ささやかな幸せ 【月夜譚No.213】
気合いを入れる為に、今日は濃い色のリップを選んだ。普段は使わない、艶やかな紅だ。
メイクも服装もばっちりだ。最後に鏡台で前髪を整えて、彼女はいつもより高いヒールに足を入れた。
――とまあ、意気揚々と家を出たのは今朝のことである。
確かに、身形は完璧だった。しかし、それ以外に気が回らなかったというか、不注意だったというか……。
時間を読み間違えて盛大に遅刻をし、途中で買ったソフトクリームはスカートに落とし、慣れない靴に躓いて膝を擦り剥き、果ては何処かに財布を落としてしまう始末。折角の初デートだというのに、散々な一日である。
ベンチに座って項垂れていた彼女は、耳に入った雨音に絶望の表情を上げた。夜の花火大会を楽しみにしていたのに、天候にも恵まれないとは。
彼女はくすんでしまった唇に指で触れて、溜め息を吐いた。
その時、席を外していた彼が戻ってきた。近くのカフェで買ってきたらしいコーヒーを両手に持ち、片方を彼女に渡す。
彼は彼女の弱々しい笑顔に眉を寄せ、徐に腕にかけていたビニール袋から何かを取り出した。
「ね、今日は二人だけで花火大会しない?」
差し出されたのは、手持ち花火のセット。コーヒーを買いにいく途中で見かけて買ってしまったと、彼ははにかんだ。
その表情が優しくて、彼女は瞳を潤ませた。慌てる彼がおかしくて、つい噴き出してしまう。
彼の気遣いだけで不運も不幸も吹き飛んでしまうのだから、不思議なものである。小さな花火大会に想いを馳せて、彼女は色づく口元を綻ばせた。