三年の時を超えて
「まずは、傷の手当てだな」
カイルはそう言って、書斎の棚を静かに開く。中には整然と並べられた薬瓶や書物があり、その奥から淡い光を帯びたポーションの瓶を一本取り出す。
部屋の空気がわずかに動き、ふと鼻先をかすめたのは——
(……父さんの、匂いだ)
どこか金属のようで、でも温かくて懐かしい、あの匂い。
それを感じた瞬間、ハルの全身からすっと力が抜けていく。無意識に強張っていた肩が下がり、視界がじわりと滲んだ。
ポロポロと、涙がこぼれた。
「……おい、大丈夫か?」
ポーションを手にしたまま、カイルが膝を折り、優しくその肩に手を置く。
「飲みなさい。効き目は保証するよ」
ハルは、震える手で瓶を受け取り、こくりと頷いた。
その様子を見つめながら、カイルがぽつりと呟く。
「……顔も声も、そして泣き方まで、うちのハルにそっくりだ」
そして、ほんの少しだけ表情を和らげて——
「ハル……と言われても、納得してしまうくらいだよ」
カイルは苦笑しながらそう言い、少しだけ目を細めた。
「さて、落ち着いてからでいいから——どうしてここに来たのか、聞いてもいいかい?」
ハルは渡されたポーションを一気にあおり、口元を拭ってから、大きく深呼吸をした。涙で濡れた頬を腕でぬぐい、真っ直ぐな瞳でカイルを見つめる。
「僕……本当に、ハルなんだ」
声は震えていたが、芯があった。
カイルの瞳がかすかに揺れる。
ハルは、まるで今の状況を自分にも整理するように、ぽつぽつと語り始めた。
——父親が三年前に旅立ったこと、その後帰ってこなかったこと。
——自分が冒険者となり、仲間たちとダンジョンに挑んだこと。
——そして、“選択の悪魔”アザルとの遭遇。
——みんなが命がけで自分だけを帰還させてくれたこと。
——“風魔法”が唯一の希望であり、時間が残されていないこと。
そのひとつひとつに、カイルは表情を変えず、けれど目の奥だけは深く反応を返していた。
「……お願い、父さん」
ハルは小さく拳を握りしめた。
「僕ひとりじゃ、もう無理なんです。どうか……一緒に来てほしいんだ。みんなを……助けたい」
その声は、震えながらも、どこまでもまっすぐだった。
カイルはゆっくりと息を吐いた。静かに、しかし確かに頷く。
「……わかった。約束するよ」
その言葉には、迷いはなかった。
「父さんが、必ず全部助けてやる! 大丈夫だ」
そう言った彼の声には、包み込むような力強さがあった。
「ちょっとでかいし、なんか妙に頼もしすぎる感じだけど……たぶん、お前は俺の息子だ。そう思うよ」
その瞬間——
「……っ、ぅえ……っ……ひっく……」
声にならない嗚咽が、胸の奥からあふれた。
気づけばハルは、カイルの胸にしがみついていた。込み上げる想いを抑えきれず、ぽろぽろと涙をこぼしながら、しゃくりあげるように震えていた。
「……泣き虫は変わらないな、まったく」
苦笑しながらも、カイルはその小さな背をそっと抱きしめる。手は自然に頭へと伸び、やさしく撫でた。
「よしよし。もう大丈夫だ。……父さんがついてる」
ハルは何も言えず、ただその腕の中で、涙を流し続けた。
カイルはその頭をゆっくり撫でながら、ふと静かな声で尋ねた。
「ところで……ハル。お前、未来から来たのか?」
突然の問いかけに、ハルは顔を上げる。目の周りは涙で濡れ、まだ呼吸も浅いままだったが——その瞳には戸惑いの色が浮かんでいた。
「……どうなんだろう? 僕にも、わからない……」
確かに戻ってきたはずの“今”が、どこか違う。けれど夢でも幻でもない。そう言葉にはできず、ただ顔に“困惑”の色がにじむ。
そんなハルの様子に、カイルは少し考えるような間をおき、棚の上の古びたカレンダーを指差した。
「ちなみに、今は——建国1286年だ」
その言葉に、ハルの目が大きく見開かれる。
「え……僕がいたのは、1289年だった……。じゃあ……三年前ってこと……?」
思わず呟いたその言葉は、静かに部屋の空気に溶けていった。
(そっか……だから、父さんが家にいるんだ……)
時の流れを飛び越えて——また会えた。ようやく一連の出来事が、腑に落ちた気がした。
それを見届けたカイルが、ふっと肩の力を抜いたように小さく息を吐く。張りつめていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。
「……なるほど。どうやら、緊急性は少し薄れたな」
思いついたように言ってから、にやりと口元を吊り上げる。目線の先には、涙の痕を残したままのハルの顔。
「タイムリミットが“三年と四日”に伸びたってわけだ」
その声音には、頼もしさと茶目っ気が滲んでいた。
「三年もありゃ、どうにかできるだろ? まだロザもサイルも、アオミネもクロもピンピンしてるしな。リュカは家で寝てるかもな」
名前をひとつずつ挙げるたびに、カイルの声にあたたかさが増していく。
ハルも自然と、笑みを浮かべた。
「そうだね、父さん。僕も色々学んで、ちゃんと強くなったんだ。三年もあったら——きっと、大丈夫だよ!」
その笑顔には、かつての少年らしさと、未来を信じる強さが同時に宿っていた。
明日も23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
⚫︎ 異世界で手仕事職人はじめました! 〜創術屋ツムギのスローライフ〜
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