4.
朝食を食べ終えたセレーナは、また寝室に戻りベッドの上で先程の出来事を思い返していた。
先程、朝食を持って来てくれた侍女に、いぜん名前を教えてもらったと思うのだけど……その……と言い淀んでいると察した彼女が、マリーと言います、姫様。と気分を害する事も無く教えてくれた。
むしろ嬉しそうに感じて、セレーナは申し訳なく思った。
「今まで名前もおぼえていなくてごめんなさい。これからはちゃんと名前でよぶわ、マリー」
「姫様に名前を呼んで頂ける日が来るなんて……っ! マリー、ここで命尽きても本望で御座います……!」
笑顔から一転、感極まったようで泣き出してしまったのだ。
最初こそ驚いてあたふたしたセレーナだったが、手で口元を押さえながら喜びを噛み締めているマリーを見て、ふはっとセレーナは笑みを溢した。
まだ涙をボロボロ溢しているマリーは、涙で濡れた瞳をパチパチとさせて目を見開いている。
「姫様がわら……っ! 私を見て笑ってくださった……っ」
そう言ってまた泣き出してしまった。
彼女には随分と心配をかけてしまっていたようだとセレーナは反省する。
マリーはセレーナが物心ついた時には既に世話をしてくれていた。
二年前まではまだマリー以外にも数人の侍女が居たけれど、元々内気だったセレーナは一年経っても二年経っても慣れる事が出来なかった。
そうして五歳の誕生日、意を決して父に、侍女を一人にして欲しいとお願いをしたのだ。
はじめは渋っていた父も、不安そうに青い顔をして訴える娘には敵わず、渋々ながら頷いてくれたのだった。
それからのここ二年は、ずっとマリーが一人でセレーナの身の回りの世話を全てやってくれている。
きっと、ずっとセレーナの事を心配してくれていたのだろう。
これまで大した会話をしてこなかったため、普段のマリーを知らなかったけれど、これが彼女の素なのかもしれない。
いつもの侍女の鑑の様な淑やかな姿ではないマリーを見て、セレーナも少し打ち解けられた気がする。
「……あのね、これからわたし、がんばるね。マリーが心配しなくてもいいように……。すぐにはむずかしいけど……でも、がんばるからね」
「姫様……っ!!」
だから泣かないでと言外に含めて言うと、涙が止まりかけていたマリーの瞳からはまたぶわっと大量の涙が溢れて、セレーナは照れくさそうに小さく笑った。
その瞬間、マリーの腕が伸びて来てセレーナを抱きしめる。
誰かに抱きしめられた記憶のないセレーナは、咄嗟に身を強張らせた。
そんなセレーナに気付いていないのか、マリーは顔を赤くしてぎゅうぎゅうとセレーナを抱きしめ、わんわんと泣いた。
「わた……っ、私……ずっと……ずっと姫様の事が……心配で……っ。姫様をお産みになられてから皇后様は亡くなられて……っ皇帝陛下もお忙しい身であられますから……中々親子の時間が取れず、姫様がお寂しい思いをしている事を知っていても……私には何も出来なくて……っ。姫様は、お父上であられる皇帝陛下にも皇子殿下にも本心を打ち明ける事無くお一人で耐えていらっしゃいました……! そんな姫様が、初めてこのマリーにお気持ちをお話してくださったのです……っ!」
嗚咽を漏らしながらも一所懸命に言葉を紡ぐ彼女に、セレーナは彼女の腕の中で静かに聞いた。
「ってああっ! 私ったら勢い余って姫様を抱きしめるなど…………っ!」
「……うん、ありがとうマリー」
暫く語った後、漸く我に返ったらしいマリーが赤い顔を瞬時に青くして離れようとした所で、セレーナは体の力を抜いて身を預ける。
(……うん。がんばろう)
あわあわしているマリーが少し可笑しくて、でもそんな空気が心地よくてセレーナは唇に薄く弧を描くと、暫く身を預けたまま目を瞑った。