2.過去の追憶 Written by Rei
吸血鬼と人間の共存世界。
それは今となっては伝説の話だが、そんな時代は確かに存在した。
当時、吸血鬼はヨーロッパ、特にフランスに多く存在していた。
ボクの生まれは純血の吸血鬼一族として知られたフォルティンネン家であり、ボクらもフランスに住んでいた。
大昔、吸血鬼界の最高権力者であった父、ラザロア・フォルティンネンと人間界の初代フランス王家は吸血鬼と人間との共存の誓約書を立てた。
しかし、人間の世界を冒さない変わりに、罪人や不要な人間を「生贄」として受け取る。
両者平等に共存することをここに誓う――…等と書かれた誓約書は、表面上のものでしかなかった。
実際は人間は吸血鬼という魔物を忌み嫌い、怯えていた。
何度も人間達は吸血鬼達を滅ぼそうと策謀したがそのどれも成功しなかった。剣を振り回す事しか出来なかった人間に、超人類的な力を持つ吸血鬼を滅ぼす事など出来るはずがない。
やがて人間は平穏を得るため、吸血鬼との争いを暗黙の了解に避けるようになる。大人しく生贄を差し出していれば平穏な生活が得られるのならそれに従うのが利口、一部を除く大多数の人間はそう考えたのだった。生贄には罪人が選ばれていたが、吸血鬼が生贄だけでは物足りずに制約を破り、生贄以外の人間を襲ったとしても不幸な出来事として片付けられていた。
しかし、そんな時代も永遠には続かなかった。
人間達は100歳にも満たずに死んでいく。
次々に王が変わり、新しい世界に生まれ変わる。
こうして何百年、何千年――繰り返される人間世界の中で、時代の流れと共に自然と吸血鬼達の力は衰えていき、吸血鬼が世界を支配する時代は終わった。そしてやがて人間の世界で吸血鬼の存在は薄れ、その存在は徐々に「伝説」へと変化してゆく事となる。
吸血鬼達は、貴族として人間の生活の中に溶け込んでいった。
長い人生の中で、人間達を支配する事にも飽きたのかもしれなかった。
そんなある日、運命の夜が訪れた。
あの日――美しい満月の夜。
ボクはいつものように屋敷の回りを散歩していた。
フォルティンネン家の屋敷は森の奥深くにあった。
その森はとても深く、一度立ち入ったら出られないという噂もあり人間は滅多に近づかないような場所だった。
人気のない不気味な森だったが、ボクはその森が好きだった。
その日の夜、ボクがいつものように森を散歩をしていると森の奥にある大きな木の下に1人の人間の女性が座っていたのだ。
珍しい事だった。
白いドレスを着た、色白の若い女性。
腰まである艶のある栗色の髪。
その身なりから、身分の高い娘だと知れた。
ただ月を見上げているその姿が、とても美しかった。
「何をやってるんだい」
ボクはそっと近づき、彼女に話しかけた。
もし彼女を見つけたのがボクじゃなく屋敷の者だったら、完全に「食事」にされていただろう。人間の世界で吸血鬼達への生贄の差し出しがなくなりこの時代のボクらは飢えていた。
彼女は急に声をかけられたことに驚き、小さな悲鳴に似た声を上げながら振り向いた。
「…びっくりした! こんばんは。 月を…見ていたの。」
彼女はニッコリと愛らしく笑うと、またすぐに視線を月に戻した。
空を見上げると木々の間から美しい満月が覗いていた。
「こんなところにいると危ない。早く帰ったほうがいい。」」
ボクがそう言っても、彼女は「大丈夫」と特に何も気にしていない様子で月を眺めていた。
「ところであなたは?何しにきたの?」
ようやく、彼女がボクに顔を向けた。
月の光が白い肌を照らした。
「…ボクは、散歩していただけだ。この近くにボクの屋敷があるんだ。」
「そうなの、この近くに住んでいるのね。」
彼女がニッコリと微笑む。まだ若干幼さを残した笑顔。
ボクはその笑顔につられるように微笑みながら頷いた。
「君は? 見る所によると、身分の高いお嬢さんのようだけれど」
ボクが聞くと彼女はおかしそうに笑った。
そして丁寧にドレスの端を持ち上げて一礼してみせた。
「私は、リーシャ。王宮の三番目の王女よ。王宮を抜け出してきたの。…内緒よ」
口元に人差し指を当て、悪戯な笑みを浮かべる彼女。
彼女…リーシャは、そう、王女だった。
「抜け出してきたって…いいのかい? 王女の君が一人でこんなとこにいるなんて、一大事じゃないか。」
ボクが驚いて訊ねると、リーシャは頭を横に振った。
「いいの。三番目のあたしのことなんて誰も気にしていないから。 ところで、あなたの名前は? ねえ、お友達になりましょう。あたしお友達っていないの。」
彼女が立ち上がり、服についた汚れを払う。
無邪気な笑顔を浮かべ、ボクの手を掴んだ。
友達になろう、と。
ボクが吸血鬼だと知らずに無知な王女はそう言った。
「…ボクはレイ、だ。 よろしく、リーシャ。」
これがボクとリーシャの出会いだった。
ボクとリーシャがただの”友達”ではなくなるまで、そう時間はかからなかった。ボクはリーシャの美しい姿と王女とは思えぬ素直で無邪気な様子にすぐに惹かれたし彼女も同じようにボクを徐々に受け入れた。正式な口約束なんか交わしてなかったが、ボクたちは互いの存在を何よりも大切なモノとしていた。
夜になると王宮を抜け出してくる彼女と毎晩並んで月を眺めながらいろいろな話をした。退屈な王宮の話、行って見たい国の話、好きな本の話――他愛もない会話だったが、彼女と過ごすそんな一時がボクの唯一の安らぎだった。
そしてある晩、ボクはついに自分が吸血鬼だということを話した。いつまでも黙っている訳にはいかなかった。
人間の王女と吸血鬼。幸せになれるはずのない恋だったから。
しかし、リーシャは全く表情を変えなかった。
相変わらずの無邪気な笑みを浮かべてこういった。
「そう。でも、そんなの関係ないわ。私は、あなたが吸血鬼であろうとなんだろうと関係ない。レイ・フォルティが好きなんだもの。あなたが私を食べようとしているのなら、別だけどね。」
なんて言って、いつものように笑う彼女。
…もしかしたら、ずっと前からボクの正体に気がついていたのかもしれない。
リーシャはありのままのボクを受け入れた。
初めて、ありのままのボクを受け入れてくれたんだ。
ボクはこの時思ったんだ。
心から愛しい――と。
決して人間である彼女を幸せに出来ない事には、頭の片隅では分かっていながら、気がつかないふりをしていた。
今考えれば、本当に愚かな事だったと思う。
案の定、幸せな時間は長くは続かなかった。
リーシャの父親、つまり国王がリーシャとボクとの密会に気がついてしまったのだ。――許されるはずがない。
リーシャには既に決められた婚約者が存在したのだ。
王がボクの正体に気がつくのも、きっと時間の問題だった。
ボクたちは、いつもの場所で、もう逢わない事を誓った。
抱き合い、涙を流しながら、ボクの腕の中でリーシャは言った。
「…愛してるわ、レイ…」
ボクはそっと両腕で彼女の体を引き離した。
「違うだろ、リーシャ。さようなら、だよ。もうボクのことは忘れるんだ。婚約者と幸せになるんだ。」
無理して笑顔を作り、まるで子供をあやすみたいに、ボクはリーシャの頭を撫でた。
それからボクはそっと手を離すと、彼女に背を向けた。
「さようなら、リーシャ。幸せになるんだ。」
ボクは歩き出そうとした。
しかし華奢な腕が、力いっぱいボクを抱きしめた。
「無理よ、無理よ…レイ… やっぱりあなたと離れるなんて嫌。 あなたと離れるくらいなら、私は王女という身分を捨てるわ。 それに――…」
リーシャがボクの腕を強引に引っ張り、彼女の腹部に掴んだボクの手を当てた。
「…?」
ボクは訳が分からず、彼女の言葉を待った。
「貴方に迷惑がかかると思って今まで黙っていたけれど…私のお腹の中には、貴方の赤ちゃんがいるのよ…レイ…!お父様が知ったら、この子は殺されるわ…!」
「……!」
ボクは言葉を失った。
彼女のお腹の中には、ボクの子供が居るというのか。
嬉しかった。しかしそれと同じ位、ボクは後悔した。
もう、引き返せない。戻れない。
ボクは決心して、リーシャを抱きしめた。
「…ボクと共に逃げよう。そしてどこか遠くで…幸せな家庭を築こう。」
「レイ…ずっと一緒よ…ずっと…」
月の下、お互い涙を流しながら長い長い口付けを交わした。
愛おしくて
愛おしくて
何度も何度も名前を呼んだ。
そして月に誓った。
僕達は永遠に離れる事はないと。