8 燃えろよ 燃えろ、炎よ 燃えろ
キャンプファイヤー。なお、開催場所……。
敷かれた深紅のカーペット、至高の玉座まで、王家の象徴たる鷲が彫刻された石柱が列をなす、城の大広間。
人一人の人生など軽く超える年月の重さ、あるいは、服従を強いる圧しかかって来る権威に、自然と膝をつきそうになる大広間の、その中心に。
燃え上がる炎が人の姿をとったかのような男が一人、傲然と顔を上げ、黄金と宝石で華美に飾られた、贅を凝らして作り上げられた玉座を、尊大に見下していた。
深紅の長い髪は、肩、腰、と下に行くほど緋色、茜、橙と色を変え。
本来は琥珀の瞳が、不機嫌を通り越し、怒れる皇帝の黄玉の光を放つ。
派手な顔形と尊大な態度とは裏腹に、着ている服は王城にそぐわない、生成りの服に古びて色褪せた雨よけの外套をひっかけただけの、粗末と言っていい程の服装。
そして唯一、その身を飾っているのは、指に嵌められた鉄のリング。
文様じみた複雑怪奇な術式がびっしりと細かく刻み込まれてはいるが、宝石の一つも無く、装飾品の価値としては石コロよりマシな程度しかない。
王の御前に罷り越すには、不敬にすぎる出で立ちだった。
それでも誰も。
男の非礼も無礼も、ましてや不遜を、咎めなかった。
誰も、咎めることができなかった。
城の大広間に集まった老若男女、文官、兵士、貴族、将軍、宰相、王族を、機嫌のよろしくない金瞳が、貴賤を問わず睥睨する。
「和平交渉の使者を遣わしておきながら、同時に軍も寄越すとはな」
熔けた盾、溶けた剣、白い灰の積もる焼け焦げた床。
盾も剣も床に放り出したまま、壁の端まで退いて怯える近衛兵たち。
玉座にうずくまり、震えて縮こまる冠を被った老人と。
赤火、蒼炎、白焔、幾つもの火焔をまるで家臣のように従えた、人の定めた身分は持たぬであろう男が、遮るものなく相対する。
「先の三百の兵士。黒竜に殺させず、咆哮で追い返した。
次に二百の兵士。溺死させずに水没で許した。
そして使者に。
オレは、次はないと、伝えた」
城の外から、雷鳴のごとき咆哮が鳴り響く。
外は嵐。時ならぬ豪雨が音を立てて王都に降り注ぐ。
城の内は火の球が所狭しと駆け回り、人に近づいては恐怖に歪む顔を嘲笑う。
「選ぶがいい、滅びの王よ。
黒竜に踏みつぶされるが良いか。
水流に巻かれての溺死が良いか。
火ですべてを灰塵に帰するが良いか。
――さぁ、選べ」
◇
城塞都市に、平身低頭で使者がやってきた。
歓待も無しにその場で送り返した、その日の昼下がりの、城塞都市の領主館。
「王国からお姫様の輿入れだって! え、これって、まさに『贄姫』? 『ドアマットヒロイン』ってやつ?
すげぇ、本物だー!」
デュマが騒々しく休憩室に飛び込んできた。
「あら、あら。
でも、侍女と入れ替わって、とか。本物のお姫様と違う、『入替わり姫』かもしれませんわ」
片手棍を熱心に磨いていたジャンヌが、確認しないと、と注意する。
しかし、弾んでいる口調が隠しきれていない。
「実写版、ドアマットヒロイン溺愛からのワガママ姫ざまあ、キタコレ」
「待った、それ誰が溺愛するんだ?」
一息で言い切ったウィリアムが綿毛の頭を勢いよく上げ、興奮して立ち上がるが。
「お嬢様」と話していたエレが、冷静に水を差す。
「いちお、結婚の申し込みはラゴラの兄貴にって。よっぽど、お城に脅しにいったのが、怖かったんじゃね?」
「じゃー、ラゴラが溺愛、……溺愛、するかな?
えーっと、さすがにそれってどうだろう?」
姫の輿入れ、に沸いていた一堂が、顔を見合わせ、申し合わせたように一斉に頷いた。
「無理」
◇ ◇ ◇
名前を、と言われて。
自分の名前なんて。
こだわりなんてないし、今まで通りでも不便はないし、名前なんてなくても「赤いの」で通じるから構わないだろうと思っていたら。
八部衆の頭は阿修羅王だと、これだけは譲れないと、冬初めの黒いの――デュマがオレを指さした。
エレがその設定まだ続ける気かと驚いていたな。
天竜八部衆を束ねる頭領であり、阿修羅の一族を束ねる阿修羅王、それがオレなのだと、デュマは言い張ったが。
却下だ。
オレは王じゃない。
あの町外れの洞穴で、寄り集まったハズレ者は、誰に守られることもなく死んでいった。
春初めの青姉、夏終わりの朱兄。
守ることも、守られることもなく、ただただ寄り集まっていただけ、だと思う。
守るとか、守られるとか、そんな余裕はなかった。
それでも、姉、兄、と呼んで、弟と呼ばれるのは、少しだけ嬉しかった。
でもやっぱり、兄も姉も、最初からいなかったみたいに、いなくなって。
覚えて、呼んで、叫んで。
手を取って、腕にすがって、体にしがみついても。
風が吹いて留まらないように、皆、去っていった。
――どうせ、誰もかれもいなくなる。
だからもう、名前なんて覚えても意味はないと。
オレも名前を捨てた。
弟と呼ばれて少しだけ暖かくなった胸が、前以上に冷たくなったのを覚えている。
とうとうオレが一番の古株になってしまった時、冬初めの黒いのがきて、次に秋終わりの黒髪の女の子、そう、女の子が来てしまった。
春初めの青姉のことが、頭をよぎった。煤と灰で隠すように言ったのは、別に守ったわけじゃない。
それから一回か二回か季節が巡って、また何人かが冷たくなって、最初からいなかったみたいに、いなくなって。
そしてまた巡ってきた夏に来たあの子も、追い出さなかっただけで、面倒をみたわけじゃない。
それでも、兄、と呼ばれると、少しだけ嬉しかった。
あの町を出たオレ達が、自分たちで築いた城塞都市にいる。誰一人欠けることなく、全員で。
それでも名前をと言われて、真っ先に思ったことは、どうせいなくなるのに、だった。
だからこだわりなんてないし、名前なんて無くて「赤いの」でいいと思ったのに。
――デュマがあんなにも、オレの名前を言い張るとは思わなかった。
名前。オレの、名前。
覚えてどうする。
口には出さなかったが、そう思っていたら。
ラゴラ、とあの子が言った。
らごらびましっだらあしゅらおう、の「ラゴラ」と。これではだめだろうか、気に入らないだろうか、と。
気が付けば、全員がオレを見ていた。
全員が、オレの名前を待っていた。
オレの名前が決まったら、覚えて、呼んで。……一緒に、いてくれるのだろうか。
今までみたいに、いなくならないんだろうか。
ラゴラ。
オレの、オレを呼ぶためだけの名前。
この世界でたった一つ、オレを呼ぶ名前。
その日から。
ラゴラ、と呼ばれるようになった。
名前を呼ばれるたびに、そばにいるよと、言ってくれているように思えた。
ならば、オレもそうしよう。
そばにいると、名前を呼ぼう。
◇ ◇ ◇
ある日の、休憩室で。
「ラゴラの兄貴、決! 定! もー、二人して、なんでもいい、じゃねぇよな!」
「ふふっ、良かったですわ、無事に決まって」
「うん、ラゴラは、無事に決まって良かったなー」
「ねぇ、セイレーンがいくつも名前書いて、かわいい、かわいくないって、〇×つけてたんだけど」
「選別は大事。僕も熟考してる」
「お姉ちゃん、ぼくも考えてるよ! ……まだ思いつかないけど。かっこいい名前って、難しいね?」
「明日、無事に決まらない予感がすっごくする!
まぁ、とりあえず? ほら、お姫様のこともあるから、みんな会議室に移動だよー」
六人が口々に話しながら、それぞれ席を立つ。
最後に、一人が棚の上の箱を大事に抱え込んで、部屋を出て。
休憩室の扉が、ばたん、と閉じられた。
火炎魔人ラゴラ、白髪赤眼(カラーリング:エルリック)とか主張する、隠された天眼、封じられし右腕がうずいて仕方なかったです(封印しました)。
作者的サブタイトル「激おこぷんぷん丸、参上!」
絵本ネタ:話のテーマが「名前のない~」、そのままですね。本人、ネコっぽくはないですが。