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39.

 グラディウスの試合終了の合図と共に、セレーナは観客席の階段を駆け下りていく。

 試合会場に下りる入口は二ヶ所しか無く、それ以外はぐるりと壁のような仕切りがされてある。

 彼女の位置からは約四分の一周程の距離なのだが、大きい会場の為セレーナの足では結構な時間が掛かってしまうだろう。

 しかし、階段の一番下に到着するタイミングで、彼女の目の前にあった壁のような仕切りが消えると代わりに階段が現れた。

 突然目の前に会場への道が出来たことに驚いたけれど、誰がしてくれたかのかなんて考えなくても分かる。父だ。

 くるりと振り返ると、満面の笑みを浮かべて淑女の礼をとってからレオの元へと走っていく。


「明るくなったな」

「そうですね」


 その様子を観戦していた場所から変わらず見ていた父は、穏やかな声で呟いた。

 それに対して兄も嬉しそうに同意を示すと、父はお前のことでもあるのだぞと、優しい眼差しで兄の頭をぽんぽんと叩く。

 照れくさそうにしていた兄は、誤魔化すように妹の背中に視線を移すと、彼女は丁度レオの元へ辿り着いたところだった。

 セレーナが走って向かってきた事に気付いたレオは慌ててフィールドを下りて出迎える。

 息を弾ませ、頬を上気させながら嬉しそうに笑うセレーナにレオも破顔した。


「おめでとうございます! 公子様っ!」

「ありがとうございます」

「良かった……! 本当に良かったです……っ!」

「はい」


 セレーナはポケットからハンカチを取り出すと、レオの額から首筋にかけてぽんぽんと優しく汗を拭っていく。

 顔を赤らめながらもされるがままの彼を近くで見ると、安心からか

 涙腺が緩んだ。

 ポロポロと涙を零しながら嬉しそうに笑うセレーナの目元にそっとレオの指が触れる。

 驚いて目を瞬く彼女に、涙を掬い取ったレオは穏やかに優しく微笑む。


「勝てました」


 その姿はとても爽やかで素敵ではあったけれど、改めて近くで見ると体のあちこちが傷だらけで痛々しい。

 勝ってくれて、笑いかけてくれた嬉しさと、傷だらけになっている悲しさとでセレーナの胸は締め付けられた。

 吃驚して止まっていた涙がまた頬を伝うと、レオはぎょっとして慌てふためく。


「えっ!? ど、どうされましたか!? どこか痛いところでも……あっ! 俺が触ったから……っ!?」

「違いますっ!!」


 原因は自分かと青ざめると、もう触りませんとでも言うように両手を頭の横に上げる彼にセレーナは叫ぶ。

 すぐに変わるとは思えないし、人を変えるのは難しい。

 自分だってそうなのだから分かってはいるけれど、それでもやっぱり彼が自分を否定することが堪らなく悲しかった。

 セレーナは涙を掬い取ってくれた彼の手を取ると、自分の頬に当てる。


「少しおどろきましたけど、それだけです。涙も……あれはうれし涙ですから」

「そ、そうですか……」


 セレーナに手を握られて、しかも頬に当てたまま話しかけられたレオは緊張しているようでぎこちなく返すことしか出来ないようだった。

 彼の顔が赤くなっていくことに気付いていない彼女は、腕の痛々しい戦いの痕を見つめながら、そのままの体勢で話を続ける。


「公子様が不安に思うのでしたら、不安に思わなくなるまで、そんな考えが頭をよぎらなくなるまでこうして手をつないだままでいましょうか」

「ぅえ!? あ……の……」


 すりっと一度だけ頬をすり寄せてみると、真っ赤な顔のまま固まるレオ。

 それを反応に困っているだけなのだと勘違いしたセレーナは、もう一度かしら?と思い再び頬をすり寄せようとした時、後ろから兄に声を掛けられた。


「セレーナ。それ以上はレオ卿が可哀想だよ」

「あ……ごめんなさい……。公子様はいつもお優しく受け止めてくださるから、ちょうしに乗ってしまいました……。ご不快な思いをさせてしまって本当に……」


 兄の言った『可哀想』を不快だと捉えたセレーナは、ぱっと手を放すと謝罪をするが、その声は段々と涙混じりになっていく。

 そういう意味で言ったんじゃなかったんだけどな……と言いながら、兄もセレーナの様子に言葉のチョイスを誤ったと罪悪感を感じて動揺しているようだった。

 しかし、セレーナの泣きそうな表情に一番慌てたのはやはりレオだった。


「あのっ! 俺……っいや、私は、皇女様にされて嫌なことなどこの世に存在致しません! 例え皇女様が私の死をお望みになられたとしても、私は喜んでこの命を差し出しましょう」

「ど……して……」

「え……?」


 片膝をつき優しく微笑んで言うレオとは対照的に、セレーナは顔を俯かせた。

 何故顔を伏せたのか分からない彼は、理由が分からずそのままの姿勢でセレーナの言葉を待つ。

 すると、涙をボロボロと零しながらセレーナが激怒した。


「どうしてそんなことを言うのですかっ!? わたしは……っ! わたしは公子様の死など望んだりしませんっ!!」


 こんなに激しく怒る彼女を見たことが無かったレオは呆気に取られている。

 そんなに怒られるようなことを言ってしまっただろうかとでも思っているのだろう。

 顔を青くしながらチラリと兄の様子を窺うが、その視線の先にいる兄もまた呆けた顔をしていた。


「お、落ち着いてください、皇女様……っ」

「わたしは落ち着いていますっ!」

「ああ……泣かないでください……」

「泣いてませんっ!」


 ああ言えばこう言う、売り言葉に買い言葉的なやり取りにレオはおろおろと狼狽える。

 セレーナがドレスの袖でぐいっと涙を拭うと、拭ったところの皮膚からぴりっ静電気のような痛みが走った。

 ドレスの布は顔を拭く用には出来ていないため、摩擦で擦れたのだろう。

 痛みに一瞬顔を顰めると、彼の顔は悲痛の色に染まっていった。


「すみ……ません……。何がそんなに皇女様を怒らせてしまったのか……」

「……公子様がご自分の命を軽んじられていること」

「え……? あ、いえ、それは例えで……」

「公子様は、わたしが公子様の命を差し出せと言うような人間に見えているのですね……っすみません、少し頭を冷やしてきます」


 そういうと、セレーナは一度も振り返ること無く会場から出て行ってしまった。

 咄嗟に手を伸ばしたけれど、その手がセレーナに届くことは無く、その場に残されたレオは悲壮感に暮れた顔をして行き場の無い手が宙を彷徨った。

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