56.
いつもお読みいただきありがとうございます。
今回は本編であり番外編でもあるような…ゆるっとした空気をお楽しみいただければと思います。
「事前に伝えていたと思うが、今日行くのはイデアル帝国中央病院とペラルゴス孤児院だ。まずは病院からまわって行くが、もし途中で気分が優れなくなったり体調に異変を感じたらすぐに言うこと。いいね?」
「はい、お父様」
「セレーナは初めて行くからもしかしたら刺激が強すぎるかもしれない……」
パカパカ、ゴトゴトと馬の足音と馬車の車輪が地面を滑る音が聞こえる中、その馬車の中にセレーナと、現皇帝であり彼女の父であるヴァルール、その息子でセレーナの兄のスフィーダ、そしてセレーナの護衛騎士であるレオが乗車中である。
今走っている場所はまだ皇宮からそう離れていない、皇宮から街へと下る道の為木々が多く人の姿もない。
この道を通るのはセレーナ達皇族や城の関係者、食料や手紙の配達をする者、呼ばれた商人、皇帝に謁見する者など、つまり基本的には皇族以外は仕事関係者しか通ることがない道なのだ。
そういう訳で、窓から手を振る必要もないため移動中、父ヴァルールが今日の行程を説明しているというわけなのである。
初めての公務が病院の視察とあって、父も兄もセレーナを心配そうに見つめる。
何せセレーナはこれまで誘拐事件のあったあの日を除き、皇宮から出たことが無いのだ。
しかも街に出た唯一の日は祭りの日だったことで、国民の笑顔溢れる場所しか見ていないのだ。
だから病気や怪我をしている人間が集められている場所など見たことも無い。
そのような場所に連れて行って本当に大丈夫なのか、もし連れて行って病人や怪我人の前で具合が悪くなってしまったら……彼らのセレーナへの印象が更に悪くなってしまうのではないか。
そんな不安が無いわけではなかったが、セレーナが変わろうとしている姿を見ていたヴァルールは、きっとセレーナにも得るものがあるだろうと今回の視察の同行を許可したのだった。
「大丈夫ですわ、お兄様。そんなに心配なさらないでください。私もこの国の皇女、少しでもお父様とお兄様のお役に立ちたいのです。その為には、まずこの国のあらゆるものを見て知らなければなりません。まだ第一歩を踏み出したばかりで右も左もわからないのですが……」
「その第一歩が大切だと父様は思うよ、セレーナ」
「そうだよ! 大丈夫、これからゆっくり知っていけば良いよ」
「はい」
緊張した面持ちだったセレーナだが、二人の優しさに頬を上気させて嬉しそうに笑った。
その笑顔に兄スフィーダは堪らず向かいの席に座っていたセレーナに飛びつこうとするが、父に危ないからと手で制されてしまう。
むうっと頬を膨らませる兄に可笑しくなってセレーナはくすくすと笑った。
それを見て父も兄も穏やかに笑う。
馬車に乗ってからまだ一度も言葉を発しておらずポーカーフェイスのままのレオもちらりと横目にセレーナを見て少しだけ口元が笑んでいる。
急に恥ずかしくなったセレーナは顔を真っ赤にして壁を作るようにしてレオの前に手を開いて突き出した。
「わ、笑うなんて反則ですっ!」
「反則……ですか?」
真っ赤な顔をして俯いているセレーナの顔は髪と手に隠れていてよく見えない。
きょとんとした顔で返すレオに、弱々しい声で今、こっち見ちゃいやです……と告げたセレーナ。
すると、きょとんとした表情から一変青ざめて硬直するレオ。
そんな二人のやりとりを見ながら父と兄はこそこそと話す。
「父上、僕たちは何を見せられているんでしょうか?」
「さあな、可愛い娘の甘酸っぱい初恋かな」
「セレーナは彼の様な男性が好きなのでしょうか?」
「さあな」
「自分で言うのもなんですが、僕だってそれなりにかっこいいと思うのですが……」
「そりゃあ、この父と母の子だからな」
はっはっはと楽しそうに笑う父につられて、スフィーダも笑う。
ヴァルールの笑い声にセレーナもレオも意識をそちらに向けると、生温かい目で父が二人を見ていた事に気付く。
居たたまれなくなったらしいレオが、こほんと一つわざとらしい咳払いをして空気を変えようと口を開いた。
「皇族の方って、結構愉快な方だったのですね」
言ってからハッと気付いたようで慌てて口を押さえるが時既に遅し。
不敬にも程がある。
皇族、それも現皇帝に対して愉快な人などと。
咄嗟にセレーナはレオを守らなければと、口を開こうとするがそれより早く父が悪戯がバレた子どものような表情をして見せた。
「気付いたか」
「え……?」
「大人など、年を取っただけの子どもだ」
「いや、そんなことは……」
何と言うべきかレオが言い淀み、セレーナとスフィーダは呆気にとられている。
ヴァルールは気にすることなく、話を続けた。
「他の国ではどうか知らんが、私はこの子たちを出来るだけ普通の家族のように育てたいと思っている」
「それはどういう……」
「幼くして母を亡くしたこの子たちに、新しい母が出来、もし子どもが出来たら皇帝の座を狙い争いが起きるかもしれない。子は出来なくとも、新しい母がこの子たちを愛してくれるとも限らない。だから、私はこの先も皇后を娶ることはない。私の妻は生涯ルネッタだけで、セレーナとスフィーダの母もルネッタ唯一人だ」
「父上……」
三人は静かに耳を傾ける。
レオは勿論のこと、セレーナもスフィーダも父がこんなことを考えてくれていたなんて初めて知った。
そして、こんなに愛してくれていたことも。
「私にはセレーナとスフィーダという宝物がいる。二人には出来るだけ笑顔で居て欲しいと思っている。だが、皇子と皇女という責務がついてまわることも解っているんだ。だからせめて、家族で過ごす時間だけはただの父親として接したいんだよ。……まあ、そういう訳で本来は仕事外では悪戯だってするし楽しければ笑うさ」
「え、ですが今は公務の……」
「今は移動中だから、半分仕事で半分まだ仕事じゃない」
「ええ……」
感動でじんとした空気が流れていた中、ヴァルールは少しおどけて見せてころっと空気を変えてしまった。
これには三人共、苦笑するしかない。
「そういう事だから」
「ええと……はい……?」
「キミにも会えて嬉しいんだよ、レオ卿」
「はい。幸栄に存じます陛下」
「キミがセレーナと出会ってくれてから、娘は明るくなったしよく泣くようにもなった」
「それは……大変申し訳なく……」
「いや、責めているわけじゃない。この子を小さくて狭い世界から外の世界に連れ出してくれたことに感謝しているんだよ。ありがとう」
「そんな……私は何も……」
「キミの存在が、セレーナに変わるきっかけをくれたのだと私は思う。私たちでは何も出来なかった。ただ、セレーナを見守る以外何も出来なかったんだよ……」
(こんな後悔したようなお父様の声、初めて聞いた……。こんな顔をさせているのは私なんだ……)
ヴァルールとレオのやりとりを聞きながら、セレーナは罪悪感でいっぱいになった。
私がもっとしっかりしていれば。
私がもっと溌剌としていれば。
私がもっと家族と向き合えていれば。
私がもっと……。
弱い自分が情けなくて悔しくて、膝の上に置いていた手をドレスごとぎゅっと握り込む。
「お父様」
「ん?」
凛とした声で父を呼んだセレーナに、三人の視線が集まる。
「ご心配をおかけして申し訳御座いません。これからはもっと学び、この目で色んなものを見ていきたいと思っています。いつか、お父様にもお兄様にも自慢に思ってもらえるような娘に、妹になれるよう努力してゆきます」
「セレーナ。キミはもう十分、僕の自慢の妹だよ」
嬉しそうに目を細めて笑うスフィーダと、子どもたちを見て穏やかに微笑むヴァルール。
仲睦まじい親子を眺めて、レオも嬉しそうに笑んだのだった。
「ああ、そうそう。だからね、セレーナをお嫁に欲しくなったらいつでも言いなさい」
満足そうに笑顔で言い放ったヴァルールの言葉に、場の空気が凍りついたのは言うまでもない。
その様子をヴァルールだけが可笑しそうに見た後、窓の外に視線を移し風にそよぐ青々と茂った葉を眩しそうに目を細めて眺めたのであった。
おまけ
レオ「……(硬直)」
セレーナ「お父様!? な、何を突然……!?(混乱)」
スフィーダ「父上!? セレーナに結婚はまだ早すぎます!!(絶叫)」




