素材採取と初討伐
翌朝、カムニア町の家に柔らかな陽が差し込んだ。
食卓には、ミナが用意してくれた朝ごはん。素朴だけれど温かくて、ハルの大好きなメニューが並んでいる。
「久しぶりに一緒に朝ごはんね。いっぱい食べて行きなさいな。湿地帯は足元が悪いから、気をつけて」
そう言いながら、ミナはお皿の位置を指でなぞるように確かめ、慎重にハルの前へ並べた。
(……やっぱり、目が見えにくいんだ)
でも——ハルが薬代をちゃんと稼ぐようになってから、ミナは毎日欠かさず薬を飲めている。以前のように進行することはなくなったし、最近は笑顔も増えてきた。
「うん、ありがとう。ちゃんと気をつけるよ」
ハルはそう言って、手を合わせてから朝食を頬張る。ミナの味は、いつだって心をほっとさせてくれる。
(……今日も、頑張ろう)
食後、ポシェットの中身を確認し、小瓶や採取道具がしっかり揃っていることをチェック。採取場所は、町の東側に広がる指定湿地帯。少しぬかるんでいるが、魔物の危険は少なく、初心者にも安全なエリアとして知られている。
「いってきます!」
玄関で靴を履きながら声をかけると、ミナがゆっくり立ち上がって扉の方へ歩いてくる。
「行ってらっしゃい、ハル。怪我のないように気をつけてね」
ミナの笑顔が、朝の光にやさしく照らされていた。
「うん!」
その声に背中を押されるように、ハルはポシェットを抱えて玄関を出た。朝の風が頬を撫で、空にはうっすら雲が流れている。風の匂いは、きょうもどこか優しい。
そして、湿地帯に向かって歩き出す。
湿地帯に足を踏み入れた瞬間、ぐにゃりとした感触がブーツ越しに伝わってきた。
(わ、ぬかるんでる……滑らないようにしなきゃ)
カムニア町の外れにあるこの区域は、冒険者ギルドが指定する安全な採取区画とはいえ、油断は禁物だ。
足元に気をつけながら、ハルは湿った空気の中を歩いていく。
目的の「青磁茸」は、湿気の多い岩や木の根元に群生する、青緑に光るキノコ。
(これだ……色も、形も、図鑑通り)
小さな採取ナイフを取り出し、そっと根元に刃をあてる。
(ガウスさんに喜んでもらえるように……傷つけないように、丁寧に……)
……けれど、ただ切り取るだけじゃ、きっとすぐに傷んでしまう。どうしたら鮮度を保ちつつ採取できるだろう。
ハルはふと、ポシェットの中に忍ばせていた小さな通気布と、保湿用の《しずく苔》が目に入った。湿度を保ち、傷みやすい素材の持ち運びに使える、地味だけど優秀な素材だ。
(そうだ……これで包んで、乾燥しないようにしておけば……!)
手早く苔を小さくちぎり、青磁茸の根元にそっと巻きつける。さらに光を避けるように、布でくるんで、簡易的な「鮮度保持袋」を即席で組み上げた。
さらに採取の前、茸の表面を指先でそっとなでるように撫でると、微かにぴくんと震えたような気がした。
(……今、根元のここが少しだけ弱ってる……)
まるで、茸自身が「ここならいいよ」と教えてくれたような気がして、ハルはそっと刃をあてる。
ぷち、ぷち、と慎重に切り離し、即席の鮮度保持袋にそっと収める。
——その手つきは、どこか職人のようでもあった。
何度か繰り返すうちに、作業にも少しずつリズムが生まれ、予定よりも多くの素材を回収できている。
その勢いのまま、湿地の奥へと足を進め、ハルはひとつひとつ丁寧に——けれど無駄のない動きで、青磁茸を鮮度保持ポ ポシェットに収めていった。
(よし、お土産分も含めて、これくらいで良いかな……)
そのとき——
「……ぬちゃ」
不意に背後で、湿った空気を震わせるような音が響いた。
「……!」
一瞬、息が止まった。けれど、ハルはすぐに深呼吸をして気持ちを整える。昨日の講習で学んだ、魔力の流し方を意識してみる。
(恐がらないで、自分のまわりにある風を“友だち”みたいに感じて、魔力を引き込む……)
ハルはそっと両手を前に出し、指先に風の気配を意識する。すると、確かな感触が手のひらにふわりと集まりはじめた。
「——《エアスラッシュ》!」
その瞬間、風が鋭い刃となって放たれた。まるで鞭のようにしなりながら、一直線にぬめりガエルを貫いていく。
「うわっ……!?」
湿った空気を切り裂くような風圧とともに、ぬめりガエルは地面を転がり、あっという間に動かなくなった。
(お、おぉぉ……威力、思ったより……というか、ちょっと強すぎたかも……)
魔法が成功した嬉しさと、想定以上の威力に驚いたまま、ハルはそっと手を見つめたまま呆然とする。
その時、その小さな油断を見逃すことなく、木陰や岩陰、ぬかるみの中から、同じぬめりガエルが三匹、次々に姿を現した。
(多い……! さっきみたいに一匹ずつじゃ間に合わない!!)
足元を囲うように、ぬめり、ぬめりと迫ってくる気配に、ハルの心臓がどくんと跳ねる。けれど、同時に風が、彼の周囲にそっと集まってきた気がした。
一歩下がりかけたハルは、すぐに呼吸を整える。
(大丈夫……今の《エアスラッシュ》は直線だけど……複数には——)
手を広げ、自分のまわりにある風の流れを意識する。足元に草が揺れ、衣服の裾がそっと風を含む。
「——《ウィンドサークル》!」
ハルの体を中心に、風が旋回する。
巻き起こった回転する風の輪が、襲いかかるぬめりガエルたちを一気に薙ぎ払った。
しゅばっ——という風の音とともに、湿地の草がざわめき、ガエルたちが数歩吹き飛ばされ、ばしゃんと水面に落ちていく。
しばらくの静寂のあと。
ぬめりガエルたちは泡を残して消え、辺りには再び湿地の静けさが戻っていた。
「……え、もう終わった……?」
あまりの呆気なさに、ハルは思わずぽかんと立ち尽くす。
(え、なんか……強くない? 僕……)
すると、ポシェットが「ぶるっ」と一度だけ揺れた。まるで「調子に乗るなよ〜」と言っているみたいで、ハルは思わず苦笑する。
「……はいはい、分かってるってば。まだまだ初心者です」
そう言いながら、近くに倒れている最初の一匹に歩み寄る。
無我夢中で魔法を放ってしまったけれど、幸いにも、ほんの少しだけ、素材を採取できそうだった。
けれど——
(あとの三匹……水に落ちて、沈んじゃったな……)
ばしゃんと吹き飛ばされたあの瞬間、回収できない場所へ行ってしまったことを思い出す。
「……一度に倒せても、素材を無駄にしちゃ意味がないよね」
ハルは、小さく反省の息をつく。
ただ勝つだけじゃなく、どう倒すか、どう素材を活かすか。それが、本当の冒険者で、素材収集家なのだろう。
討伐や攻略じゃなく、僕は“素材を集める”専門の冒険者になるって決めた。
だからこそ、一番素材を傷つけず、安全に、ちゃんと持ち帰れる方法を考えなくてはならない。
そのための戦い方、保存の仕方……きっと、全部に正解があるはずだ。
(次は、もっと上手くやらないと……)
軽く息を整えながら、ハルは青磁茸の入ったポシェットをそっと撫でた。中の素材はすべて無事で、保存状態も良好そうだ。
(よし、あとはちゃんと届けるだけ……!)
そうしてハルは、湿地帯をあとにして町へと戻ると、真っすぐにガウスのいる精錬屋へと足を向けた。
明日も23時時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
⚫︎ハルの素材収集冒険記・序章 出会いの工房
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⚫︎ 異世界で手仕事職人はじめました! 〜創術屋ツムギのスローライフ〜
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