第二の樹、崩れ落ちる
ハルの頭上から、再び白く淡いもやが立ちのぼる。魔力の熱と共に、吸い上げられた水分が気化していく証だった。
「——あと少し……!」
ハルは幹に両手を添え、集中を深める。周囲では、サイルとロザが黙々と蔓の迎撃にあたっていた。次々と襲い来る枝を氷と風で叩き、斬り、押し返す。
「やっぱりこの魔法、蔓にはよく通る……っ!」ロザが鋭く呟き、氷の剣で一閃。鋼のように硬い氷刃が、一本の蔓をばっさりと断ち切る。
その傍ら、サイルも冷静に距離を測り、必要なだけの光魔法で蔓を押し返していた。
「ハルくんの集中が切れないよう、こちらで持ちこたえましょう」
ふたりの背に守られるように、ハルとリュカが並ぶ。リュカは剣を握り、次の炎の魔法の発動に備えて静かに息を整えていた。
——そのとき。
「くっ……!」
突如、サイルとロザの防御をすり抜けた一本の蔓が、幹に張りつくようにして魔力を集中していたハルへと襲いかかった。
「ハル、危ないっ!」
咄嗟に反応したのはリュカだった。構えたままの手から、炎の矢が飛び出す。
——《ファイアアロー》!
放たれた炎の矢は、狙いすましたように蔓へと突き刺さる。だが、爆ぜた火花と引き換えに、リュカの腕には一筋、切り傷が刻まれていた。
「リュカ!」
ハルの集中が一瞬揺らぐ。だが、リュカは笑ってそれを止めた。
「こんなの、かすり傷でもない! 気にすんなハル! お前は、今やるべきことに集中しろ!」
その声に、ハルは目を見開き、再び幹へと意識を戻す。
「……うん!」
ぐっと奥歯を噛みしめ、風の流れを再び掌へと集める。けれど——
(……さっきより、ずっとキツい)
魔力の流れが重い。頭の奥がズキズキと痛み、体の芯がじんわりと冷えていく感覚に、足元がふらつく。けれど、その隣で。
——ロザさんが、氷の剣を振るいながら蔦を防いでくれている。
——サイルさんが、的確に蔦の動きを読みながら、ハルの横を守ってくれている。
——リュカが、身を挺して攻撃から自分を守ってくれた。
(……僕なんて、ってずっと思ってた。死戻りをして、少し魔力量が増えた気がしても、すごい人を見るたびに「僕はこのくらいまでしか出来ない」って、自分の限界を決めてた。でも……)
(今、出来なかったら、きっと後悔する)
ハルの指先が、ほんのわずか震える。
(きっと、自分の限界を、自分で決めちゃダメなんだ)
「……風よ」
心の中で、祈るように呼びかけた。
「いつも味方になってくれる風よ。……僕は、僕の“限界”を超えてみようと思うんだ」
その瞬間——世界から、音が消えた。
周囲のざわめきも、焚き火の音も、仲間の声すらも。すべてが、吸い込まれるように静かになり、ハルの体に、風が満ちていく。
風が——風そのものが、応えてくれた気がした。
魔力が体を駆け抜ける。幹に触れていない方の手から、透明な雫があふれ、地面を濡らしていく。そしてそのとき。
大木の表面が、ふわりとほどけるように崩れ始めた。
葉が落ち、幹が薄皮を剥ぐように消えていく。まるで、風にさらされた砂のように、サラサラと音もなく崩れ、舞い、そして——大木そのものが消え去った。
残されたのは、一つの透明な球。
先ほどよりも、一回り大きい。魔力の光を湛え、まるで星を閉じ込めたような美しさを持っていた。
それが、ぽとりと音もなく、乾いた地面に落ちたとき——
ハルの膝が、かくんと崩れた。
「——っハル!」
リュカがすぐさま駆け寄り、その体を支える。ハルの肩を抱きとめながら、驚いたように、けれどどこか呆れ混じりの声をあげた。
「いや、俺……集中しろとは言ったけど、ここまでしろとは言ってないぞ!?」
口調は軽いが、その腕はしっかりとハルを支えている。
「くそーっ、俺の出番が……俺のフレイムエッジが……なくなったあああぁぁ!!」
空に向かって叫ぶその声が、乾いたジャングルの天井に響き渡った。
その響きに、呆気に取られていたサイルとロザも、ふっと我に返る。
「……今の叫び、リュカくんらしいわね」
ロザが小さく笑いながら呟くと、サイルはすぐにハルの元へと駆け寄る。
「体調は——」
慎重に手をかざし、魔力の流れを診るように目を細める。
「……魔力切れですね。極度の集中による消耗も重なっています。すぐにマナポーションを」
そう言いながら、サイルは落ち着いた手つきでポーチから小瓶を取り出し、ハルの唇にそっと当てる。
「飲めますか?少しずつで大丈夫です」
「……うん……ありがとうございます……」
ハルはかすかに頷き、小さく息を吐きながらポーションを喉に流し込んだ。
ロザも近づき、そっと膝をついてハルの顔を覗き込む。
「……こんなの、ありえないわ」
その声は静かだが、深く驚きが滲んでいた。
「まだ駆け出しの冒険者が、こんなことをやってのけるなんて——私は、今まで見たことがない。……本当に、すごいわ、ハルくん」
その声に、ハルはわずかに目を細めて笑った。
その後も、サイルに勧められるまま、マナポーションを口に運ぶ。ほんの数口飲んだだけで、魔力が体内を巡る感覚がはっきりとわかり、次第に頭の重さや手足のだるさが薄れていった。
(……すごい。思った以上に、体が軽い……)
驚くほどに回復していく感覚。けれど、ハルの心の奥には、別の焦りが灯っていた。
(——まだ、僕はやれる。次が最後の大木。クロさんとアオミネさんが、今……どうなってるんだろう)
胸の奥で、鼓動が少し早くなる。彼らがどんな想いで囮役を引き受けたか、わかっていたからこそ、じっとしているわけにはいかない。
ハルは立ち上がると、ロザとサイルの方を向いた。
「クロさんと、アオミネさんは——今、どうなってますか?」
ハルの問いに、誰もがその場で一瞬、息を飲んだ。
明日も23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
⚫︎ 異世界で手仕事職人はじめました! 〜創術屋ツムギのスローライフ〜
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