11.私とレイ様の過去① Written by Rairu
レイ様と私が出会ったのは、もう何百年も昔の話。私は、当時下流貴族の家庭に混血の吸血鬼として生まれた。 当時の吸血鬼の世界においては、人間の血が一切混じっていない純血吸血鬼が上流とされ、それ以下は血の濃さで中流、下流、と分かれていた。
人間界では吸血鬼の存在は「伝説」になりつつあったが、私達吸血鬼にとって、純血の吸血鬼は絶対的な存在で、中流以下の者は皆純血の吸血鬼を敬い仕えた。純血の吸血鬼一族はいくつかあったが、その中で最も力を持っていて王的存在とされていたのがフォルティネン家だった。20(といっても人間の年齢にすると40歳程度)になった私は、レイ様の身の回りの世話をする者としてフォルティネン家に仕えた。
その出会いは今でも鮮明に覚えている。
「お初にお目にかかります、レイルト様。私は今日からレイルト様にお仕えすることになりましたライル=ヴォルヘルムと申します…!」
緊張のあまり相手の顔を見る余裕もなく、部屋に入るなり頭を深々と下げた。
――…。
返事がない。
「……?」
いくら待っても応答がないので頭を垂れたままの私は不安に駆られて、そのままの体制でちらりと上目でレイルト様を見た。
すると。
「……え……?」
あまりに予想外だった。目の前に立つ金髪の麗人は、私を見てクスクスと笑っていたのだ。
「君、服まで緊張しているよ。」
そう言われて、何のことかと自分の服を見た私は…途端に赤面した。
「…あ…!す、すいません…!」
不自然な首もと。挨拶の言葉ばかりに気をとられていた私は見事に一番上のボタンをかけちがえていた。
「よろしく、ライル。君とは何だかうまくやれそうだ。…それと、ボクのことはレイでいい。」
私が大慌てでボタンを直すのをクスクス笑いながら、レイ様は言った。
「レイ…様」
クスクスと笑う動作さえも、目が離せない程美しい。月色の瞳に取り込まれそうになる。
同性に美しいなんて、おかしいかもしれない。
勿論私にそんな趣味がある訳ではなかった。
すべての者を魅了するような美しさを、彼は持っているのだ。
「ライル、早速ボクに付き合ってくれるかい。街に行きたいんだ。」
とっくに日は暮れていた。
街に行く、それが「食事」を意味するのだとは言うまでもない。
そうだ。こんな美しい方でも人間を喰う化け物なんだ。
自分も吸血鬼だというのに、妙に落胆した。
私は吸血鬼が人を襲う所を見るのが嫌だった。
自分だって吸血鬼の端くれのくせに、馬鹿な話だけども。
「はい。」
断れる理由などあるはずもなく、私はレイ様と夜の街に出かけた。
※
レイ様が足を止めたのは、小さな酒場の前だった。
中からジャズのような音楽がもれている。
レイ様は迷わず扉を押した。
「いらっしゃい」
中年の男の声が出迎えた。
「こんばんは、マスター。今日は知り合いも一緒なんだ。」
レイ様がそう言うと、マスターと呼ばれた髭の男はニッと歯を見せながら私に笑いかけた。 私も会釈を返したが、ぎこちないものになっていたに違いない。
そして、レイ様に続いて一番端のカウンターの席につく。お客さんは私たちだけだった。
「旦那はいつものでいいですね。そっちの方は?」
マスターが言う。
‘いつもの’…、レイ様はよく此処にきているらしい。
「ライルは、何が好きだい?」
「あ…じゃあ、ウイスキーの水割りお願いします。」
私はあまり酒を飲む方ではなかったから、いつもの、は存在しない。メニューをみて適当に目についたものを言った。
「はいよ。」
マスターはすぐに酒作りに取りかかる。
…私はレイ様をちらりとみた。
一流の貴族が、こんな人間の小さな酒場なんて。
純血の吸血鬼は毎晩人間を襲うと聞いたが、今日の「食事」はいつ行うのだろう。
此処を出た後だろうか。
「なんだい?」
気がついたら、レイ様がニッコリ微笑んでいた。
「いえ…レイ様は此処、よく来るんですか?」
「ああ、毎晩来るよ」
「毎晩…ですか。 失礼ですが、お酒ならお屋敷にも美味しいものがあるのでは…」
私は遠慮がちに小声で聞いてみた。
私の考えていることが分かったのか、レイ様は、なるほどねと微笑んだ。
「ボク、屋敷にいるの嫌いなのだよ。なんていうか――…窮屈でつまらないだろう? ボクはあんな小さな世界に篭っているのではなく、もっといろいろな世界をみたいんだ。」
レイ様はマスターからワインを受け取りながら言った。
美しさに混じって見せた、無邪気な表情。
「はぁ…そうなんですか…」
正直、変わった貴族だ、と思った。
私が今まで出会ってきた身分の高い吸血鬼達は皆プライドが高く、人間の世界に加わる事を極端に嫌がったから。
「はい、ウイスキーの水割りだよ。」
マスターが持ってきたグラスを受け取った。
酒を呑むのはとても久しぶりなような気がした。
それにしても、レイ様は不思議な方だ――…
他の冷酷な吸血鬼とはどこか違う。
私がいつものくせで無意識に深く考え込んでいると、カツン、とグラスとグラスがぶつかる乾いた音が響いた。レイ様が、私のグラスにぶつけた音だった。
「美しい夜と、君との出会いに、乾杯――…」
※
レイ様は本当に不思議な人だった。毎晩街に出てはいつもの酒屋に行くか、宛てもなく街をふらついた。 レイ様に仕えてひと月程経とうとしていたが、私はレイ様が「食事」をする所をただの一度も見た事がなかった。
その夜も私とレイ様はいつものようにマスターの店で静かにグラスを傾けていた。
「君は、人間になりたいと思ったことがあるかい?」
「は、い?」
何の前触れもない問いかけに私は間抜けな声を出した。レイ様はいつもこうだった。突然、何の脈絡もなく奇妙な事を聞いてくる。
人間に…なりたいか?
そんなこと考えたこともない。 私は吸血鬼として生まれ、今まで育ってきた。
それが当たり前だったから。
「…わかりません。そのようなことは考えたこともなかったです。」
私は、最近すっかり‘いつもの’と化したウイスキーの水割りを飲み干しながらいった。
「レイ様は、あるんですか?」
私がそう聞き返すと、レイ様はいつものように微笑んだ。
「ボクはあるよ。もしも永遠の命ではなく時間がかぎられてたらどうなんだろうってね。」
人間と吸血鬼の大きな違い。それは、命の期限があるかないかだ。
「わずか100年にも満たない命…ですか…。私達には想像もつきませんね。」
「でもライル。ボクはこう思うのだよ。花はいつか枯れてしまうからこそ、儚く美しいのではないだろうか。」
グラスを見つめ、そう言うレイ様。 美しい、しかしどこか人生に冷めたような瞳。
レイ様はふとこういう表情をする時があった。
その瞳が見つめているものは何なのか、私には理解できるはずもなかった。
「花…ですか。」
私はレイ様が何を言おうとしているのか、まるで理解できなかった。
そんな私の様子に気がついたのか、レイ様は表情を崩した。
「ボクは別に人間になりたい訳じゃない。ただ、無駄に長くて、終わりのないこの人生はあまりにつまらなすぎる。…そんな風には、思わないかい?」
レイ様がいつもの笑顔を見せた。
「…確かに私たちの人生はあまりに長すぎます…。」
もしも人間だったら、もっとましな人生が送れていたの…だろうか?
私は今までの人生を振り返り、小さく息を吐いた。自分が人間ではないと知った日から今日まではけして楽しい人生ではなかった。混血吸血鬼の運命は生まれた時からきまっている。純血の吸血鬼に仕え、命令通りに生きていく――そんな人生、楽しいはずがない。私が主人に仕えるのは、レイ様で三人目だった。そのどれも、人間達を冷酷非道な吸血鬼ばかり。
「…レイ様。一つお尋ねしてもいいですか。」
私はごくりと息を呑んだ。
あの理由を、聞いてみようと思ったのだ。
何故だか妙に鼓動が大きくなる。
「ああ、なんだい?」
隣に座るレイ様が、私の方に顔を向けた。
私はグラスを置き、金色の瞳を見つめた。
「あの…、レイ様は、いつ、“食事”をなさってるのですか…? 」
私は勇気を振り絞って聞いたつもりだった。余計なお世話だと怒られるかもしれない。
しかし、レイ様は大きな金色の瞳を数回瞬かせ、クスクスと笑った。
「なんだ、そんなことかい」
レイ様は期待はずれだとでもいうように、ワインを口に運んだ。
「そ、の…一度も見た事ないものですから気になって…」
混血の私達は吸血行為を行わなくても生きていける。
しかし、純血の吸血鬼は毎晩“食事”しなければ魔力を維持できないと聞く。
なのに私はこの一ヶ月、レイ様が食事をしているところを一度も見た事がない。
ここだけの話、本当は純血の吸血鬼ではないのでは、と疑ってさえいたのだ。
「毎晩食事はしているよ。君と一緒に。」
「え?」
「ボクは、実は特別な体質なのだよ。人の血を吸わなくても、毎晩月から魔力を受けている。勿論人の血を吸うことに越したことはないが、ボクの場合、特別魔力を消費するような出来事がなければ、月からの魔力で十分に生きていけるのさ。」
そして、レイ様は一呼吸置いて言った。
「…ライル、君は…吸血鬼が人間を襲う所を見るのが嫌いなのだろう?」
「…!」
私の心臓は、跳ね上がった。
――気がつかれて、いた?
咄嗟に否定しようとしたが、言葉が出てこなかった。
はっとして顔を上げてレイ様を見ると、黄金色の瞳が私の心の奥底まで見抜いていた。
どんな嘘をついても無駄だと悟った。
「…レイ様、何故その事を…」
座っているのに、足が小刻みに震えた。
生きてきて今まで誰にも気がつかれたことがないというのに。
「…君は、ボクが“出かける”という度に妙な顔をしていた。目的地につくまで、いつも不安そうな顔をしていたからね。」
「……。申し訳、ありません…」
私は、俯いた。
酒で上昇していた体温が急激に下がっていくのを感じた。
しかしレイ様は怒る事も馬鹿にして笑う事もせず、変わらぬ表情でワインを一口飲んだ。
「…ライル。君はボクと同じだ。」
「…え?」
その言葉の意味が理解できずに、私は間抜けな声を出してしまった。
「…ボクも幼い頃から、人間を襲うのが嫌だったよ。」
「レイ様も…ですか?」
私は驚きを隠せなかった。
純血の吸血鬼でありながら、“食事”を嫌う吸血鬼がこの世に存在していたなんて。
この世界の常識では有り得ない事だった。
「でも別に人間になりたい訳でもないし、君達みたいな“食事”の必要性がない混血になりたい訳でもない。ただ…人間の犠牲の上でしか成り立てない命の存在意義というのが、よく分からなくてね」
レイ様は残りのワインを飲み干しながらそう言った。