そして運命は歪み始めた。
凄く長い夢を見た気がする。
遠い世界の出来事のような、そうでないような。
薄明かりに頬を照らされ、染口チミーは目を覚ました。
暗い部屋の中。
頬を照らしていた僅かな光は、崩れ落ちた屋根から覗いていたものだと気付いた。
射し込む光を反射した埃が、空気中をキラキラと舞っている。
「.....?」
崩れ落ちた屋根にまだ強い違和感を覚えぬほど、微睡みの残る意識の中。
手のひらに滲んだ、ひんやりとした感触へ目を向けた事で、ようやく自分の置かれている環境に気付く。
彼女は、瓦礫の上で眠っていたのだ。
崩れた屋根に、横たわる自身を支える瓦礫の山。
日常とは程遠い、明らかに異様な光景に、チミーの眠気はすっかり弾け飛んでいた。
足元に気を付けながらゆっくりと立ち上がり、滑り落ちないよう脹脛へと意識を集中させながら、瓦礫を降りる。
閉ざされた部屋の扉を開けると、外の景色が彼女の視覚に飛び込んだ。
「何...これ......」
彼女の目の前に広がっていたのは。
果て無き瓦落多の世界であった。
コンクリートの外壁が崩れ、穴だらけと化しているビルに、根本からへし折れた灰色の電柱。
真っ二つに亀裂の入った道路を歩いている人は、誰一人としていない。
夢を疑った。
しかし彼女の意識は、これを現実だと確信していた。
チミーは唾を飲み込み、その目を覆っていたゴーグルを外す。
露わになったその瞳は、透き通るような翡翠の輝きを光らせた。
美しく、どこか異質な雰囲気を持ったその瞳。
実際、この眼は少し特殊な性質を持っている。
『永遠なる供給源』。
それが彼女の持つ"超能力"の名だ。
この世に存在するあらゆるエネルギーを自由に操作する事のできる能力で、この眼はその『副産物』として生まれた体質。
あらゆるエネルギーを視覚化することができる目なのだ。
勿論、『あらゆるエネルギーが見える』事は好ましいものではない。
本質的なものは普通の人間とそう変わらないチミーにとって、『通常では見えない視覚情報』の過剰摂取は体調や感覚を狂わせる原因となってしまう。
それを防ぐために装着しているのが、この特殊なゴーグルだ。
VRゴーグルのような、目の全体を覆うように設計されたもので、 このゴーグルを付けた状態の視覚は一般人のそれと大差は無い。
逆に言えば、それほどの装備をしていなければ何だって"見えてしまう"のだ。
「生体反応は.....と」
地平線まで広がる滅んだ景色を、翡翠の瞳で一望する。
ある方向の、かなり距離が離れた場所に、微かだが生物らしきエネルギーを発見した。
あそこへ行こう。
膝を軽く曲げ、前のめりになった上半身を押し出すように地面を蹴る。
泥一つ跳ねない軽やかな蹴りにも関わらず、彼女の体は大きく前方へ推進した。
チミーの能力『永遠なる供給源』が、地を蹴った際に発生した運動エネルギーを増幅させ、モノレールの如き超スピードを生み出す。
2歩目。
再び地面を蹴り、その体を宙へと浮かび上がらせる。
慣性に従って前方へと進み続けるチミーの体は空中でさらに加速し、超高速の低空飛行を開始した。
その姿はまるで、人型のジェット機である。
通った瓦礫が風圧で砕けていくほどのマッハ飛行で数秒ほど。
視界の先に、小さな集落を発見した。
今までの景色と同様に、建物は崩れ、道は穴だらけ。
ただ他の場所に比べると、明らかに建物がきちんと建ち並んでいる。
そして、チミーはそこに複数のエネルギーを捉えていた。
能力を解除し、空中で体を落ち着かせながらふわりと着地する。
申し訳程度に建てられた塀から集落の中を覗くと、人の姿があった。
一番近かった、背の高い男性の元へ塀を越えて駆けつける。
突然走ってきた少女に驚いた顔を見せた男性へ、チミーは訪ねた。
「あの!これは一体、何が起きたんですか・・・・・・?」
荒廃した周囲の景色を見渡しながらそう口にしたチミーを見て、男性は「あぁ」とその言葉に対する理解を示す。
ただ、その表情は返答に困る人のそれであった。
しばらく考えた後、男性は申し訳なさそうな表情をチミーに見せる。
「なんと説明したら良いのやら・・・・・・。気が付いた時には、こうなっていた・・・・」
男性曰く、ここに居るのは偶然出会った生存者達の集まり。
全員が同じ状況・・・・・・すなわち『気が付いたらこうなっていた』事に困惑しており、誰一人として原因を知るものはいないのだと言う。
ありがとうございます、とチミーは礼を告げて男性から離れ、集落の中へ進んでいく。
一人、二人と他の人達の姿を見つけるが、みんなどこかうわの空というか、生気の抜けた表情をしている。
チミーが知らぬ間に、何があったのだろうか。
それを解明しなければならないと思うし、チミーにはその義務があると思っている。
何故なら、それは・・・・・・
チミーは、この星にとっての『重要人物』だから。
家屋を見渡しながら歩いていたチミーの視線が、あるものを見つけて止まった。
視線の先にあったのは、古臭い引き戸に立て掛けられた簡素な看板。
雑な字で書かれた『商い中』の文字に加えて、閉まりきっていない扉の隙間から漏れ出るふんわりとした食べ物の匂い。
チミーの足は、自然にそこへと向かっていた。
からから。
意外にも、扉は滑らかに横へと移動した。
傷だらけだが艶があり、清潔感が感じられるカウンター席。
テーブルの上にキッチリと並べられた調味料の瓶と、奥から僅かに聞こえてくる食器のかち合う音。
やはりここは、飲食店のようだ。
こんな状況で飲食店を商っているとは。
感心したように内装を見渡していると、扉が開いたことに気付き、店の奥から顔を覗かせていた女性と目が合った。
「あら、いらっしゃい!」
大柄な体格と強面な顔つきとは正反対なはにかみを見せ、女性は瞬間移動でもしたかのような速度でカウンターに立って着席を促す。
女性の素早い接客姿勢に圧倒され、チミーは思わず一番近くにある席へ座ってしまった。
椅子の高さを気にしている間に、目の前へ縦長の板が差し込まれる。
メニュー表だ。
唐揚げ定食、天ぷら定食.....メニュー量は多いものの、揚げ物しかないな。
そうチミーが苦笑いを見せた所で、彼女はある事に気付いた。
メニューを持っていた手が固まり、小さく呟く。
「あ。私、お金持ってない」
「あら」
そう、チミーは何も持たずにここまで来たため、一文無しの状況だったのだ。
もっとも、崩壊したあの場所で財布が残っているのかどうかは怪しいが。
しかし、女性はにこやかな表情を変えなかった。
「問題ないわ。みーんな、同じような状況だもの」
そもそもお金を取った所で、使う場所が無いわ。
そう言って軽く笑った女性を見て、チミーはホッと安心の息を吐く。
確かに、メニュー表に値段は書かれていない。
だったら、どうすれば?
そんなチミーの疑問に答えるように、女性は目を細めながら『代金』の話を始めた。
「ちょーっとお手伝いをしてくれれば、美味しいご飯を作ってあげる」
今にも崩れそうな皿の山が、チミーの目の前にそびえ立っている。
山吹色のエプロンを着けてもらったチミーの手に、靴ぐらい大きなスポンジが挟み込まれた。
背中の紐を結んだ後、女性は再びチミーの前に立って頷く。
「うん、似合ってるわよ!」
「皿....洗い?」
「そ。みんなにご飯を作る代わりに、掃除とか皿洗いとか、色々と手伝いをしてもらってるの」
なるほど、これが『代金』という事か。
チミーは納得したように、目の前の山を見上げる。
「んじゃ、私は仕込み作業に戻るから。何かあったら言ってね!」
そう言い残し、彼女は再び素早い動きで洗い場を去って厨房に消えた。
あまりに無駄の無いその動きを呆然と見送っていたチミーだったが、皿の山が僅かに崩れる音に我を取り戻し、皿洗いに取り掛かる。
チミーの能力『永遠なる供給源』を使い、エネルギーを操る事で汚れを一瞬で落とす.....のは可能だが、彼女の能力を知らないあの人は不安に思うだろう。
真面目に、手作業で洗っていくか。
スポンジを蛇口に近付け、水栓をひねる。
少し勢いは弱めだが、透明な水がスポンジを濡らし始めた。
こんな惨状でインフラなんて生きているはずが無いから、この水はどこかから引っ張ってきているのだろうか。
そんな事を考えながら、濡れたスポンジを軽く絞り、洗剤を付ける。
水で大雑把に食器の汚れを落とした後、スポンジで泡を立てながら擦っていく。
泡を水でしっかりと落とした後、乾燥台に並べる・・・・・・そんな作業の繰り返しが、20分ほど続いた。
繰り返す作業に少し疲れが出始めたとはいえ、食器が残り半分と終わりが見え始めてきた頃に。
店の入り口の開く音が、僅かに響いた。
「あら、いらっしゃい!それ、今回の『代金』?」
「あぁ、丸ごと一匹。十分だろ?」
聞こえてきたのは店主の声に加えて、男性の声。
洗い場から頭だけを覗かせると、開いた扉から射し込む逆光に、照らされた影が1つ。
肩に担いでいた巨大な鹿をテーブルに下ろすと、引き戸を丁重に閉めた。
射し込んでいた光が扉に防がれ、影になっていたその姿が露わになる。
控えめながらも主張の強い顎髭に、彫りの深い顔。
シャツにベストを羽織り、頭にはテンガロンハットを被るカウボーイのような出で立ちの男が、そこに立っていた。
読んで頂きありがとうございます。
毎週月曜日の朝8時に更新する週連載で行こうと思っているので、週明けの楽しみになれるよう頑張ります。
興味が出たら、前作も読んで頂けると嬉しいです。