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29.

「おはようございます、皇女殿下」

「おはようございます、先生」


 セレーナは少し緊張した面持ちで家庭教師を出迎えた。

 マリーは家庭教師を案内した後、お茶の用意をしに一度下がっているため、今この部屋にはセレーナと家庭教師である彼女の二人きりだ。

 丸眼鏡を掛け、頭の上にお団子を作り、紺色のシンプルなロングドレスを着て背筋がピシリと伸びた見るからに堅物そうな貴婦人。

 デュナミス・オース伯爵夫人、それがこの教師の名前だ。

 今日の午後は刺繍の授業である。

 刺繍の授業は今回で五回目だったが、今のところこの教師がにこりと笑ったことは一度も無い。

 少し早口でハキハキと話す彼女は、とても気難しそうでセレーナは苦手だった。

 しかし、刺繍の腕は確かで、オース夫人の名はこの国の貴族なら知らない者は居ないだろう。

 彼女が刺繍を施した作品やドレスは、貴族達が大金を出してでも手に入れたいと作品発表後すぐに完売してしまうくらい、どれも本当に素晴らしかった。

 部屋に籠っていたセレーナは彼女のことなど知らなかったのだけれど。

 恐らくこの国でオース夫人の存在を知らなかったのはセレーナだけだっただろう。

 けれど、初めて作品を見せてもらった時は本当に感動した。

 彼女の几帳面な性格が表れているようで、どれも一分の隙も感じさせない作品の数々にセレーナは圧倒されたものだ。

 厳しいし怒られるのは怖いけれど、それでもいつかは先生のような素晴らしい作品が自分でも生み出せるかもしれないと思い、セレーナは毎回緊張に晒されながらも逃げ出さずに頑張っている。


「では、早速本日の授業に入りたいと思います。課題として出した刺繍はやってきましたか?」

「はい。こちらに」


 教師はセレーナが施した刺繍のハンカチをまじまじと眺め、はぁっと大きな溜め息を吐くと呆れ返ったような表情で首を左右に振った。

 今まで刺繍なんてしたことがなかったため、下手なのは自覚している。

 けれど、やはりここまで大きな溜め息を吐くほどというのは同年代の子達と比べても酷いレベルなのだろうかと落ち込むが、セレーナの様子を気にも留めないオース夫人は容赦なく指摘していく。


「まず、ここは糸がよれています。こっちは糸を引き過ぎて布が寄ってしまっています。それから、以前から申していますが雑です。もっと一針一針丁寧に刺してください。これだと上達するのに百年はかかりそうですわね。いいですか? もっと丁寧に、ですよ!」

「はい……」


 わかっていたことだがダメ出しの嵐にセレーナは小さくなる。


(でもまあ、仕方ないよね……。じっさいヘタなんだもの。頑張ろう……!)


 オース夫人の声が聞こえていたのか、レオがふっとバルコニーを見上げると、気合いを入れ直したセレーナと視線が合う。

 ダメダメなところを見られたのと気合いを入れ直していたところを見られてしまったセレーナは顔を赤らめる。


(たくさんしてきされてるの見られちゃった! はずかしい……!)


 今すぐにでも部屋に逃げ込みたかったがそんなことをするわけにもいかず、逃げたい気持ちをぐっと抑えて赤くなった顔で困ったように笑って誤魔化すと、レオも僅かに目を細めた。

 ダメ出しが多すぎて笑われたんじゃないよね?きっと私が笑ったから笑ってくれただけよね?と、笑顔を崩すこと無く頭の中でぐるぐると考えていたのだが、横から小さな悲鳴が聞こえて現実に引き戻されたセレーナは、何事かとオース夫人を見上げる。

 すると、レオの方を見て顔を青くしているではないか。

 先程までの威勢はどこへやら、腰まで引けている。

 レオと一緒に過ごしていたセレーナには、僅かに目を細めただけでも微笑んでくれたとわかるのだが、彼を知らない人間からしたら睨め付けられたと思ったのだろう。

 セレーナはレオを紹介しようと口を開くが、声を出す前にオース夫人が震える声で問うた。


「陛下から、本日の授業は賓客の方の鍛錬を見学するためバルコニーでとのお話は伺っていましたが……まさか……彼のことなのですか……っ」

「は、はい……。あの、どうかされま……!」


 唇を震わせて青ざめる夫人に、セレーナはどうしたのかと声を掛けようとしたが、レオの噂を思い出し納得する。

 納得したと同時に、噂は真実では無いと告げようと再び夫人に声を掛けようとするより早く、オース夫人がヒステリックに叫ぶ。


「彼は……呪い子ではないですかっ! 殿下は何を考えておられるのですか!?」

「おちついてください、先生。彼のうわさは真実ではありませんから」

「いいえ……! 正気ですか!? あの瞳をご覧になったでしょう!? あんなに真っ黒な髪だって……っ」

「陛下やお兄様は金の髪ですし、わたしはむらさき色です。先生もブラウンではありませんか。みんな色がちがいます。だからレオ卿のくろ色だって……」


 レオを見ると呪われるという話を余程信じ込んでいるのか、半狂乱になっているオース夫人。

 マリーもよく淑女は淑女らしくと言うけれど、オース夫人はそれ以上にその枠にはめたがっているのは薄々感じていた。

 女性は女性らしく。刺繍は綺麗に出来て当然。女性に勉強など不要。夫を立て、口答えしてはならず、従うもの。神は信仰するものなど、女性としての理想が固まりすぎていたり宗教観が強いことを感じていたセレーナは、偏見も強そうだと思ってはいたのだ。

 ともかく、今は一度落ち着かせようと出来るだけ落ち着いた声で話すよう努めたが、気が動転している夫人には火に油を注いだだけだった。


「なにを仰っているのかお解りですか!? あのような者と同等に扱われては困りますっ! 陛下だって良しとしないでしょう!」

「先生……今のはつげんをていせいしてください」


 それまで、夫人を落ち着かせようとしていたセレーナだったが、聞き捨てならない言葉に静かに立ち上がる。

 いつもの内気そうな気の弱そうな顔ではない、瞳に怒りを宿した顔で発言するセレーナに一瞬怯んだようだったが、すぐに食ってかかった。


「訂正するようなことはありませんわ! 彼は呪い子であり、この国の忌み子です! これはこの国の変わることのない事実でしょう!」

「ちがいますっ!! レオ卿は呪い子でもなければ忌み子でもありません! かれはわたしの命をすくってくれたおんじんです!!」

「何が恩人ですか!? 教師である私をからかうのもいい加減になさってください! 陛下にお話させていただきますからね!」


 セレーナがどんなにレオの素晴らしさを伝えようとも、この人は理解しようともしないのだろう。

 それに思い至った瞬間、自分の中で急激に夫人に対する気持ちが冷めていくのを感じた。


「ていせいはされないのですね……?」


 セレーナが静かに問うと、当たり前でしょう!と突っぱねられる。

 わかりましたと言うや否や、いつの間にか戻って来ていたマリーに指示を出す。


「マリー、先生はお帰りだそうよ」

「かしこまりました」

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