2.セレーナ
外から帰ってきたボクがまず最初に向かうのは、ボクのためだけに用意された部屋の中。
ここだけはボクが好きに出入りできるようにするために、特別な扉を作ってくれたって聞いたことがある。
頭で軽く押すだけで、ボクが通れるだけの大きさの穴が開くから。そこを通って室内へと入って、すぐ目の前にあるぶら下がってる紐をくわえて引っ張る。
こうするとベルの音がして、ニンゲンが来てくれるんだ。
「お散歩からお帰りですか?」
ニンゲン用の扉を開けてボクの部屋の中に入ってくるのは、基本的に決まったニンゲンたちだけ。
今日はボクのことが大好きなニンゲンだったから、きっと色々優しくしてくれるんだろうな。
『おなかすいたー』
いつもはセレーナと一緒にいるから、この部屋の中にはお水もごはんもない。
だからニンゲンには「なぁん」としか聞こえてないだろうけど、鳴きながら足にすり寄ってみれば。
「ごはんですね、分かっていますよ。でもその前に、お外で汚れた足を拭きましょうか」
理解はしてくれたみたいだけど、やっぱり今日も捕まって、四本の足をしっかり布で拭かれちゃった。
でもポカポカ陽気だったからか、濡れている布が少しだけ気持ちよかったのは、まだ救いだったかも。
そのあとはちゃんと、ごはんとお水を持ってきてくれて。ボクがお腹いっぱいになるまで、ずっとそばで嬉しそうに見守っててくれた。
時折「かわいいなぁ」とか聞こえてきたけど、ボクがカワイイのは当たり前だからね。いつも通りだよ。
「お嬢様のところに行きますか?」
「にゃう」
食べ終わって、しっかりと毛づくろいを終えたボクが扉をカリカリすると、ちゃんとそこを開けてくれる。『行く』って返事したからっていうのもあるかもしれないけど。
でもこっちはボク専用の穴がないから、ちゃんとニンゲンにどうしたいかが伝わらないと、いつまで経っても理解してもらえなくて困るんだよね。
(最初の頃はそれで大変だったけど、今ではボクの部屋にくるニンゲンは全員分かってくれてるから、困ることもなくなったなぁ)
なんてことを考えながら今度は、セレーナの部屋まで一緒についてきたニンゲンが、そこの扉を開けてくれるのを待つ。
「お嬢様、ルシェがお部屋に入りたいそうです」
「まぁっ。 入って大丈夫よ」
一応セレーナに確認しないと、ボクの毛がついたらダメなモノが部屋の中にある可能性があるんだって、前に説明されたことがある。
だからボクはちゃんと、こうしておとなしく待ってるんだ。
でもね。
「お帰りなさい、ルシェ」
『ただいまぁー!』
セレーナに優しい声で迎え入れてもらいつつ、その両前足……じゃなくて、両手を広げた状態で待たれちゃったら、もう飛び込むしかないよね。
ニンゲンには「ぅなぁん」としか聞こえてなかったとしても、きっとボクの行動で意味は理解してくれてるはず。だってセレーナだし。
あったかい腕の中で、優しく頭を撫でられて。嬉しくて、思わず喉が鳴っちゃう。こればっかりは、ボクにも止められない。
「お散歩は楽しかった?」
『うん! 今日もクロに会ってきたよ!』
「疲れていない?」
『全然! でも、やっぱりクロはまだボクのお家には来てくれないみたい』
話しかけてくれるセレーナに、ボクなりに一生懸命返答はするんだけど……。
「うふふ。今日も楽しかったのかしら。いっぱいおしゃべりしてくれるのね」
どうやらボクの言葉は、やっぱりニンゲンには理解できないみたいで。それはセレーナでも同じだった。
ボクよりも少しだけ薄い色だって言ってた、淡いグリーンの瞳が優しく見つめてくれてるんだけど。
(クロのこと、伝わってない気がするんだよなー)
こればっかりは、どのニンゲンにも伝わってる気がしないから、きっと仕方がないことなんだろうな。
自分ではどうしようもないことだし、今はそれよりも。
見上げた先で、柔らかそうだけどフワフワのボクの毛並みとは少し違う、確かストロベリーブロンドっていう色だって言ってた毛を、そっと耳にかけて。
「ルシェは、あったかくて可愛いわ」
セレーナは、満足そうに呟いた。
ボクはといえば、優しく撫でてくれる前足……じゃなくて、手の気持ちよさにうっとりしながら、セレーナの腕の中に完全に体を預けて。
この至福の時間を堪能することを、一番に優先させたんだ。