43.
「先程はお見苦しいすがたをお見せしてしまい申し訳ありませんでした」
セレーナの私室に備え付けられている応接室にあるソファに向かい合って座ると、開口一番に謝罪を口にし、頭を下げた。
驚いて目を丸くしているレオの慌てた声が聞こえる。
「あ、頭を上げてください! 謝らなければならないのはむしろこちらの方で……」
「いえ、公子様があやまられることなどありません。わたしが勝手を申しました。おやさしい公子様のお気持ちの上にあぐらをかいていたのです……」
「待ってください!」
セレーナの懺悔に待ったをかけるも、彼女は止まること無く言葉を続ける。
「本当にさいていです……。自分が情けないです……。わたしに公子様にえらそうに言う資格なんて有りはしないのに。……わたしは……人がこわくて逃げて、家族からもきょりを取って、ひとりぼっちで……なにも知らない、なにも出来ないこの国のお荷物でしかないのに……」
「セレーナ様!!」
レオの大声に吃驚して反射的に顔を上げると、彼が勢い良く立ち上がってセレーナを見つめていた。
その顔は怒っているような、けれど今にも泣き出しそうな辛そうに顔を歪めているのを見てセレーナは焦った。
「あ、す、すみません……っ! 先に手当を……。今はわたしのことなどどうでも……」
オロオロするセレーナに、彼は視線を逸らすこと無く真っ直ぐに見つめたまま口を開く。
「やめてください……っ」
「え……?」
ズンズンとセレーナの直ぐ目の前まで歩いてくる。
何をやめて欲しいのかはわからなかったけれど何となく聞き返し辛い空気にレオの行動をただ黙って見ていると、目の前までやって来た彼は跪いて右手を胸の前に当てて、セレーナを見つめる。
真剣な瞳で見つめられたセレーナは、何故だかドギマギと緊張してしまう。
何も言えずレオを見つめ返していると、彼は人の命でもかかっているかのような、どこか思い詰めた声で告げた。
「俺は……私は、もうあなたを二度とひとりぼっちになんてさせません。逃げても良いです。怖がったって構いません。私の全てをかけてあなたを守ると誓います。ですから……私を皇女様の一番傍に置いてはくださいませんか?」
レオの言葉の一つ一つがセレーナの心に染み入ってくる。
嬉しいような、悲しいような、幸せなような、申し訳無いような。
色々な感情がごちゃ混ぜになって、上手く整理が出来ない。
「……いいんですか?」
唯一口から出た言葉は、返事にもなっていない言葉だったけれど。
それに、レオを護衛騎士にと望んだのはセレーナの方であったのに。
だから、この返答はおかしい。おかしいと分かっているけれど。
レオは表情を緩めて静かに頷き、そっと手を差し出す。
「皇帝陛下から護衛騎士の許可は既に頂いております。後は皇女様が望んで頂ければ、血の一滴まで私は皇女様のものです」
「おもっ」
レオが紳士的に微笑んでいるすぐ近くにいたマリーは思わず零れ出た本音に、ハシッと慌てて口を押さえたが、そもそもセレーナには聞こえていないようだった。
レオもスルーを決め込んでいるのか、ぴくりとも反応しない。
「よろしく……お願いします」
セレーナは彼の言葉を心の中で何度か反芻した後、おずおずと手を伸ばすと、差し出された手のひらの上に手を乗せる。
その瞬間、紳士的な笑みだったレオが破顔した。
「はい。まだまだ至らない点ばかりではありますが、皇女様を何ものからも守る為の努力は惜しまないと誓います。どうぞよろしくお願い致します」
柔らかく笑って言う彼に、セレーナも微笑んだ。
マリーもホッと安堵の息を吐いている。
「そうだ、公子様」
「もう私は皇女様の護衛騎士なのですから、レオとお呼びください」
漸く仲直りも出来たところでレオに声をかけると、彼は呼び方を指摘する。
確かに、護衛騎士になったのにいつまでも公子様呼びなのはおかしいか。
そう思い直し、少し緊張しながらも名前を呼んでみた。
「レ……レオ様」
「なりません。護衛騎士の私に様付けは必要ありません。どうぞレオと」
様を付けて呼んではいけない。
今まで狭い世界で生きて来て、マリー以外に誰かの名前を呼ぶ機会が無かったのだから学ぶ場が無かった。
だから、例え公爵令息であっても、護衛騎士に……つまり、部下になったのなら呼び捨てにするということなど知りもしなかったのだ。
過度の緊張のせいで手に汗までかいてきた。
「れ、れれ、れお…………さま」
必死に彼の名を口にしたものの、どもった挙げ句どうしても呼び捨てに出来ず、敬称を付けてしまう。
レオは苦笑しながら頬を掻いている。
マリーには、惜しいです姫様!と励まされてしまい居たたまれない。
こればかりは練習あるのみだ。
沢山呼ぶ練習をすればきっとその内慣れるだろう。
そう考えたセレーナは、あるお願いを口にした。
「では、名前を呼ぶ練習をさせていただけませんか?」
「名前を呼ぶ練習……ですか?」
聞いたこともない練習だったからか、レオはきょとんと目を丸くさせている。
「はい。練習すれば呼べるようになるのではないかと思いまして」
「わかりました」
「それでは、後でお話ししたいこともありますのでその時に」
「今ではダメなのですか?」
「そろそろ夕食のお時間で御座います」
「あ、そうでした……」
レオの疑問に、マリーが時計を指さしながらすかさず答える。
入団試験から今まで、とても密度の濃い時間を過ごしていたのだから時間の感覚が抜け落ちていても不思議では無い。
少し恥ずかしそうにしているレオを見ていると、自分でもよく分からない感情が顔を出そうとする。
一先ず、むず痒いような不思議な感覚は見て見ぬ振りすることを決めたセレーナは平静を装い会話を続けた。
「そういう訳ですので、夕食後に。よろしいでしょうか?」
「勿論です。これから私の時間は皇女様のものですから」
「いいえ。レオ……様の時間は、レオ……様のものですわ。無理な時は仰ってください。ご自分の時間も大切にしてくださいね」
「……はい」
セレーナの言葉を聞いたレオは、はにかむように笑った。
あまりに優しく笑うものだから……いや、一瞬優しい笑みの中に悲しさが見えたような気がして、セレーナは思わず乗せたままだった手にきゅっと力を込めて握る。
いきなり手を握られたレオは驚いた顔をしたが、すぐにふっと表情を柔らかく崩して優しく問いかけた。
「どうされましたか?」
「えと……」
(その声でさえ、泣きたくなるのは何故なんだろう)
彼の声がとても優しくて、けれどどこか悲しそうで、嬉しそうなのに寂しそうに見えるのはどうしてなんだろう。
分からないけれどどうしようもなく胸が締め付けられる。
そんな事を思っていると突然、目の前の二人が慌て出す。
「え、皇女様!?」
「どうされました、姫様!?」
「え?」
何を心配されているのか分からず首を傾げるセレーナであったが、途端にレオが落ち込み始める。
「私はまた何か失礼なことを言ってしまったのでしょうか……」
「姫様、とりあえず涙を拭かせてくださいね」
ずーんと落ち込んだレオの言葉に、マリーがジロリと睨みながらお仕着せのポケットからハンカチを取り出してセレーナの目もとをぽんぽんと優しく押さえる。
そこで初めて自分が涙を流していたのだと気付いた。
「あ……れ? わたし泣いてる……?」
(自分のことなのに、泣いていることに気付かないなんて……。だからマリーも公子さ……レオ様もおどろいていたのね。悪いことをしてしまったわ……)
それよりも目の前の落ち込んでいるレオに声をかけなければ。
誤解なのだと。
けれど……。
「姫様、安心してくださいね。私がこの口でレオ卿をコテンパンにやっつけますからね!」
セレーナが考え込んでいる間に、マリーがレオをやっつけようとしていた。
目をキラキラさせてやる気満々の彼女を止めるのは何故か少しだけ申し訳ない気持ちになるけれど、このままではレオが再起不能になってしまいかねないと思い慌てて止めに入る。
「マリー、誤解なのっ! 公子……レオ……様も悪くありませんから!」
「では……何故急に涙を流されたのですか……?」
酷く辛そうな声に、表情に、セレーナは優しく答えようと口を開くけれど、視界の端に映った時計の針が夕食の時間を指していた。
開いた口を一度閉じて五秒程考えた後、もう一度口を開いた。
「このお話も夕食後に」
「……わかりました」
にこっと笑って言うと、レオも視線を彷徨わせてからこくりと頷いた。
「不安に思わなくて大丈夫ですから。行きましょう?」
「はい」
「さっ、そろそろ陛下達がいらっしゃいますよ。急ぎましょう。あ、レオ卿は手当を……」
「後で大丈夫です。大した傷ではありませんから」
セレーナとレオの話が纏まったところでマリーが声をかけ急かす。
けれど、試合後そのままセレーナの元を訪れた彼の手当がまだだった為、声をかけるもレオも時間を気にしてかあっさりと断った。
ならばと、どこから出したのか突然目の前にマリーの手のひらの上にレオの着替えが現れた。
近くにあったサービングカートの下段から濡れタオルの入った容器も取り出してくる。
着替えと濡れタオル入りの容器を渡すと、ものすごい速さで移動すると化粧室の扉を開けた。
「では、こちらでお着替えを。濡れタオルも準備しておりますので、お顔もお拭きください」
「ありがとうございます」
彼女の動作に何か言いげな顔をするレオであったが、今は無駄口を聞いている暇は無いと判断したのか、お礼だけ口にするとさっと化粧室に消えていく。
そして数分と経たずに戻って来た。
「二人ともすごい……」
「え?」
ぽろりと零れた言葉に、マリーとレオがハモる。それにお互い若干眉間に皺を寄せたのだが、そのタイミングもピッタリで二人同時に嫌そうな顔をする。
息がぴったり過ぎて、セレーナは笑いそうになるのを堪えて部屋を出た。




