4.新たな旅の始まり Written by Rei
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手元に下りてきた蝙蝠の羽音で、我に帰る。
目の前には、古びた墓。たった今添えた一輪の花。
気がつくと、空が明るくなりはじめていた。
太陽が出る前に行かなくては。
「リーシャ…ボクは、もう行くよ」
ボクは、また来るから、と言い残し墓場をあとにした。
――リーシャと出会い、そして別れたのはもう二百年以上も昔の話だ。
ボクが、まだ、若かった頃と…いうのもおかしいが、吸血鬼としての本来の力が目覚め始めた頃だった。
リーシャの死後ボクがどうしたかというと
ボクはリーシャの死により憎しみと哀しみ――さまざまな感情を抑えきれず、初めて「ヒト」としての理性を失った。
吸血鬼の象徴である赤い瞳に、口元の鋭い牙、鋭い爪。
ニンゲンとしての姿を保つ事も出来なくなりまるで枷が外れた獣のように荒れ狂い、彼女を殺めた王宮に復讐を行った。王も、騎士も、メイドも、とにかく無差別に殺した。
これがきっかけで街に潜む吸血鬼の正体が露になり、吸血鬼と人間の戦が始まった。それを引き金に、“純血の吸血鬼を最高として、混血の種族はそれを敬い仕える”という古くから残っていた階級制度に反感を持っていた混血の吸血鬼達も反乱を起こした。
ボクにはその時の記憶がない。
狂っていた――当時のボクにはこの言葉が、ぴたりと当てはまる。
とにかく、目に映るもの、すべて殺めた。
哀しみに染まる事を恐れた僕は、手を血に染めることで逃げ出したのだ。
ボクが正気を取り戻したのは、ボクの胸に銀の短剣が突き刺さった後だった。
ボクはあの時の事を鮮明に覚えている。
遠のく意識の中で見た、少し離れた所でひどく冷たい目をしている兄の顔。“大衆に正体を明かすような行為は避けるべし”“純血の血の者は同じ血のみと婚姻を結ぶ”などのいくつもの掟を破ったボクは死刑に値する罪で実の兄によって「殺された」のだ。
混血の吸血鬼は太陽の光を浴びたり首を切られると灰になるので滅ぼす事は出来た。しかし純血の吸血鬼の場合、「滅ぼす」事は不可能であった。ただし、清められた剣で心臓を貫けば完全に滅ぼす事は不可能であっても“封印”はする事が出来る。
封印された純血吸血鬼は、再び血液を与えなければ二度と目覚める事はない。
ある日、雨と風で劣化した古い棺の隙間に一匹の野良猫が入り込んだ。
運が悪い事に、その猫はたまたま怪我をしていた。
ボクの口元にその血液が付着した時――…吸血鬼は、再び目覚める。
目覚めると、世界はすっかり変わっていた。
あの頃、あの街には吸血鬼の貴族が多く住んでいた。
しかし、もうその形跡すらなかった。
吸血鬼と人間の戦により多くの吸血鬼が滅び、生き残った吸血鬼達も違う土地に移住したらしい。僕の父であり吸血鬼界の王と呼ばれたラザロア・フォルティンネンは階級制度に反対の混血吸血鬼の組織により封印されていた。
吸血鬼が、夜の帝王と名乗っていた時代は嘘のようだった。
あの頃の栄光を忘れられずに残虐な殺人をする吸血鬼もいたが、ほとんどの吸血鬼達は吸血鬼ハンターに見つからないようにひっそりと暮らしていた。
そんな平穏な世界を目の前に、ボクは絶望した。
ボクに刻まれた罪の意識に悲しい記憶。
手にこびりついた血の臭い。
愛しい人は、もはやこの世界には居ない。
それからボクは、旅に出た。
宛てのない旅。それは例えるなら、出口がみえない永遠の迷路のようだ。
けして終わらない旅。終えたくても、終わる事が許されない旅。
旅に飽きたら、魔力を限りなくゼロに近づけた状態で眠った。
そうする事でしばらく眠りにつく事が出来た。
辛い記憶から逃れる唯一の方法であった。
「 ふぅ… 」
リーシャが眠る墓場を離れ、街の方へ歩きながら僕は溜息をついた。
また長い永い旅が始まるのかと思うと――ひどく憂鬱で仕方なくて。