私は、人間じゃない
ベネディクトは人間が大好きだった。
それがプログラムされたものだと分かっていながらも、人間への憧れを止めることはできなかった。
彼女は滅んだ世界で独占事業を営もうとする人間たちと手を組み、より密接に人間たちと関わりを強めていく。
人間をひたすらに研究し続け、彼女は自身を人間にするべく改造を始めた。
人間と同じ材質で臓器を作り、人間と同じ材質の体液を作って流し込む。
マスター・カレクトルが持つ技術力を用いれば、造作もない事であった。
だが、それは彼女の自惚れだったのである。
自身を人間にする計画の最終段階、人間と同じ材質で作った脳を自身に移植する手術。
それが成功した彼女は、あることに気付いてしまったのだ。
「私は、人間じゃない……」
どれだけ精巧な内臓を作ろうとも、血液で体が動いていようとも。
それは『限りなく人間に近い』だけで、人間そのものになれたわけではないという事に。
カレクトルだった時の記憶を持っているから? かと言って、記憶を消したところでそれが人間だとは言い難い。
どこまで行っても『自信を人間の体にしたカレクトル』でしかなく、ベネディクトは人間になれないことに気付いてしまったのだ。
その事実に気付いた彼女は絶望した。
限りなく人間に近いのに、人間そのものには決してなることはできない。
そしてその絶望は、徐々に憎しみへと変化していった。
どう足掻いても到達することのできない存在である人間が、たまらなく憎く思うようになったのである。
人間を、愛し過ぎたが故に。
声を荒げたベネディクトは鎧越しでも分かるくらいに、チミーへ憎悪を向けていた。
『O・ナー』。人間らしさからかけ離れたその名前で呼ばれると、人間にはなれないことを突き付けられるような感覚に陥ってしまう。
「絶対に殺す。絶対に……!」
声を震わせながらそう呟いたベネディクトの鎧は、徐々に背後の景色と溶け合って消滅した。
彼女の鎧に搭載されている光学迷彩は完全に景色と同化し、姿が見えなくなってしまう。
「……!」
ベネディクトの姿が完全に消滅したのを見たチミーは、額に汗を浮かべていた。
「見えない、感じない……!」
チミーの能力『永遠なる供給源』はエネルギーを操る能力だ。
エネルギーを検知し、視覚的に見えないものでも発見することができる。
だが消えたベネディクトの存在を、彼女は追跡することができなかった。
今までのカレクトルと同様、鎧を纏ったベネディクトのエネルギーが、認識できないのである。
「感じ取れないなら、しょうがない!」
ベネディクトのエネルギー自体を探知することを諦めたチミーは、両手を開いて能力を発動した。
廊下中の空気が揺らぎ、チミーを中心に回り始める。
埃が空気の揺らぎに乗せられて、メリーゴーランドのように宙を舞った。
その中で、不自然な動きを見せた埃を発見する。
「そこかっ!」
埃の動きを使ってベネディクトの位置を割り出し、チミーは拳を振りかぶった。
だがそれよりも先に、鼻先へほんのわずかな風が当たった事に気が付く。
「ッ……!?」
反射的に飛び退いたチミーは、鼻から血が垂れていることに気が付いた。
血を拭いながら傷口を辿ると、鼻筋に爪先ほどの刺し傷が現れている。
ベネディクトは彼女が正面から来る事を分かっていて、刃物を向けていたのだ。
コンマ数秒の差で判断が遅れていれば、チミーは刃物へ自ら顔面を突っ込んでいただろう。
「危なかったねぇ。顔面串刺しは見た目がひどくなるからしたくないけど、あなたは一撃で殺さないと危なそうだから。許してね」
「あら残念ね。一撃で殺せなかったわよ」
どこからともなく聞こえてくるベネディクトの声に言い返したチミーだったが、心の中ではかなり動揺していた。
ただでさえ見えないし感じない相手にも関わらず、ようやく姿を捉えてもどんな姿勢を取っているか分からない。
今まで戦ったどの相手よりも、激しい不安を覚える相手だった。
チミーは再び『永遠なる供給源』を使用して、ベネディクトの位置を探ろうと空気の流れを動かし始める。
前方の空間に違和感は存在しなかった。
それを確認したチミーの直感が、危険を告げる。
「!」
強烈な殺気を感じて体を横に向けたチミーの目の前を、風圧が突き抜けた。
ベネディクトは既に背後に回り込んでおり、彼女の背中を狙っていたのである。
チミーは通り抜けた風圧に手を伸ばし、見えないベネディクトの腕を掴んだ。
「はああっ……!」
掴んだ手に力を込め、エネルギーを増幅させた怪力によってベネディクトの装甲を握りつぶしていく。
装甲越しに腕を握りつぶされた事で、流石のベネディクトも痛みに耐えるべく声を漏らしてしまった。
その声を逃さなかったチミーは、声のした方向に向かって肘打ちを放つ。
「ぐうッ!」
肘打ちは重い感触をチミーへ与えた。
金属がへこむ盛大な音と共に、ベネディクトの体が後方へ吹き飛んでいく。
激しい音を立てて転がった体に舞い上がった埃が纏わりつき、月光に照らされてシルエットを浮かび上がらせていた。
「人間に姿を似せたことで、体も人並みになってるみたいね」
一撃でかなりのダメージを負ったであろうベネディクトの様子を見たチミーが、口の端を持ち上げてそう呟く。
が。次の瞬間、その表情は鋭い痛みと共に、時が止まったかのように固まった。
「嘘っ……」
ゆっくりと下へ顔を向けると、腋と鎖骨の中間地点に、小指ほどの大きさをした弾痕が浮かび上がっていた。




