30.
彼女の作品は本当に素晴らしかった。感動さえした。
今すぐには無理でも、いつか先生のように出来たらと僅かながらも尊敬していた。
子どもだからなのか、セレーナのことを下に見たようなもの言いもあったけれど、媚び諂うことなく容赦なく言う姿は嫌いでは無かった。それは、厳しいけれど間違ったことは言っていなかったから。
事実、セレーナは刺繍が下手だし、夫人の目から見れば上達するのに百年はかかるのかもしれない。
たとえ、見下されていようとも、心の中で謗られていようとも。
多少傷つき落ち込むことはあっても、怒ることなどなかった。
自分が駄目な皇女だという自覚はある。
だから今、こうして頑張っているのだ。
父や兄が自慢に思えるような皇女になるまではある程度は受け入れると決めた。
けれど……。彼を馬鹿にすることは許せない。
どんなに才能溢れる素晴らしい人であったとしても、関係ない。
セレーナの命の恩人であり、皇帝陛下が賓客だと言った彼を侮辱することは皇帝陛下を侮辱することと同義なのだ。
マリーがオース夫人を退室させようと近づくと、金切り声で近づかないで!と叫びセレーナを睨み付ける。
「皇女殿下っ!? この様な無礼な態度、皇帝陛下がお許しになると……」
「好きにほうこくなさって。わたしはあなたがレオ卿をぶじょくしたことを許しません。短い間でしたがおせわになりました」
セレーナが淡々と挨拶を済ませると、逆上して喚き散らす。
今にも掴みかからん勢いに、マリーが後ろから夫人の肩を抑える。
まるで犯罪者を取り押さえるかのような室内の空気に、益々怒った夫人はマリーを振り払おうともがく。
「なんと勝手な……っ! 離しなさい!!」
「早く退室なさってください! 衛兵を呼びますよ!」
どこにそんな力があるのかと思うほど、体を捻ったり反らしたりしてマリーを離そうと必死になっている彼女に、マリーも全力でしがみつき叫ぶ。
その間も顔色一つ変えずその様子を見ていたセレーナに、夫人はわなわなと唇を震わせ普段から神経質そうに寄せられていた眉間の皺を更に深く刻むと、憎々しげに吐き捨てた。
「なんて横柄な態度なの……! これだからろくな教育を受けていない娘は……っ」
「今、何とおっしゃいましたか?」
「ヒッ」
突然、足音も無くこの部屋に居るはずの無い人の声が聞こえて、三人は勢いよく扉の方を見る。
セレーナとマリーは驚いたように目を見開き、オース夫人は怯えたように小さく悲鳴を上げると、そこには今庭で鍛錬をしているはずのレオが静かな怒りを湛えて立っていた。
その後ろに、扉の前で待機していた衛兵もいるのだが、完全にレオの纏う空気に呑まれている。
セレーナ達もレオの纏う空気に圧倒されて、口を開けずにいた。
バルコニーの方へと歩きながら、けれど夫人へと向けられた視線は外すこと無く氷のように冷たい声で問う。
「もう一度、婦人に尋ねます。今、誰に、何と仰いましたか?」
「こ、来ないでちょうだい! 呪われるわ……っ」
「私のことは何とでも仰ってくださって構いませんが、皇女様を貶める発言を見逃すわけには参りません。訂正を」
「たす……っ助けなさいよ!!」
レオと目を合わせると呪われると本気で信じているらしい彼女は、力尽くでマリーの手を外すと、そのままマリーに掴みかかって叫ぶ。
思い切り腕を掴まれたマリーは痛みに顔を顰めた。
怪我をしてしまうかもしれないと焦ったセレーナが動くよりも早く、レオは夫人の手をいとも簡単に外すと同じ言葉を繰り返す。
「訂正を」
一方、夫人は目が合うだけでなく触れられたことにより、半狂乱状態になっているようだった。
掴まれている手を外したくて、レオの手に爪を立てたり指を引っ張ったりして、引っぺがそうとしている。
火事場の馬鹿力とでもいうのだろうか、半狂乱状態の彼女には加減というものが分からないらしい。
恐らく夫人の持てる全力で抵抗しているせいで、レオの手はみるみる赤くなっていき、爪を立てられたところからは薄ら血が滲んでしまっているが、彼は顔色を変えることなくただ静かに怒りを孕んだ目で見つめるだけだ。
「い、いいえ、いいえ! 訂正はしませんわっ! 教養も礼儀もないことは事実ですもの!」
その瞳に怯えの色を強くした夫人は錯乱状態で叫ぶと、レオの瞳がぎらりと光った。
それを見た夫人は、目に涙を溜めガタガタと震え出し、浅い呼吸を繰り返す。
今度こそ呪われるとでも思ったのだろう。
しかし、そんなことを気にも留めないレオは冷たい声のまま告げる。
「そうですか。では、皇族侮辱罪で訴えられますね。ここには私以外にも、侍女や衛兵も居ますから証人としても十分でしょう。そうなれば貴女は死刑確定ですが、さてその場合……絞首刑と斬首刑、ああ、この後の発言次第では、今すぐここから転落死というのも有りかもしれません。選ばせて差し上げましょう」
「え、え、冤罪も甚だしいです! いい加減になさいっ!」
客として滞在しているレオには、刑を下す権利も執行する権限もないのだが、夫人はそれに気付かないくらい気が動転しているようだった。
本気か否かわからないレオの言葉にセレーナ達が黙って見ていると、彼はおもむろに夫人の首を掴むと、淡々と告げる。
「では、今すぐここから落として差し上げましょう」
「ヒッ……! イヤ……っいやぁぁあああ」




