声なき選択、静かな決意
そんなハルの隣——黙って彼を支えていたリュカが、ふと口を開いた。
「なあ、アザルさん。……選択の時にさ、もしも俺たちが誰もこの場にいなかったら、どうなるんだ?」
唐突な問いだった。
けれど、空気はすぐにそれを受け入れた。
アザルは片眉をわずかに上げたあと、ふっと笑みを浮かべる。
その笑みには、どこか小馬鹿にしたような色が混じっていた。
「……君は、逃げようとしてるのかい?」
言葉は軽く、それでいて棘のようだった。
「まあ……そもそも外に出すつもりなんて、こちらにはないんだけどね? 万が一、仮に出られたとしてだ——」
アザルはわざとらしく肩をすくめ、言った。
「そりゃあ、死ぬに決まってるだろう? “選ばない”限り、君たちは“死”から逃れられないんだよ」
リュカの目が細くなる。
「……この場に、いなくてもか?」
アザルの笑みが少しだけ鋭くなった。
「ルールは絶対だ。例外はない。姿をくらましても、魔法で隠れても、別の階に逃げても——
どんな形かは言わないけどね。確実に“死”は訪れる。それだけは、保証しよう」
言葉の最後だけが、異様に冷たかった。
しばらくの沈黙ののち、リュカがさらに口を開いた。
「じゃあ……“選択の時”でなければ、この場にいなくてもいいってことなのか?」
その言葉に、アザルの動きが一瞬だけ止まった。
目がかすかに見開かれる。
「……ほう?」
思わず、といった様子で、アザルはリュカを見つめ直した。
その顔に浮かんだのは、意外性への興味だった。
「君はあまり賢い方ではないかと思っていたが……そこに気づくとは。そうでもないみたいだね」
薄く笑いながら、指をくるくると回すようにして言う。
「そうだよ。“選択の時”にさえ戻ってくれば、それまでどこにいても構わない。別の階で休みたければ、そこのダンジョンマスターに転移陣でも用意させようか?」
にやりと笑うアザル。だが、その目だけは油断なく光っている。
「ただし——」
声が低くなる。
「“その時”に戻ってこなければ、“選択を放棄した”とみなすよ。
そして選択は、今この場にいる者たちの中から、必ず行われなければならない」
その瞬間、場の空気がまたひとつ変わった。
クロが小さく首をかしげた。「……選択の瞬間、それを逃せば……」
アオミネが腕を組み直す。「……“逃げれば逃げるほど、追い詰められる”ってわけか」
ロザは微笑を浮かべたまま、小さくうなずく。
ハルは、リュカの横顔を見た。
その瞳は、静かで、どこか覚悟を秘めていた。
(……リュカ……何を考えてるんだ……?)
普段なら、何か思いついたらすぐに顔を見て「なあ、ハル」って言ってくるはずのリュカが、
今回に限って——何も言わずに、勝手に質問した。
(いつもは……分かりやすいくらい、分かりやすいのに……)
リュカは嘘がつけない。感情も言葉も、全部顔に出るタイプだ。
それが今は、口も開かず、じっと前を見据えている。
(なんで……? 本当にただの思いつきなの? それとも……)
頭の中に小さな疑問が芽を出して、すぐに不安へと育ちそうになった、そのときだった。
ロザが一歩、前に出た。
彼女の立ち姿はあくまで穏やかで、けれど明らかに——“守る”意志を帯びていた。
ハルとリュカの間に、さりげなく立つような位置取り。
そして、にこやかに、けれど一分の隙もなく、口を開く。
「……初めの質問は、これで終わりにするわ」
声は柔らかかったが、空気がきゅっと引き締まった。
「また、伺いたいことがあったら……その時は、改めてお聞きしてもいいかしら?」
丁寧な言葉遣いの奥に、“主導権はこちらにある”という静かな圧が込められていた。
アザルは、ふふっと笑った。
最初は静かな笑みだったが、それはすぐに——異様なほど嬉しげな、ねっとりとした笑顔に変わっていく。
「もちろん。いいとも、いいとも」
その声には、妙な艶があった。
目が、ぞわりと細められる。
「君たちみたいに、“質問をしてくる”冒険者はね……」
そこで、言葉を一拍置いた。
「私の長い長い人生の中でも、初めてだよ」
歪んだ笑顔が、より深くなる。
「……君たちが、“私の手に落ちる時”を想像するとさ。ゾクゾクして——たまらなく嬉しくなるんだよねぇ」
その声は、静かなのに、耳の奥を撫でるような不快さを残す。
リュカがぴくりと眉を動かし、ハルの前に立つように半歩動いた。
サイルが眼鏡の奥でじっとアザルを観察している。
クロは小さく息を吐き、「……やはり、悪趣味の極みでござるな」と低く呟いた。
アオミネの眉間には、いつの間にか深いしわが寄っていた。
だが、ロザは——微笑みを崩さなかった。
まるで、アザルの言葉すらも、ただの“記録”として受け取るように。
そして、背後にいる二人の少年を、誰にもわからない程度に、そっと庇った。
明日も23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
⚫︎ 異世界で手仕事職人はじめました! 〜創術屋ツムギのスローライフ〜
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