60.
優しいセレーナの声でその名を呼ばれたレオは、背筋に嫌な汗が伝った。
「は、はい」
緊張した面持ちで返事をすれば、セレーナはそれはそれは可愛らしい笑顔で怒っていた。
レオ以外の年頃の男が見れば百発百中惚れてしまうであろう可憐な笑顔で。
「私以前にお話ししませんでしたか?」
「え、と……」
「もっとご自分を大事にしてくださいとお願いしましたよね?」
「あ……その」
「伝わりませんでしたか?」
「いえ、そんなことは……」
「何故いつもすぐにご自分を犠牲にしようとなさるのですか? 私を試しているのですか?」
「ち、ちが」
「趣味ですか? 嗜好ですか?」
「いえ……」
「では、罰しましょうか? 私の騎士のお願いですもの。叶えるのも主の務めですわ」
黒い。セレーナの笑顔が真っ黒だった。
こんなにも笑顔で怒るセレーナを初めて見たレオはしどろもどろになる。
言葉も最後まで言わせてもらえない。
だらだらと嫌な汗をかくことしか出来ないレオを気にも留めることなくセレーナは続ける。
「そうね……。私の護衛騎士、外れてもらいましょうか?」
「え…………」
その瞬間、レオがピシリと固まった気がした。
レオの顔に影が落ち始める。
ああ、この顔は自己嫌悪に陥ってる表情か。
少しずつレオの表情もわかるようになってきたなとセレーナは冷静に思う。
そして、彼の表情が完全に見えなくなる直前、パンッと一度手を打ち鳴らした。
その音にビクッと反射的に顔を上げたレオに笑みを崩さず告げる。
「なんて」
「え……?」
「冗談ですわ。レオ卿に居なくなられたら困りますもの。さて、このお話は一旦お終い! 帰ったらお部屋に来てくださいね」
「は、い……」
安堵と緊張と不安を綯い交ぜにしたような表情を浮かべるレオにセレーナはいつもより優しく聞こえる様に意識して声をかける。
「大丈夫ですよ。護衛騎士を外したりなんてしませんから。ここでお話しにくいことなので後でと言っただけです」
「それって……」
「一旦お終いって言いました! お終いですっ」
セレーナの頬が少し赤い。
レオは緩く微笑むとそれ以上は何も言わず、頷くに留めたのだった。
「お待たせ致しました。では中庭に案内していただけますか?」
「はい。こちらです」
スクード医師は特に何を聞くでもなく、まるで何事も無かったかの様に案内を再開した。
しかし中庭に移動中、スクード医師はにこにこしながら言った。
こんなに短い時間でお二人の仲の良さを沢山見せていただけて幸せです、と。
これに対しセレーナはコホンと咳払いを一つして、お見苦しいものをお見せしましたと言い、レオは無言のまま顔を背けて頬を掻いた。
それを見てまた医師は楽しそうに笑った。
「こちらが中庭になります」
「広いですね」
「はい。皇帝陛下のおかげで病院自体も街の医院なんかより大きいですし、中庭も散歩やリハビリに使えるくらいの広さがあるのでとても助かっています」
「そうですか。だけど、緑が少ないのね」
「それは仕方ありません。薬草なら別ですがそれ以外の植物は必要経費ではありませんので」
広い中庭に所々に植えられている木を眺めてセレーナは考える。
(今日見ただけでも改善の余地はありそうだったわ。後で纏めて実現出来るか考えなくちゃ)
「……ふぅ」
「あ、すみません。まだ春とはいえ、日差しの下にいると暑いですよね。そろそろ中に入りましょうか。最後は休憩も兼ねてスタッフルームにご案内します」
「わかりました」
そう言って最後に連れられたのは、スタッフルーム。
ここは治療室の倍くらいの広さがあった。
部屋の真ん中に長机に椅子、そして部屋の右手に簡易のキッチンも付いている。
そして、部屋の壁に沿って簡易キッチンの場所以外に書類の束が六つくらい載りそうな机と椅子がびっしりと並べられていた。
部屋自体はそこそこの広さがありそうだったが、使用人数が多くてとても狭そうだ。
部屋を通る人たちは基本的に壁際にある机用の椅子と部屋の真ん中にある長机用の椅子に挟まれる形になるので横歩きだった。
スクード医師は苦笑いをして、こちらへどうぞと長机の一番手前側の椅子を引いてくれたので、お礼を述べてから座る。
「あの、ここは皆さんで使っているのですか?」
「そうです。スタッフルームはここだけなので、仕事も食事も全員がここを使用しております」
「他に部屋は余っていないのですか?」
「二階にもあるにはあるのですが……。二階と一階のスタッフルームを行き来するのも面倒ですし、キッチンはここしかないので、なんだかんだここが一番手っ取り早いという理由で全員がここに集まるんですよ。忙しいのもあって、少しでも体力を温存したり休みたい者が多くて……。かく言う私もその内の一人なのですけどね」
「なるほど……でも、狭いのでは?」
「まあ……。ですが、それは仕方ありません。皆で使っていますから。少しでも楽が出来るのなら多少の不便には目を瞑ります」
「そういうものですか……」
セレーナの質問にスクード医師は笑って答える。
セレーナは神妙な顔で頷きながら、また思考の海に沈んでいく。
うーんうーんと考えに没頭しているセレーナに温かい眼差しを向けてから、スクード医師はレオに話し掛けた。
「皇女殿下とは初めてお話させていただきましたが、皇帝陛下やスフィーダ殿下同様にとてもお優しい方なのですね。まだ、幼いというのにこんなにも真剣にこの場所について考えてくださるとは思ってもいませんでした」
「殿下は、本当にお優しい方です」
「レオさん、でしたかな?」
「はい。お好きにお呼びください」
「貴方の瞳は左右で違うのですね」
「……はい」
「あ、いえいえ、決して侮辱的な意味で尋ねたのではありませんよ。不快な思いをさせてしまったのなら謝ります」
「いえ、大丈夫です。気にしていませんから」
「この国ではオッドアイというのは忌み嫌われる方が多いのは存じております。私自身は特に何も思ってはいませんが、レオさんの瞳の色は綺麗だな、と思いまして」
「はあ」
「皇女殿下に瞳について尋ねられたことは?」
「随分前に……綺麗だと、褒めていただいたことがあります」
「そうですか」
その時のことを思い出したのか、レオの耳が朱に染まる。
スクード医師はにっこりと笑って頷いた。
未だに思考の海を漂っているセレーナには全く二人の会話は聞こえていない。
スクード医師が、ああ、飲み物も入れず失礼しましたと言い、レオもお構いなくと返した時、スタッフルームの外が騒がしくなり、二人してそちらに目を向けると、この国の皇帝陛下であるヴァルールと同じくこの国の皇子であるスフィーダがスタッフルームに入って来た。
スフィーダは部屋に入ってすぐセレーナを見つけると、そのまま真っ直ぐ妹の側に寄り、その肩をとんとんと優しく叩いた。
いつもお読みいただきありがとうございます!
セレーナもレオもお互い相手が傷つくことが辛いので、つい自己犠牲的な発言をしてしまい同じ様なことを繰り返しちゃう二人ですが、二人の成長を長い目で見守っていただけると嬉しいです。
前向きになるんだレオくん!と思いながら、毎回撃沈しております…。




