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46.

 それからの四日はあっという間だった。

 翌日にはレオの制服の採寸をし、出来上がるまで一周間だというので、その間レオは私服で過ごすしか無い為、あまり外聞が良くないかとセレーナも勉強を理由に出来るだけ部屋から出ないようにして過ごした。

 扉の前には護衛が居るし、自室で過ごすならばそこまで警戒する必要もなかったので、セレーナとマリーとレオの三人でのんびりとお喋りをしたりして過ごした四日間は、セレーナにとってはまるで夢のように楽しい時間だった。

 当初レオは、制服が出来上がるまでの一周間私服でも側に立つつもりだったようだ。

 しかし、セレーナは私服で側に立たせるのは申し訳ないので、お話相手になって欲しいとお願いしたのだ。

 困惑していた彼に、マリーがこの部屋で四六時中セレーナに張り付いている必要もないだろうと言われ、それもそうかとセレーナのお願いを受け入れてくれた。

 元々引き籠もっていたセレーナにとって部屋から出なくて良いのは僥倖だった。

 それからは、毎朝レオはセレーナの部屋を訪ね夕方までお喋りや勉強をする中で、少しだけレオの事を知る事が出来た。


「セレーナ様、そこはこのように……」

「なるほど。レオ様はお勉強を教えるのが上手なのですね」

「いえ……」


 学校に行くつもりがないように話していたレオであったが、セレーナに勉強を教えてくれたことから、彼は勉強が出来るらしい。

 勿論セレーナはまだ七歳なので難しい内容はないのだけれど。

 それでも人に教えられるということは、勉強が出来る証拠だろう。

 人に教えるということはまず自身がきちんと理解出来ていなければならず、教え方も分からなかったはずだろうから。

 そう思うと、アカデミーに通わないのは勿体ないように思う。

 けれどもしレオがアカデミーに通うことになればあまり一緒には居られなくなってしまう。

 それを考えるとアカデミーに行く気がなく、セレーナの護衛騎士になったレオの気持ちが嬉しくもありなんとも複雑な気持ちだった。

 因みに、勉強の為に部屋に籠っている建前上、本当に勉強しておかなければと頑張った結果、セレーナの話し方も大分子どもらしい舌っ足らず感が抜けた。

 五日目、お茶請けにクッキーが出た。

 レオはクッキーが好きなようで、クッキーを食べた時だけ僅かに表情が柔らかくなることに気付いた。


「レオ様はクッキーがお好きなのですね」

「え? 特に好きというわけでもありませんが……」

「あら? クッキーを食べた時だけ、少し優しいお顔をなさるのですよ」


 不思議に思い尋ねてみるも、本人は無自覚らしくきょとんと目を瞬かせていた。

 しかし、ふいにどこか遠くを見つめるような瞳で少し寂しげに微笑む。


「クッキーが……というより、クッキーを食べると少し懐かしい気持ちになるのです。そのせいでしょうか」

「まあ、素敵な思い出なのですか?」

「そう……ですね……。忘れることの無い大切な思い出です」


 その言葉が、微笑みが何故だかセレーナの心を苦しくさせた。

 これ以上深く聞いて良いのだろうかと悩み、セレーナは躊躇する。

 公爵家では一人離れで過ごしていたというレオに、優しい思い出があるらしかった。

 それは幼い頃の両親との思い出なのか、それとも今でも仲の良い弟妹との思い出なのだろうか。

 聞くべきか否か迷っているとふと、レオの視線が自分に向けられていることに気付く。


(わ……たし……?)


 まるでその思い出の相手が自分だと錯覚してしまいそうな視線に一瞬ドキリとしたセレーナだったが、当然レオとそんな思い出はあるはずもなく、何も言えぬまま首だけを傾げた。

 もしや、忘れているだけで実はもっと幼い頃にレオとクッキーについての思い出があったりするのだろうか。

 寂しげな瞳も見ているこちらが切なくなるような微笑みも気になった彼女は、思い切って尋ねてみることにした。


「あの……もしや、レオ様のクッキーの思い出の相手は私……ですか?」

「……え」


 おずおずと尋ねたセレーナの言葉に、レオの瞳が揺れた。

 やはり自分なのかと口を開こうとしたセレーナより先にレオの方が口を開く。


「どうして……」

「え、と? レオ様の瞳が私に向けられていたので、私が忘れているだけなのかな……と。違いましたか?」

「あ、ああ……」


 セレーナの返答に、彼は寂しげに目を伏せた。

 答え方を間違ってしまったのだろうか。

 もし忘れてしまっているのなら思い出したい。

 そう思い、落ち込んでしまったレオに話し掛ける。


「あの……もしよろしければそのお話を聞かせてはいただけませんか?」

「はい……」


 そうして、彼から語られた思い出話は明らかにセレーナではなかった。

 要約すると、随分と前にある人にクッキーを貰ったことがあるらしい。それは彼女が一生懸命本を読んで勉強し、初めて手作りしてくれたものであったと。そして、とても大切な人であったと。だから、クッキーを食べるとどうしても彼女のことが思い出されてしまうのだと話してくれた。

 その話を聞いたセレーナは、後悔した。

 自分が忘れているだけだと思ったから、聞けば思い出せるかも知れないという安易な考えだった。

 まさか、自分ではなかっただなんて思いもしなかったのだ。


(それじゃあ……さっきのあの瞳はなんだったの……?)


 そこではたと気付いてしまった。

 恐らくだけれど、自分は彼の大切な人に似ているのかもしれないと。

 その考えに至った瞬間、先程までの楽しかった気持ちはみるみる萎んでいき、悲しい気持ちでいっぱいになった。

 レオの話を聞きたいなどと言っておいて勝手に泣き出すなど自分勝手も甚だしい。

 ぐっと泣きたい気持ちを堪えて笑顔を貼り付ける。


「その……え、と、女性は今は……」

「レオ卿って十一歳でしたよね?」

「そうです」


 何でもない風を装って話そうとしたものの、声が震えそうになったセレーナを庇うように今まで黙って給仕に徹していたマリーが口を挟んだ。

 とても大切だという女性のことは気になるが、マリーの助け船には内心ホッとしていた。

 彼女が話してくれている間にどうにか心を落ち着けようと、聞き役に徹する。


「なんだか随分大人の恋愛みたいなお話をされるんだなあと思いまして」

「え、あ、いや……そんなことは……」


 マリーの質問に明らかに狼狽えるレオ。

 動揺させるようなところがあっただろうかと考えてみたけれど分からず、セレーナは事の成り行きを静観する。


「何を動揺されているんです?」

「あ、いえ、別に……」

「そうですか。それで、その彼女は今どちらにいらっしゃるんですか?」


 セレーナ以外には容赦のないマリーがズバッと尋ねると、レオは何度か口を開いては閉じを繰り返して躊躇いを見せた後、ぽつりと告げた。


「…………亡くなりました」


 クッキーを食べた時の彼の表情からなんとなくそんな気はしていたけれど、本当に亡くなっていたとは。

 何て声を掛ければ良いのか分からず口を開けないセレーナの代わりにマリーが答える。


「そうでしたか。それは、言いにくいことを言わせてしまいました。申し訳ありません」

「いえ……もう過ぎたことですから……」


 マリーの謝罪に苦笑を浮かべて答えたけれど、その表情は過去のことと思い出に昇華出来たとは思えない。

 きっと今でも苦しんでいるのだろう。

 そう思うと、今でもレオに想われている名も知らぬ彼女が羨ましいような、悲しいような気分になった。

 そして、一途に彼女を想うレオのことを素敵だと想う反面、苦しいとも思う。

 このちぐはぐな気持ちはなんなのだろう。どうしたというのだろうか。

 自分で自分が分からず困惑する。

 セレーナが自問している間にも、マリーとレオの会話は進んでいく。


「それでその方を姫様に重ねていらっしゃるのですか?」

「ちが……っ」


 咄嗟に否定しようとし勢いよく立ち上がったレオであったが、図星だったのか途中で言葉を切ると黙ってマリーから目を逸らしてしまった。

 それは肯定と同義ではないのか。

 その結論に達した時、セレーナの瞳からつぅっと一筋の涙が頬を伝い落ち、ドレスのスカートに染みを作った。

 マリーから目を逸らしてもセレーナは視界に入っていたのか、彼女の瞳から涙が伝い落ちた瞬間、レオの喉からヒュッと空気を吸った乾いた音が鳴る。

 セレーナを見て瞠目して立ち尽くしているレオを不思議に思ったらしいマリーも、セレーナを見て固まっている。

 我に返ったセレーナは、慌てて笑って誤魔化す。


「ふふ、最近情緒が不安定で困っちゃう。勉強のし過ぎで疲れているのかしら。ちょっと休んでくるわ。レオ様は気にせずこちらでゆっくりしていってくださいね。私はお部屋で休んでいますから、ゆっくりされた後はお部屋に戻っていただいても構いませんので。マリーも、レオ様がお部屋に戻られるなら、下がって構わないわ。それでは、失礼しますね」


 早口で言い終わるとセレーナはそれ以上の醜態を晒す前にと足早に応接室の奥にある寝室へと歩き去る。

 マリーもレオも口を挟めず、ただセレーナを見送るしか出来なかった。

 一方、寝室へと逃げるように入ったセレーナはぽろぽろと零れる涙を止めることもせずふかふかの布団に潜り込んで丸くなる。


(どうしてこんなに悲しい気持ちになるんだろう……)


 レオに大切な人が居たから?

 とても大切だという人の代わりにされていたかもしれないから?

 どちらも悲しいことに変わりはないけれど、根本はきっとセレーナのことを見ていたようで本当はその向こうに別の人を見ていたからなのかもしれない。

 本当はセレーナ自身のことなど見ていなかったのかもしれない。

 そのことが何よりも悲しく苦しかった。


「う……っ、ひっ……ぅ……」


 セレーナの口から小さな嗚咽が漏れる。

 城内では外部に漏れてはいけない話をする場もあることから、全ての部屋に防音が施されてある。

 その為、セレーナの小さな泣き声が扉一枚隔てただけの応接室に漏れ聞こえることはない。

 それだけが今のセレーナに少しの安心感を与えてくれる。

 泣き疲れて眠るまでセレーナは、一人布団に包まり涙を流し続けた。

 これが夢であればいいと願いながら。

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