父と過ごす、束の間の時間
「……さて、まずは状況を整理しようか」
カイルが椅子にもたれかかりながら、真剣な声で口を開いた。
「ハル、お前が“未来”から来たと仮定して話すぞ。今が建国1286年、お前のいた時代が1289年……つまり、三年後だ」
ハルはこくりと頷く。
「となると、まず考えなくちゃいけないのは、“行動の影響”だ。お前がここで何をするかで、未来が変わってしまう可能性がある」
カイルの指先が、書斎の机を軽くトントンと叩く。その音が、静かに部屋に響く。
「たとえば今の“ちびハル”に会ってしまったら、何が起きるかわからない。本人同士の接触は……避けるべきだな」
「そっか……そうだよね」
「それに、お前が未来で深く関わる人物——ロザやサイル、クロ、アオミネ、リュカ。そういう人たちにも、正体はできるだけ隠した方がいい」
「えっ、でも……ロザさんたちに“ダンジョンには行かないで”って言えば、あんな危ないことにはならないんじゃないの?」
思わず身を乗り出したハルに、カイルはゆっくりと首を振った。
「……それも、避けた方がいい。なぜなら“未来で捕まってしまったロザたち”が、その警告によってどう変化するのか、予測できないからだ」
「予測、できない……?」
「たとえば警告によって行動を変えた結果、今とは違う場所で、もっと酷い罠にかかる可能性もある。そもそも、未来を変えることが必ずしも“良い結果”になるとは限らない」
ハルは言葉を失い、唇を噛みしめた。
「だからこそ、なるべくお前の記憶をなぞりながら、最小限の影響で状況を切り抜ける必要がある。俺も、お前も、“未来の観測者”として慎重に動かなきゃいけないってことだ」
その口調は冷静だったが、瞳には確かな責任の色が宿っていた。
「……わかったよ、父さん」
カイルはふっと息を吐き、立ち上がった。
「よし。まずは——ハル、お前の“拠点”を作らないといけないな」
「拠点?」
「そうだ。しばらくこの時代にいるなら、寝る場所と動くための拠点が必要だろ。うちにずっといるわけにもいかないしな。ちびハルと鉢合わせるリスクもある」
「あ……そっか」
「町のはずれに、昔からある宿屋があったはずだ。冒険者の溜まり場みたいな場所だが、かえって目立たない。いろんな人が出入りしてる分、身元を詮索されにくい」
「なるほど……」
「よし、ちびハルたちが朝の買い物から戻ってくる前に、さっさと出ちまおう」
カイルは手早くポーションの瓶を棚に戻しながら、肩越しに振り返る。
「準備はいいか?」
「うん! 行こう、父さん!」
さっきまでの涙が嘘のように、ハルの声は明るく力強かった。
二人は並んで書斎を出た。廊下を抜け、朝の日差しのなかへ駆け出した。
そして歩くこと数十分。カムニア町の外れにある、小さな宿屋の木製の扉が軋む音を立てて開いた。
「おう、カイルじゃねえか。珍しいな、朝っぱらから何の用だ?」
カウンター奥にいた、がっしりした体格の親父が声をかける。額にはうっすらと汗を浮かべ、手には帳簿と布巾。
カイルは笑みを浮かべ、無造作に手を上げて応えた。
「よお、親父。ちょっと頼みがあってな」
そう言って、後ろのハルに目をやる。
「俺の冒険者仲間なんだが、しばらく厄介になってもらってもいいか?」
「ん……?」
親父は眉をひそめながらハルを見下ろす。どう見ても、少年だ。だが、その目には決意の色が宿っている。
「……こりゃまた若い冒険者だな。で、どれくらいの滞在だ?」
「とりあえず一ヶ月。これで足りるだろ?」
カイルは腰の袋から小さな袋を取り出し、じゃらりと音を立ててカウンターの上に置く。
親父は袋を受け取り、少しだけ中を覗いて、すぐに口角を上げた。
「おう、十分だぜ。毎日上等な飯つけてもお釣りが来るってもんだ」
カウンターの後ろから鍵を取り出し、手のひらに乗せて差し出す。
「二階の奥、窓が広いやつを空けといた。荷物置いたらすぐ休め。まだ子どもじゃねえか、疲れてんだろ?」
それから、にやりと笑いながらハルに向き直った。
「まあ、冒険者なんて立派なこったな。食事が必要ならいつでも声かけてくれや」
ハルは思わず、ぺこりと頭を下げる。
「ありがとうございます!」
「助かる、親父。ありがとな」
カイルも軽く頭を下げ、ハルの背を押して部屋へと向かう。
階段を上がりながら、ハルは小声でぽつりとつぶやいた。
「……なんか、懐かしい匂いのする宿だね」
「だろ?ここは昔から変わらねえ。俺が初めて泊まった宿でもあるんだ」
少しだけ懐かしそうに笑うカイルの横顔を見て、ハルもそっと微笑み返した。
二階の奥、木の扉を開けると、陽の差し込む素朴な部屋が広がっていた。ベッド、机、窓辺の椅子。どれも使い込まれた温もりがあって、どこか落ち着く雰囲気がある。
「ここなら落ち着けそうだろ」
カイルが振り返って、ハルを見やる。
ハルは小さく頷いた。
「うん。ありがとう、父さん」
カイルは少しだけ目を細めると、ハルの頭をくしゃっと撫でた。
「……とりあえず、少し休め。体もまだ本調子じゃないだろう」
そう言ってから、少しだけ真面目な顔になる。
「午後になったら、昼飯でも持ってまた来るからな。それまで無理すんなよ。……俺も急にいなくなったら心配されるだろうし、一度家に戻る」
「……うん」
そう答えたハルの声には、名残惜しさが滲んでいた。
カイルはそんな様子に気づきながらも、にかっと笑った。
「大丈夫だ。……俺たちで、なんとかできる」
その一言は、力強くて、優しかった。
「信じていいからな」
そう言い残して、カイルは部屋を出て行った。階段を下りる足音が遠ざかっていくたびに、ハルの胸の奥に、じんわりとあたたかな灯が灯っていく。
ドアの閉まる音がして、静寂が戻った部屋。窓から風がそっとカーテンを揺らしていた。
明日も23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
⚫︎ 異世界で手仕事職人はじめました! 〜創術屋ツムギのスローライフ〜
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