9.覚醒 Written by Riza
「今、レイルト・フォルティンネンを主として、リザ・ホークイを吸血鬼として覚醒させたまえ。 美しき月に、血の契りを――…」
※
「ん…」
あたしは、ゆっくりと目を開けた。
「…あたし…?」
見覚えのない天井に、蝋燭の影が揺らいでいた。
ベッドに寝ているらしかった。
「気がついたかい。」
何が起こったのか分からずにいると、視界に見覚えのある顔が飛び込んできた。
「レイ…。」
綺麗な、顔――こんな状況でも、思わず見とれてしまいそうになる程に。
レイがクスクスと笑った。
「吸血鬼になった気分はどうだい?」
「――…!」
彼の言葉に、あたしは全てを思い出す。
そうだ、思い出した。
あたしは吸血鬼になる為にレイに血を吸われて
そして、レイの血を吸って、その後激痛に襲われて、それで――…
「あたし、もう、人間じゃないの?」
「そうだよ。」
あたしは体を起こし、おそるおそるベッドから降りる。
「あ…」
足が、軽い。
上手く言えないけど、”ニンゲンだった時”とは明らかに違う。
試しにその場でジャンプをしてみると、思った通り、ニンゲンでは到底届かない
高さまでジャンプすることができた。 影は――ない。
辺りを見回した。
「…?」
奇妙な違和感を感じた。
置いてある家具は何一つ変わってないのに、すべてが違って見える。
何というか、すべてが、微妙に――…
「僕らは人間より目がいいからね」
そんなあたしの様子に気がついたのか、レイが言った。
成程。すべてが細部まで見えているから、違って見えるのかもしれない。
あたしは次に、壁にかけてある鏡の前に立った。
「…!」
青白い顔に赤い目。
そして口元には――この世のものではないことを
象徴するかのような、二本の牙が覗いている。
レイの牙に引き裂かれた筈の喉元の傷は、もうほとんど治っていた。
「あたし…もう人間じゃないんだ…」
鏡の中の自分に見入っていると、あたしの後ろにレイが映った。
「魔力が充分にたまれば全部元に戻るから心配しなくていい。」
「…魔力?どうやってためるの?」
「勿論、血を吸うのさ。」
「血…を…」
血を吸う、という行為に対して、あたしは、妙な興奮を覚えた。
喉の奥から、血を求めてるような感覚。
これが吸血鬼なのだろう。
「リザ、そろそろボクは行くよ。」
気がつくと、レイは、洋服を調えていた。
「行くって、どこに?」
あたしは彼を見上げた。
「ボクは、旅の身だ。今宵、この街を出発する。」
暗闇の中、異様な光を放っている彼の瞳は窓の外を見つめていた。
「え、ちょっと待ってよ。お礼もしてないし。」
あたしは急いで鞄の中から財布を取り出し、ベッドの上で真っ逆さまにした。
何枚かの銀貨と札が落ちた。 わずかな額しかなかった。
「…レイ、もうちょっとまって。あたし、かならず、ちゃんと払うから」
申し訳なく思い、恐る恐る言ったつもりだった。
しかしレイはクスクスと笑っていた。
「お金は、いらないよ。 ボクはそんな”お礼”がいいなんて、一言も言ってない。」
「…え?」
思わず素っ頓狂な声を出した。
「体で、払うってこと?…」
あたしは、言いながら違和感を感じた。
それしか思いつかないからそう言ってみただけであって、
彼がそういう類のことは求めてはいないという事は分かっていた。
レイは、目を丸くした後、笑った。
ようやく、黄金色の瞳があたしを捉える。
「リザ。ボクは君の客じゃないよ。 …そうじゃない。 ボクが君に望むことはただ一つ。
君は今日から、ボクと同じ永遠を生きる吸血鬼だ。 自ら望んで吸血鬼になった君に、ボクらが永遠に生きつづけなければならない理由を見つけて教えてほしい。」
「…生きる、理由…」
永遠に生き続けなければならない理由?
今のあたしには、美しさを保つためだとか、老けたくないからだとか、
そんな、吸血鬼についての本で見たようなありきたりな理由しか思いつかなかった。
あたしが吸血鬼になったのに、特に理由など存在しない。
ただ、単純に、興味があったからだ。
それでも、これから先レイが求めてる答えにたどり着ける事はあるのだろうか。
「ボクは、それを探すために何百年も旅を続けている。 しかし、答えは見つからない。
これからも見つかるか分からない。 吸血鬼でよかったと思った事は、一度もない。 不可解な生に疑問を抱き、死のうとしたことも何度もある。 でも月はそれを許さない。 ボクはけして死なない。」
そう言ったレイの瞳は、あたしを捉えているはずだけど、その中にあたしはいなかった。
レイが見ているのはあたしじゃない。 この世界でもない。
もっと深い、深い何か――…
到底、あたしには知るよしもない。
「…わかった、あたしはあたしなりに生きる理由を見つける。」
「ああ、またどこかで会った時に聞かせておくれ。 …それじゃあ、リザ。 ボクは行くよ。」
レイはいつのまにか、黒いロングコートに身をつつんでいた。
あたしにニッコリと笑顔を見せ、鞄を手にとりあたしに背を向けて歩き出す。
その姿が視界から消えようとしたとき、あたしは無意識に駆け出して彼のコートを掴んでいた。
「待って!」
レイが振り返る。
「ん?」
「…あ…」
あたしは、困った。
特に言いたい事があった訳ではなかった。
気がついたら、叫んでいたのだ。
「…ねえ、レイ。また会える…よね?」
咄嗟に、こんな言葉しか出なかった。
レイはいつものようにニッコリと微笑んで、頷いた。
「必ず、会えるさ。 ボクらの人生は長いのだからね。 …それでは、良い夜を。 」
そう言って、レイは扉が閉まる音と共にあたしの前から姿を消した。
一人残された部屋で、あたしは彼の足音が聞こえなくなるまで聞いていた。