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思わぬ再会

 ——ふっと、重力が消えたような感覚に陥る。


 まるで水の中に沈んでいくような、あるいは高く跳ね上がっていくような、身体の境界が曖昧になる不思議な浮遊感が、ほんの一瞬、全身を通り抜けた。


 次の瞬間——


 風が、頬を撫でた。

 冷たすぎず、暖かすぎず、心地よい空気の流れ。

 ゆっくりとまぶたを開けると、視界に広がっていたのは、見慣れた建物の輪郭だった。


 石畳の道。整然とした柵。

 カムニア町。ガルド精錬工房の前——


 間違いない。ここは帰還ポイントだ。


 しん、と静まり返った朝の町並みが、夢のように現実味を欠いて見えた。

 けれど——太陽の光。風に乗って運ばれてくる、金属と油の匂い。

 それらは確かに、日常の空気を持って、ハルをやさしく包み込んでいた。


 工房の扉にはまだ鍵がかかっていた。

 朝が早いのだろう。通りを歩く人影もなく、町は眠りの余韻をまだ引きずっているようだった。


 ——帰ってきたんだ。


 ハルはゆっくりと胸に手を当て、確かに動く鼓動を感じた。

 ほんの数分前までいた場所が、まるで別世界のように遠く思える。

 でも、確かにあそこにいた。そして、今、自分はここにいる。


 ハルは拳を握りしめると、足元の土を強く踏みしめた。


 (……時間がない。砂時計の残りは四日。戻る時間も考えれば、現実的にはその半分、二日か……いや、準備にも時間がかかる。最悪、一日)


 気を抜けば、焦りに呑まれてしまいそうだったが、それでも思考の糸を手放さないよう、呼吸を整える。


 (まずは、対策を考えなきゃ……戻るなら、一つでも多くの材料を持ち帰りたい)


 視線を工房の建物から遠くの通りに向けながら、ふと一つの記憶が浮かぶ。


 ——ロザさんが言ってた。父さんが、古代魔法陣の研究をしていたって。


 (もしかしたら……父さんの書斎に、参考になりそうな資料が残ってるかもしれない)


 風に揺れる看板の音が、町の静けさのなかに乾いたリズムを刻んでいた。


 (古代魔法陣、それに……風魔法。父さんの部屋には、そのどちらにも関係する本があったはずだ)


 POTENハウスに向かう前に、一度、うちに戻ろう。父さんが残した記録が、きっと何かのヒントになる。

 何より——風魔法のことも、もっと調べたい。


 ハルは踵を返すと、小さな決意を胸に走り出した。


 石畳の道を駆け抜け、家の角を曲がる。見慣れた家の扉が見えると、自然と足が速まっていた。


 「ただいまっ!」


 勢いよく扉を開け放ち、靴もそこそこに駆け込む。


 「母さん!父さんの書斎から本を借りてもいいかな? 古代魔法陣とか、風魔法のこと調べたいんだ。急いでるの!」


 返事はない。けれどハルの足は止まらない。声をかけながら、すでに廊下を駆け抜けていた——


 「うわっ!」


 廊下の角を曲がった瞬間、なにか柔らかくもどっしりとしたものにぶつかった。バランスを崩し、ハルは尻もちをつく。


 「いったたた……な、なに?」


 見上げた先に立っていたのは、人影だった。


 しかし逆光のせいか、顔ははっきりとは見えない。けれど、誰かがそこにいる。


 ぴたりと動かぬその存在に、ハルの心臓が一瞬だけ跳ねた。


  「……お前、誰だ?」


 低く、警戒を含んだ声。反射的に身構えたその男の声に——ハルは、息を飲んだ。


 (……今の声……まさか……)


 恐る恐る顔を上げる。逆光の中に浮かぶその輪郭が、少しずつ明瞭になっていき——


 「……父さん……?」


 懐かしくて、どこまでも会いたかった顔が、そこにあった。


 「父さん! いつ帰ってきたの!?」


 ハルは思わず叫びながら立ち上がり、駆け寄る。


 「でも……でも、本当にちょうどよかったんだ! 今、ピンチで……リュカやロザさんたちが、ダンジョンで戦ってるの! 父さんが一緒に来てくれたら、きっと、確実に勝てる!」


 その瞳は真っ直ぐで、揺るぎなかった。


 「一緒に来てよ! すぐに、すぐに行こう!」


 カイルは、ほんの一瞬、呆気に取られたような表情を浮かべた。


 「……お前が、俺の息子……?」


 眉間に皺を寄せ、訝しげにハルを見つめる。


 「確かに、顔は……よく似てるが……。魔物でもなさそうだし、気配もたしかに……“ハルのもの”に近い。だが——」


 わずかに息をつきながら、言葉を探すように続ける。


 「うちのハルは、ついさっき、母親と一緒に朝の買い物に出たはずなんだがな

 それに、うちのハルはもっと小さいしなぁ…… これはどういう事だ?」


 その一言に、時間がほんの少し歪んだ気がした。けれど、カイルはそれ以上は深く追及しなかった。


 「それにしても君、ボロボロじゃないか。服も汚れてるし、顔色も悪い。……怪我もしているようだな」


 そう言いながら、カイルの視線は冷静に、だがどこか父親らしい優しさを含んで、ハルの全身を見ていた。


 「ロザなら今日は城下町に出てるはずだ。事情もよくわからんが……攻撃してくる気もないようだしな。とにかく、落ち着いて話そう。書斎に入ろうか」


 淡々としながらも、どこか穏やかなその口調に、ハルはようやく呼吸を整える。


 (……どうして、父さんがここにいるんだ? いや、それより——僕が“二人”いる? どういうことだ? これって……夢?)


 ぐるぐると考えが巡るばかりで、頭の中がまるでまとまらない。


 それでも、背中に感じたカイルの「背を向けて歩き出す気配」に、身体が自然とついていっていた。


 ゆっくりと、書斎の扉が開く。木製の重たいその扉は、いつもと変わらなかった。


 (……わからないことだらけだ。でも……今だけでも、父さんと一緒にいられるなら……)


 そんな思いが、ふっと胸の奥をかすめた。

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