33.
夫人の一件があって以降は穏やかな日々だった。
明日はとうとう試験の日だ。
あの日から、セレーナは家庭教師の授業がお休みになった。
その代わり、皇宮図書室から借りてきた本を読んで自主勉強をしている。
勿論、最近はセレーナの定位置となりつつあるバルコニーで時折レオの鍛錬の様子を見学しながら。
あの日のことは、事件当日の夕食の席で父からレオに謝罪があった。
レオは気にしていないと言っていたけれど、そういう訳にはいかないと父は申し訳なさそうに頭を下げていた。
セレーナにも、技術の面を優先したばかりに人柄にまで気を配りきれていなかったと謝られたのだ。
そして、今後はこのようなことがないように、きちんと人柄も精査した上で家庭教師を決め直すから暫く時間が欲しいと言われ、それまでの間、授業はお休みとなった。
騒ぎを起こした夫人はというと、家庭教師の任を解かれ、二度と城へ足を踏み入れることを許されなかった。
皇帝陛下が賓客だと言った人物に対して、無礼を働いただけでなくこの国の皇女にも罵倒したのだから当然と言えば当然こと。
当初、死刑にするつもりだと言っていた父に、彼女の作品は素晴らしいこと、彼女の技術はこの国の宝であることを伝えた。
彼女が納める税金が、ひいてはこの国の役に立つのだと必死に説得し、最後には反省どころか猛省しており、謝罪もしてくれたとセレーナが話したことにより死刑を免れた。
ただし、二度と皇族との関わりを持つことを禁じられ、多額の賠償命令が下されたのだけれど。
今まではパーティーや公務の度に彼女に仕立ててもらっていたが、彼女が手掛けるドレスなどの衣類、またネックレスやイヤリングなどの装飾品をセレーナ達が身につけることは、今後一切無い。
それはつまり、皇室御用達ではなくなるということ。即ち、箔がなくなるということだ。
そうなれば、どんなに素晴らしい作品を作っていたオース夫人でも、相当数客は離れていくだろう。
なんせ、貴族社会と言うものは噂話の好きな人間の多いこと多いこと。
そしてその噂が回るのもとんでもなく早いのだ。
まず上流階級の貴族の殆どはオース夫人のドレスから離れるだろう。
そうなれば売り上げが見込めず、今後は苦しい生活を強いられるかもしない。
けれど、彼女の作品は惚れ惚れする程素晴らしいものばかりなのは事実なので、どこまで回復出来るかは今後の彼女次第だが、地道に頑張っていればきっとまた客は少しずつでも戻っていくだろう。
そこは彼女の頑張りどころだ。
セレーナにはどうすることも出来ない。
例え父が許すことがあったとしても、レオを侮辱したことを無かったことにして、ドレスを仕立ててもらうつもりも無い。
そこでふと気付く。
今後のドレスを仕立ててくれる人が必要だということに。
しかし、今はそれよりも明日のレオの試験が気がかりなので、その話は一旦頭の隅に追いやる。
夕食を食べ終えた後、一度自室に戻ったセレーナは事前にこっそり用意しておいたミサンガを手に、すぐ部屋を出るとレオが泊まっている客室を尋ねた。
客室は一つ下の階にある。
レオの部屋の前へ着くとコンコンと小さくノックをした。
少ししてからゆっくりと扉が開くと、お風呂上りらしく髪が濡れた状態の彼が、目をまん丸くして固まっている。
「入浴されていたのですね。失礼しました。また出直して……」
「あ、いえ。ちょうど上がったところだったので大丈夫です。どうかされましたか」
もしかしたら、慌てて出てこさせてしまったかもしれないと焦ったセレーナは謝ると、出直そうとレオに背を向けようとした。
しかし、焦ったのはレオも同じようで慌ててセレーナを引き留めて用件を伺う。
ならば、手短に話して戻ろうと彼を見ると、濡れた髪に目がいった。
その髪からはぽたぽたと雫が落ちていて、肩を濡らしているではないか。
「こっ、公子様……っ、かみからしずくが……! そのままでは風邪をひいてしまわれますっ」
そう言うと、咄嗟に彼の左手に握られていたバスタオルを手に取り、タオル越しに髪に触れた。
明日が試験だというのに、風邪をひいてしまっては折角のチャンスが台無しになってしまいかねない。
その一心で彼の髪から水分を取ろうと、自分より背の高いレオの頭に手を伸ばす。
暫くの間黙々と手を動かしていたセレーナだったが、その間レオはといえば、扉を開けたままの姿勢でただただ硬直していた。
「こんな感じでどうでしょうか? あ、公子様におわたししたいものがあったのです」
こんなものかとセレーナが離れて、本来の用事を済ませようとミサンガを差し出すも全く動く様子のない彼に、どうしたのかと顔を上げてみればその顔は真っ赤に染まっている。
「公子様?」
「……えっ?」
状況が飲み込めていないようで、レオが目を白黒させて動揺している。
五秒程してやっと理解出来たらしい。
ものすごい勢いで飛び退った。
「えええええええっ!!? え、あの、皇女様……!?」
「お、落ちついてください公子様っ」
ミサンガを差し出したままセレーナが声を掛けた。
どうしたものかと考えていると、瞬時に我に返ったらしいレオが赤みの引かない顔のまま慌てて戻ってくる。
「す、すみません……! 取り乱してしまいました……」
「いえ、わたしこそけいそつに公子様のおぐしに触れてしまいおどろかせてしまいました。ご気分を害されたならばあやまります……」
「そんな……っ! 突然のことで驚いてしまいましたが、不快だったわけではありませんのでお気になさらないでください。むしろ、俺の髪なんかに触れた皇女様の方こそ……!」
そこまで言ったところで、セレーナの小さな両手がレオの口を覆う。
ぼんっと音が聞こえてきそうな勢いで真っ赤になるレオであったが、セレーナは別の意味で赤くなっていた。
「ご自分をひげなさらないでくださいっ」
「え……と?」
レオが無意識に自分を卑下することが悲しかった。
けれど、それ以上に無意識にそんなことをさせるようにした周りの人間に腹が立った。
手を外した後も頬をぷくーっと膨らませて怒りに震えるセレーナに、レオは意味がわからず困惑している。
そして、ふぅーっと重い息を吐きだすと彼に向って宣言した。
「……わかりました。これからできるだけ公子様に触れていこうと思います!」
「え?」
「わたしが公子様は呪い子ではないって証明してみせますっ。だから、ご自分のことを悪いものみたいに言うのはやめてください……悲しくなります」
「皇女様……。すみません、気を付けます」
「あっ、ちがうんです! 公子様があやまることはなにもありません……! わたしが勝手に悲しくなっただけなんです……」
申し訳なさそうに謝るレオに、セレーナは目を伏せる。
自分に優しくしてくれる彼に、なんて顔をさせてしまったんだと反省したセレーナは早く用事を済ませて部屋に帰った方が良いと判断した。
「あの、これを」
「これは?」
先程から渡しそびれていたミサンガを今度こそちゃんと差し出すと、レオが受け取って首を傾げる。
「ミサンガというものだそうです。東の国の方ではうでや足につけて、自然に切れるとねがいが叶うと言われているそうです」
「……俺にくれるのですか?」
「はい。公子様のねがいが叶いますようにと思って……って、あっ!」
そこではたと気づいた。
試験は明日。入団出来るかどうかは明日はっきりすることに。
今ミサンガを贈ったところで、自然に切れるわけがないことを。
それに気づいたセレーナは項垂れた。
「こ、皇女様!? どうかされましたかっ!?」
「いえ……」
レオがオロオロとしているのを見て、こんなことで心配を掛けてはいけないなと正直に理由を話した。
「試験は明日なのに、今おわたししてもおそかったな……と、今更になって気づいてしまいまして……」
ずどーんと落ち込むセレーナを見て、くすりと笑ったレオは右手を差し出した。
首を傾げる彼女に、嬉しそうにお願いを口にする。
「俺の願いは、皇女様の護衛騎士になることです。騎士見習いになることは願いではありません」
「それって……」
「はい。俺の願いが叶うのはまだ先……ということです。どうか、皇女様の護衛騎士になれるよう、結んでは頂けないでしょうか?」
「はい……っ!」
こんな些細なことでさえも、セレーナの気持ちを掬ってくれる彼の優しさにきゅっと胸が締め付けられるような気がした。
嬉しくなって元気よく頷くと、レオも笑顔でお礼を述べる。
お礼を言うのはこっちなのになと思いつつも、セレーナの胸にはじんわりと温かいものが広がっていった。
(どうかどうか、彼が早く護衛騎士になれますように……!)
祈りというよりは、寧ろ念を込めてレオの右手首に結んだ――……。




