8.
マリーを呼んだ後、セレーナは話があるから夕食は食堂で食べると父に伝えるよう言付けた。
夕食までの間部屋でのんびり過ごし、夕食の時間になるとすぐ食堂に移動して、誰よりも早く席に着いて父と兄を待った。
暫くして二人が食堂にやって来ると、席に着いたのを見計らって口を開いた。
「今、何と言った……!?」
「ですから、きょうしを付けていただきたいのです……」
そうして今の状況に至る。
因みに、父が最奥の席、その斜め前父から見て左側が兄で右側がセレーナの席となっている。
いつもは重い足取りでゆっくりそろそろと行動するセレーナが比較的きびきびと行動しているのを目の当たりにした二人は驚いたが、更にセレーナが放った一言に驚愕して口を開けたまま固まってしまった。
夕食が運ばれてきても手を付ける事無く、というか、食事が運ばれてきている事にすら気付いているかどうか。そのくらい驚いているようで、微動だにせずセレーナを凝視している。
「っセレーナ、まだ体調が良くないのかい?」
「ごしんぱいおかけしました。たいちょうは良くなりました」
「そう……?」
先に我に返った兄が心配そうに声をかけると、セレーナはぺこりと軽く頭を下げて答える。
それでもまだ訝しげにこちらを窺う兄から父に視線を移す。すると、目が合うとピクッと父の肩が僅かに跳ねる。
もしかしたら意気込みすぎて怖い顔になっていたかもしれないと、静かに深呼吸をして気持ちを落ち着けた。
「ど、どうしたんだ……突然……」
動揺が表に出てしまったのだろう父が、どもる。
そんなに二人とも信じられないようなものを見る目で見なくても……とセレーナは居心地の悪さを感じたが、確かに昨日まで家族らしい会話もせず、二人が話していても自分は黙々とご飯を食べていた。そんな自分が突然口を開いたかと思えば、怖い顔で教師を付けてくれなんて、それは誰でも驚くかと一人納得した。
(むりもないわよね。わたしでも、とつぜんそんな事言われたらびっくりするわ……)
でも、ここで引き下がるわけにはいかない。
私は正夢になるのを回避するのだ。長生きしたい。出来れば老衰がいいな、とセレーナは思う。
それに、なにより十六歳になった夢の中の自分は全然幸せそうではなかった。
側近であった彼とは穏やかな時間を過ごせていたのかもしれないけれど。でも、きっとそんな時間は僅かだっただろうと推測する。
(マリーもねがってくれていた。わたしがえがおですごせる毎日を)
未来の幸せの為には、まずこの一歩を踏み出さなければ。そして、成功させなければ。
じっと父を見つめていると、ふっと息を吐いた後、僅かに表情を緩めてセレーナに言った。
「……わかった。出来るだけ早く適任者を選定するから、それまではゆっくりしていなさい。決まり次第マリーに言付けよう」
「ありがとうございます。お父様」
「っ!」
「……?」
再びぺこりと頭を下げてお礼を述べたセレーナに、父も兄もこれまた再び驚愕していた。声も出ないようで、口をぽかんと開けてフリーズしている。
何をそんなに驚いているのかとセレーナは疑問に思いながらも父に視線を戻すと、父の瞳が少し潤んでいるような、気がした。
「初めてお父様と呼んでくれたね……セレーナ」
「っ、そう、でしたでしょうか……?」
言われて初めて気付いた。
父に言われた通り、恐らく自分は生まれて七年、一度もお父様と呼んだことがない。
そして、恐らく……向かいに座る兄も、最後にお兄様と呼んだのはいつだったか思い出せない程、長らく呼んでいなかった気がする。そう思い、ちらりと正面を見てみるとキラキラした表情で何かを期待してこちらを見ている兄と目が合った。
何か、なんて言わなくてもわかる。呼ばれるのを待っているのだ。お兄様と。
「セレーナ、僕もお兄様と呼んで?」
「……お、兄様」
「っ!うんっ!」
今まで冷たく感じていた家族の空気がこれをきっかけに温かいものに変わった気がした。
気恥ずかしくて顔を赤くしているセレーナと、久々に妹にお兄様と呼ばれてご機嫌な兄の様子を眺めていた父も頬を緩めた。
そして、優しい声で言った。
「……これからは、もう少し家族の時間を持とうか」
「本当ですかっ! 父上!」
兄は目を見開いた後、満面の笑みを浮かべ喜んだ。
セレーナも大粒の涙を溜め、くりくりとしたアメジスト色の大きな瞳を揺らしながらこくりと頷き、小さな声で、……はい、お父様。と答えた。
そんな二人を、父も優しい眼差しで見つめていた。
夕食を終えたセレーナは部屋に戻って湯浴みを済ませ、ベッドに入っても落ち着かない。
余りに上手く行き過ぎてふわふわしている。正直、教師の件も兄や父との関係ももっともっと時間がかかると思っていた。
まだ第一歩を踏み出したばかりで、教師も決まっていないし家族の時間も始まったばかりだ。何も成し遂げていない。
それでも、今日一日中々上出来ではなかっただろうか。
寝る支度を整えていたマリーは、ベッドに入ってもそわそわしているセレーナを見てくすくすと笑った。
「どうしたの、マリー?」
「いえ、姫様がなにやら嬉しそうなご様子でしたので……失礼しました」
「ううん……」
そわそわと言っても、端から見ればわからないような僅かな変化なのだが。それこそ長年セレーナを気に掛け見ていたマリーだからこそ気付いたものなのだ。
マリーはこほんと咳払いすると、笑顔が消えいつもの侍女の顔になる。
それでもいつもより目元が優しく見えるのは、気のせいだろうか。
布団を口元まで引き上げて、ちらりとマリーを覗き見る。
「あの……あのね、今日はじめてお父様とお兄様とちゃんとお話できたの……。お父様もお兄様もわらっててね……うれしかったんだぁ……」
「そうだったのですね。それは大変喜ばしい出来事でしたね」
「うん……マリー……とも…………おは……なし…………」
マリーの優しい声を聞いていると先程までのそわそわがどこかへ行き、あっという間に眠気がやってきて、意識が朦朧としてきた。
その様子を見たマリーが、囁くように声をかけて退室する。
「おやすみなさい、姫様。良い夢を」
こんな充足感に満ちた一日は初めてだったセレーナは、夢と現実の境目が曖昧になりながら、今日は良い夢が見れそうだな……と思い、夢の世界へと旅立った。
漸く一日が終わりました……
精進します……!