4.名前
「ルシェっ、君はそんなっ……! 飼い主を差し置いて、私にそんな声や瞳を向けるなんてっ……!」
「ルシェもこう言っていますし、殿下さえよろしければこの子の名前をつけてはくださいませんか?」
「名前を? 私が?」
「はい」
あれ? なんかちょっと不思議な方向に話がいってない? というかフィリベルトってば、ビアンカと一緒にいる時の感じが出ちゃってるよ?
でもまぁ、名前って大事だしね。クロがそれを気に入ってくれたら、そのままボクみたいに名前入りの首輪とか作ってもらえるだろうし。そしたらきっと、クロだって喜ぶはず。
ボクはずっとクロって呼んできてたけど、結局これも仮の名前でしかないんだもんね。それなら、ちゃんとした名前をもらったほうがいいよ。
ただ、できればボクが覚えやすいように、短い名前にしてほしいなとは思うけどね。
「その、むしろ本当にいいのかい? 侯爵家の子だろう?」
「一番最初にこの子に出会ったのは、殿下ですから。それに、お手紙でもこの子のことを気にかけてくださっていた……と、父から聞いておりますので」
うん、そうだよね。ボクが手紙を運んでるのを知ってるのはセレーナとフィリベルトだけだから、セレーナが手紙の内容を知ってるのは変になっちゃうもんね。
危なかったね、セレーナ。途中でちゃんと気づけて、ホントによかった。
「そう、だね。確かに、手紙にも何度か書いているよ」
フィリベルトも、たぶんそのことに気づいたんだろうね。ちゃんと話を合わせてくれてる。
こういうとこ、セレーナとフィリベルトは息ピッタリだね。でもそういう小さいことが、結構大事だったりするよね。相性とかさ。
『僕の名前、ですか? 王子様が、決めてくださるんですか?』
セレーナとフィリベルトのほうばっかり見てたら、さっきよりもずっと明るいクロの声が聞こえてきた。
思わずそっちに目を向けると、おとなしくオスワリしてるクロの尻尾が、少しだけ嬉しそうに揺れてるのが目に入って。これってつまり、期待してるってことだよね。
(もしかしてこれ、ホントにいけちゃうんじゃない?)
これからもクロと一緒にお家で暮らすっていう、ボクの今一番の願いを叶えてもらえそうな予感に、ちょっとドキドキする。
それがなんでフィリベルトが名前をつけることになったのかは、全然分かんないけど。でも正直、今はそんなこと関係なくて。
「そうだな……。最初は真っ黒な毛色だと思っていたから、今とだいぶ印象は違うけれど……」
「実際この子が住処にしていた場所の周辺住民からは、黒い子や黒いのと呼ばれていたそうです」
「あの姿を見ていると、どうしても黒の印象が強いよね」
「分かります」
ふふって笑い合うセレーナとフィリベルトは、なんかちょっといい感じ。
実はフィリベルトについてきたニンゲンのオスたちが、さっきからハラハラした感じで見守ってたんだけど。今はそのニンゲンたちも、ホッとした表情をしてる。
やっぱ、ビアンカと一緒にいる時のフィリベルトの姿って、あんまり他のニンゲンには見せちゃいけないのかな? 外でのフィリベルトって、結構キリッとしててカッコイイ感じだもんね。
でもね、実はセレーナってどっちかっていうと、ビアンカと一緒にいる時と同じ状態のフィリベルトと手紙のやり取りしてるんだよ。読み聞かせて教えてくれるんだけど、どう考えてもビアンカ狂いが書いてるとしか思えない内容だからね。最近は特に。
「うん、決めた。やはり関わってきた全ての人物が抱いている印象を、そのまま名前にしてしまおう」
心配する必要はないんだけどなー、なんて思いながらニンゲン観察をしてたら、ついにフィリベルトがクロの名前を決めたみたい。紙とペンとインク瓶を用意してもらって、なにかをそこに書いてってる。
ニンゲンの文字はボクには読めないから、できれば口で言ってほしかったなーって思いながら書き終わるのを待ってたら。
「この文字で、ネロというのはどうだろう? 他国の言語にはなってしまうけれど、黒という意味があるんだよ」
別にボクの願いが通じたわけじゃないと思うけど、フィリベルトはちゃんとボクにも分かるように教えてくれたし、色々説明もしてくれたんだ。
それにクロっていう意味がある名前なら、今までとそんなに変わらないし。なにより短いのがいいよね!
「素敵です! 今までこの子を可愛がってくれていた方々にも説明しやすいですし、すぐに覚えてもらえる名前だと思います!」
フィリベルトが出した名前をいいって思ったのは、ボクだけじゃなかったみたいで。セレーナも珍しく興奮気味にそう答えてて、なんかちょっと嬉しくなった。
でも、大事なのはボクたちの感想とかじゃないからね。クロがその名前を気に入ってくれるかどうか、だから。
「どうだい? ネロという名前は」
『ネロ……。それが、僕の名前、ですか?』
膝をついて、クロと目線を合わせながら問いかけるフィリベルト。しっかりと耳を前に向けてその名前を繰り返したクロは、最初こそ無反応のようにも見えたんだけど、少しずつそのふさふさの尻尾を横に揺らし始めて。最後には、ちぎれちゃうんじゃないかって思うくらいおっきく振ってた。
『ネロ……! 僕の名前は、ネロですね!』
「これは、気に入ってくれたのかな?」
「もちろんです。ねぇ、ネロ」
『はい!』
テーブルの周りを嬉しそうにグルグル走り回る、クロ改めネロ。嬉しさが尻尾だけじゃ表現しきれてなくて、お尻まで時々一緒に振っちゃってる姿を見てると、なんだかボクまで嬉しくなってきちゃう。
「そうか。それなら今日から君の名前は、ネロだ」
『はい! ありがとうございます!』
これが、ボクのお家に正式に仲間が増えた瞬間だった。
ちなみに余談なんだけど、せっかく名付け親になったからには名前入りの首輪を贈りたいってフィリベルトが言い出して、次の予定をセレーナたちと話して決めてたんだけどさ。今度はホントに、ネロに会いに来るのが目的ってことでいいのかな? それとも首輪を口実にして、またセレーナに会いたいだけ?
正直セレーナ相手の時だけ、他のニンゲンたちと話してる時とは全然違って、フィリベルトすっごく楽しそうなんだよね。
(これって、もしかしてセレーナの恋が叶う可能性もあるってこと?)
そうだといいなーって思いながら、ボクは帰ってくフィリベルトの後ろ姿を眺めてたんだ。




