3 なりたい自分に なれるかな
丘を上がって来た敵の軍勢、およそ三百。
弓に槍、鎧を着こんだ兵士たちに守られた敵の軍団長の、空を突かんと上げられた腕が振り下ろされれば、それが突撃の合図。
軍団長の、意欲あふれる腕が振り上げられてから。
およそ、幼子が拙き声で三百を数え終わるぐらいの時が経ち。
「ねぇ、デュマ。
あの建てた岩砦に、牢獄あるかしら。
ちょっと三百人ほど、放り込みたいんだけど」
◇
事の始まりは、魔の森に比較的近くの、とある国。
どこの王も貴族もまだ手つかずの、新しく築かれた都市など、権力者にとってはそれこそ宝の山である。
新興の都市に満足な兵力も無かろうと。
制圧し、略奪し、富を奪い取るために、兵を差し向けた。
街に入れば、金も食料もなにもかも、略奪し放題、早い者勝ち。
人という品物を、弄ぶも好きなだけ、攫ってくるも思うがままに。
三百の兵は、蹂躙後の乱痴気騒ぎ、支配者の楽園を夢見て丘を登った。
対するは。
山稜のごとき城塞都市の大門を背に、両手に抜身の刃を引っ提げて、並み居る大敵を前にひるむことなく立ち塞がる、娘がまずは一人。
柘榴のような深い赤色の袖なし胴着から、日に焼けた小麦色の腕が伸び。
ベルトのように巻いた青のサッシュで締められた腰は柳のごときしなやかさで、緋色のブーツがすらりとした足を守っている。
後頭部で一括りにした艶やかな黒髪が、風に吹かれて背中を流れ、切れあがった眦が兵士の軍勢を睥睨する。
そしてもう一人。
日に焼けた小麦色の肌に短い黒髪の、丸みを帯びた顔は年相応に幼く。
まだ子供と言っていい年頃の少年が。
黒竜の。
頭の上に、腕を組んで、精一杯の背伸びをし、胸を反らして立っていた。
黒竜。
パイソンのように雄々しくも禍々しい黒光りする一対の角を持ち。
蜥蜴のような頭、蝙蝠のような翼、黒曜石のごとく艶やかな鱗に覆われた巨大な体躯。
巨体を支える太い脚には、鋼のような鋭い爪。
軍団長の、突撃を命じる、空を突かんばかりに勢いよく振り上げられた腕が。
――聞いていない。こんなの、聞いてないぞ!
痙攣という悲鳴を上げてもなお下げられず。
軍団長が冷や汗を滝と流していると。
「やぁ、やぁ、我こそは八部衆が一、リューなり!
我が眷属を殺めようとするなど、許し難し。
覚悟……えっと、覚悟するんだ、ちがう、してね、じゃない、えっと。
……お姉ちゃん、どうしよ」
「……仕方ないわね、任せなさい。
やぁ、やぁ、我こそは八部衆が一、ヤシャ!
貴様らの狼藉、許し難し。
断罪の時、来たれり。
覚悟しやれや、下郎ども!」
少年と娘が宣戦布告の口上を上げ。
同時に。
上がる咆哮は、雷鳴のごとく。
大きく広げられた翼は歓喜のためか。
黒竜が目を爛々と輝かせ、わずか三百のか弱き人の子の集団を、玩具か菓子かと凝視する。
今か今かと片方の前肢を持ち上げる黒竜を傍らに、娘が抜身の刃を敵の軍勢に突き付けた。
「命要らぬものは、かかって来よ。
いざ、尋常に勝負!」
――いやだ!
意気揚々と突き付けられた刃に、向かっていく者はおらず。
軍団長の振り上げた腕は、上げられたままで。
黒竜の持ち上げられた前肢が、突撃兵をぷちっとすることもなく。
誰一人動かない、ささやき声一つ上がらぬ静寂の中。
娘が、取り繕った声で宣言した。
「……されど、覚悟無きものを切り捨てる刃は持たぬ。
武器を捨て、平伏せよ。
下れ!」
◇ ◇ ◇
あの時の、あのお話。
弟と声を合わせて、何度も何度も続きをせがんだわ。
弟と同じぐらいの子に、なにしてるのって、今のあたしなら思う。
でも、どうしてもあの話の続きだけは、気になって仕方なかったんだもの。
そして結局、あの最期!
弟を想っての行動には、何の文句はないけど。
……あの時の、あの子の「あ」って顔は、今でも忘れられないわ。
「だから、あたしたちの名前を新しくするのは良いんだけどね?
アンジュ、と、ズシオウ、だけは絶対にナシで。
いや、あんたのズシオウは別にいいけど、あたしのアンジュだけは絶対にナシで」
「ぼくも、ズシオウはやだよ!?
お姉ちゃん、死んじゃやだー!」
飲んだくれの父さんと、怯えるだけの母さんが、あたしたちの親だった。
飲んだくれが喧嘩に巻き込まれていなくなって。
清々したと思ってたら、母さんがいなくなって、次の日に伯父さんっていう人がやって来て。
そして、余計に酷くなった。
家にあった物ぜんぶ持っていったと思ったら、あたしたちにも手を出そうとした。
体のいい奴隷が手に入ったと、隠しもせずに言い放った伯父さんを、あたしは絶対に許さない。
弟だけは守らなきゃと思って、手を取って逃げ出して。
あの時のあたし、考え無しだったけど、その結果が今なんだから『いい仕事をした』のよ、断言するわ。
みんなと一緒に暮らすようになって。
弟とついでにみんなも一緒に守ろうと頑張ってたら。
鬼子母神みたい、ありがとうと、お礼を言われた。
子供を守る、母親の、鬼。
弟の、みんなのためになら、鬼になったってかまわない。
ヤシャ、ヤクシニー。
新しい名前を呟くたびに。
鬼子母神みたいだと言った、あの子の言葉を思い出す。
なれるかな。
みんなを守る、鬼子母神。
動物、えっと動物?の出てくるお話が、ぼくは好きで。
龍は畏ろしく神々しいかと思ったら、竜はお姫様さらったりして悪い奴だったり、人を好きになって優しかったり……あれ、龍と竜ってちがうの?
狼は嫌われものの時もあるけど。
王様のロボは、とってもかっこよくて!
嵐のガブは、悪い奴じゃない、いい奴なんだよ!
アマ公なんて、神様の化身で、英雄だし!
キツネはズル賢くて懲らしめられたり。
騙そうとしてたら、絆されて良い奴になったり。
良かれと思ってやった恩返しが、迷惑なことだったり。
おきゃくさまのお兄ちゃんとか、ごんの子ぎつねとか手袋とか。
――その晩、キツネは恥ずかしそうに笑って死んだ。
たぶんきっと、一生覚えてる。
聞いて泣いたたくさんの、動物の出てくる忘れられない物語。
切なくて哀しい話が多いけど。
ぼくは大好きなんだ。
だから。
怪我した土まみれの黄土色のキツネ? イヌ?っぽい仔を水で洗って消毒して、エサをせっせと差し入れて、柔らかタオルを献上して……。
怪我が治ったら、友達になってくれて!
嬉しかったなぁ。
小さくて黒くてトゲトゲしい、トカゲみたいなツルペタかっこいい魔獣の仔が怪我してたから、匿って、エサをたっくさん上げて、ふっかふかクッションを献上して……。
怪我が治ったら、友達になってくれて!
嬉しかったなぁ。
柔らかタオル、ふかふかクッションで十分休んで、力を取り戻したら。
キツネっぽいのは金色の雷光帯びた雷獣で。
トカゲっぽいのは漆黒の夜闇の様な黒竜で。
絶対、絶対、このかっこよくて、かわいい友達を。
一生、お世話すると、心に決めた。
八部衆ってデュマ兄が言うなら、ぼく、りゅうおーの、リューがいい。
ぼくの新しい名前、りゅうおーからのリュー。
ぼくのお気に入りの「お話」だと、強さだけなら最強って設定だった。
なれるかな。
名前の通り、強く、強く。
そして、みんなとずっと一緒に生きるんだ。
◇ ◇ ◇
ある日の、どこかの部屋で。
「いいか、まずは名乗りだ。『やぁ、やぁ、我こそは』が鉄板なんだぜ!」
「うん、せっかくだから、かっこよく名乗りたいなぁ。
あ、ポーズも考えないと!」
「……ねぇ、これ、あたし、止めるべき?
弟がヘンな方向に行っちゃいそうなんだけど」
「あらあら。……でも、ふふっ。微笑ましいわね」
「あー、あの子に話してもらった後って、けっこう、あんな感じになるからな。まぁ、微笑ましい、か?
ヒーロー物の後って、こう、肩で風切る感じで歩いてしまうよな」
「待ちなさい、何を和んでいるの。
兵士が向かってきているのでしょう? 私が出ます」
「いやぁ、でも、リューがやる気だしなー。
おまえが出ると、名乗りを上げる前に終わってしまうだろう?」
「向かってくるなら、押し流すまでよ」
「待って、ねぇ、待って。問答無用で、押し流すの待ってあげて。
リューがすっごいノリノリで、名乗りの練習しちゃってるから」
「それな。あんなに楽しそうなのに。
せっかくの機会を潰すと、ちょっとかわいそうだろ」
「でしょ? だから、あたしとリューで出るわ。
心配なら、見てて。押されそうなら、すぐ呼ぶから」
「本当に、すぐ呼んで下さいね、約束ですよ?
では一緒に正門まで」
一人は暗記した名乗り上げを口ずさみながら。
一人は聞きながら、間違った時は指摘しつつ。
そして最後の一人は。
「私たちに向かってくる者、皆すべて、水底に沈めてみせましょう」
これまでの、そしてこれからも続く決意を、改めて口にして。
扉が、ぱたん、と閉じられた。
誰もが持ってるであろう心の本棚の、忘れられない絵本。
ちなみに、作中の「その晩~」は『きつねのおきゃくさま』です。
皆様のイチオシは、どんな絵本でしょうか。