そういえば前に死んだ時も過去に戻った。“死んだとき”という言葉が頭に浮かび、ハルは無意識に胸元を押さえた。

 あのとき——確かに命が尽きたはずなのに、戻ってこれた。時間を巻き戻したように、生まれ直した。ポシェットが光って、その光に導かれて。


 (今回も、そうなのか? でも……僕、死んでない)


 (じゃあ……なぜ、“過去”に?)


 視界の端に、ゆらりとカーテンが揺れる。風の匂いが、ほんのりと鼻をかすめた。


 (……父さんがいる場所に、行きたいって——あのとき、願った)


 それは、心からの本音だった。言葉にはしなかったけれど、確かに、そう思った。

 みんなを助けたい。そのためにも、父さんの力が必要だと、そう強く。


 (父さんは、“仲間を助けるため”に家を出た……。それって、まさか……)


 浮かび上がってきた疑問は、あまりに唐突で、それでいて妙に納得のいくものだった。

 けれど——


 (……考えるのは、あとでもいいや……)


 限界まで酷使した身体が、思考の続きを許さなかった。瞼が自然と閉じていく。


 (少し……だけ、休もう。父さんが来たら、また、考えれば……)


 深く、深く、眠りの海へと沈みながら、ハルは静かに呼吸を整えた。

 その顔には、不安と安心が入り混じった、どこか無防備な子どもの表情が浮かんでいた。

明日も23時ごろまでに1話投稿します


同じ世界のお話です

⚫︎ 異世界で手仕事職人はじめました! 〜創術屋ツムギのスローライフ〜

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