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32.

いつもお読みいただきありがとうございます。

今回は最後の方にほんとにささやか過ぎるおまけのお話があります。

「さあ、公子様! 手を見せてくださいませ」

「え、皇女様!?」


 くるりと振り返り、レオの手を取った。

 もう先程までの怒りで感情が昂ぶっていた様子は微塵も無く、いつもの落ち着いた雰囲気の彼は、セレーナに触れられると慌てながらもほんのり頬を赤らめる。

 だが、傷だらけの手を痛々しそうな表情で見つめるセレーナはそれに気付くはずも無く、まじまじと見た後、心配そうに顔を上げた。


「ほら、赤くなっています。血も……。いむしつ行きましょうか」

「いえ、このくらい大したことありません」

「……そうですか。では、ソファーに座ってちょっと待っていてくださいね」


 少し逡巡した後、こくりと頷くとレオに一言言い置いて浴室の方へと消える。

 セレーナの言いつけ通り、ソファーへと移動した後は彼女が戻って来るまでの数分間、微動だにすることなく待っていた。

 セレーナが隣室からレオの様子を窺うと、背筋を伸ばしてじっと静かに待っている彼がまるで忠犬のそれのようでくすりと笑ってしまいそうになる。

 笑みを堪えてセレーナが戻って来ると、彼はきりっとした表情を崩し今度はおろおろした表情を浮かべた。

 それ見て、今度こそくすくすと笑ってしまう。

 何故笑われているのか分かっていないレオは僅かに小首を傾げるが、それすらも子犬のように見えてしまいいけない。

 微笑みながら、今しがた濡らして来たばかりのハンカチを差し出す。


「これで冷やしてください」

「これ……っ」


 差し出されたハンカチは、真っ白のハンカチに薄紫の糸で刺した拙い花の刺繍が入ったものだった。

 何の花かも分かりかねるそれは授業の冒頭でオース夫人に散々ダメ出しをされた課題のもの。

 しかし、そんなことなど知る由も無いレオは、受け取っていいのかと両手を前に出し、小さな壁を作って狼狽する。

 煮え切らない態度に、セレーナは彼の右手を掴むと綺麗に折り畳まれたハンカチを手の甲に優しく当てた。

 まだ傷が出来たばかり故、白いハンカチに所々小さな赤い染みを作っていく。

 セレーナが一生懸命刺したと思っているらしいレオは、顔を青くさせ動揺している。

 頭の中では、どう弁償をすればいいのかパニックになっているのかもしれない。


「練習用にさしたものなのです。まだぜんぜん上手くできていないので、あんまり見ないでくださいね」


 しかし、セレーナの何気ない一言でレオは青かった顔色から血色を取り戻していくと、一転、瞳がキラキラと輝いていく。

 セレーナとしては、本当にただあまり見られたく無かった故の発言なのだが。

 レオの視線を感じて顔を上げると、キラキラとした熱い視線に何故だか嫌な予感がした。

 そしてその予感はすぐに的中することとなる。


「こちら、いただいてもよろしいですか?」

「ええっ!? だ、ダメです!」


 案の定、キラキラした瞳のまま懇願するような視線を向ける彼にセレーナは困惑した。

 何なら、瞳の輝きが増しているような気さえする。

 こんな彼は見たことがない。

 それに、子犬のような瞳で見つめられると思わず頷きそうになってしまう。

 ぐりんっと勢いよく顔を背けて固く目を瞑り、絆されてはダメだ、絆されてはダメだと心の中で唱えて首を左右に振る。

 絶対に目を合わせちゃいけない。固い意志で断らなくちゃと思っているのに、皇女様……と切ないような悲しいような声で呼ばれるとあっさりと目を開けてしまう。

 ちらりと見ると、悲しそうに眉を下げたレオが問うた。


「何故ですか?」

「こんな下手なものを公子様におわたしするわけにはまいりませんもの……!」


 こんなに酷い出来のものを欲しがるなんてどうして!?と内心絶叫したい気持ちで、セレーナは断る。

 ぶんぶんと大きく首を左右に振って断るけれど、レオも諦めない。


「お願いします!」


 このままだと土下座をせんばかりの勢いな彼に、セレーナはさっさとハンカチを引っ込めようとしたがびくともしない。

 ぱっと手元を見るといつの間にかレオもハンカチを両手で掴んでいるではないか。


「だーめーでーすぅー!」


 んぐぐっと力一杯引っ張るセレーナだが、全く動じていないレオはハンカチを離さないままぱっと表情を明るくすると、良い案でも思いついたらしく提案を口にした。


「では買い取らせていただくのは……」

「もっとダメに決まってます!」


 今度こそセレーナは叫んだ。

 どれだけこのハンカチが欲しいのだろう。

 いや、もしかしたらハンカチが無くて困っているのだろうか。

 それならすぐに新しい綺麗なものを用意する。

 用意するからこの手を放して欲しい。

 力を使うことに慣れていないセレーナの腕はそろそろ限界が近かった。

 最後の力を振り絞り全力で引っ張りながら、歯を食いしばって答える。


「ハンカチをご所望でしたら、すぐにご用意させていただきますわ……!」

「いえ、このハンカチが良いのです」


(ものすごく『この』をきょうちょうされた……!)


 全力で引っ張っていたが、何分大して力の無いセレーナにはもう限界だった。

 それなのに彼はというと、引っ張り合いなど気にも留めていないような会話をするくせに、セレーナの力に合わせて引っ張る力を加減している。

 それは、セレーナが後ろに倒れないようにという彼の優しさだろう。

 それに気付くと、ゆっくりと力を抜いていき引っ張るのを止めると、少し照れながらも代替案を口にした。


「今度、きちんと刺繍したものをお渡ししますから……」

「本当ですかっ!?」

「……はい」

「楽しみにしております」


 嬉しそうに顔を綻ばせて喜ぶ彼に、セレーナも頬を緩めた。


(もっとししゅうがんばらなくちゃ……っ)


 プレゼント出来るまでに上達するのはいつになるだろうかと若干遠い目をしてしまったセレーナだったが、嬉しそうなレオを見ると早く上達しようと気合いが入った。

 レオの手の腫れも大分引くと、後は医務室で貼るものをもらってきますと言って彼も部屋を後にした。

 付き添おうと思っていたのだけれど、今日はもうお部屋でゆっくりなさってくださいとやんわり断られたため付いて行けず、なんとなくソファーに座る。

 暫くするとマリーが戻って来て、夫人が帰宅したと報告が入った。

 そのままマリーは少し荒れた部屋を掃除すると、セレーナのお茶の準備を始める。

 彼女の淹れてくれた紅茶を飲みながら、先程あった出来事を思い返した。


(みじかい時間だったのに、たいへんなことがあったなぁ)


 カップをソーサーに戻してほっと息を吐く。

 思ったよりも疲れていたみたいだ。

 ぼーっとしていると、マリーが心配そうに声を掛けた。


「姫様、お疲れでしょうし少しお休みになられては?」

「そうね……。思ったよりもつかれているみたい。少しだけ休もうかな」


 マリーの気遣いに微笑んで答えると、心配そうに微笑んで頭を下げる。

 寝室に入ると、静かに扉を閉めて彼女は退室した。

 そのまま布団に入って一時間程ぐっすりと眠ったセレーナ。

 だから、忘れていたのだ。

 レオにハンカチを渡したままだったことを。

 眠りから覚めた彼女は、少しすっきりしたついでに、貸したままになっていることも抜け落ちていた。



 後日、レオからの贈り物を受け取って思い出したセレーナ。

 白い箱に薄紫のリボンが掛けてありそれを解いて蓋を開けると、中には淡いピンク色のハンカチが入っていた。

 縁にはレースが施され、ワンポイントにパステルカラーの虹色の糸でカランコエの刺繍が入った可愛いハンカチ。

 そこで、自分が貸したものが手元に戻っていないことに気付く。


(あれ!? わたしがかしたハンカチは!?)


 雷に打たれたような顔で固まるセレーナがギギギと壊れた玩具のような動きでレオの顔をを見ると、無垢な笑顔でにこにこ笑っていた。

 そんな笑顔をされると、今更返してくれとも言えず、泣く泣く取り返すのは諦めたセレーナであったが、それはまた別のお話。

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