15.
この日、セレーナは朝からそわそわと落ち着きがなかった。
それはもう七年以上セレーナの側付きをしているマリーが心配するくらいには。
最初こそ体調不良かと侍医を呼ぼうとしていたが、彼に会うのが楽しみなのと照れ笑いされてからは、微笑ましく見ている。
部屋に籠っていた頃に比べれば、最近のセレーナは誰の目から見ても口数が増え明るくなったのは明らかだった。それでもこんなにそわそわと落ち着きがないなんてことは初めてだった。
朝食の席でも、いつもは父や兄と話しながらのんびり食事をするのに、今日は話をしてはいたけれど、時計をちらちらと見てはしきりに時間を気にしていた。
その後、部屋に戻って家庭教師から出されている宿題をしていても勉強に身が入らず、頻繁に時間を確認しては、窓の外を見て溜め息を吐いている。
その様子を見ていたマリーにくすくすと笑われ、顔を真っ赤にしてはまた勉強に戻るけれど、そう時間が経たない内にまたも時計を見てしまいこれまたマリーに笑われるという何とも落ち着かない午前中を過ごしたのだった。
何度目かわからない時間を確認したところで、時計の針が後十分程で正午になるのを見たセレーナはマリーを連れて部屋を出ると、城のエントランスホールで頬を紅潮させながら今か今かと扉が開くのを待った。
そして、正午を知らせる鐘の音が鳴り終わった頃、目の前の大きくて豪奢な扉が開いた。
「ご足労いただきかんしゃいたします。またお会いできてうれしいですわ」
「こちらこそ、お招きくださいましてありがとうございます。このような格好で申し訳ありません」
誘拐騒動から二日後の正午。
彼は時間きっかりに訪れた。
先程までの落ち着きのなさなどおくびにも出さず、セレーナは微笑みながら少年を出迎えた。
今日も足元まで隠れる真っ黒のローブを纏い、大きなフードをすっぽりと被りながら礼儀正しく挨拶をする彼に、セレーナは内心驚く。
(あら……? この前助けてくれた時と少しふんいきがちがうような……? というか、なれてる……?)
前回ちらりと垣間見えた狂犬のような獰猛さは無く、今は静かな……いっそ冷気でも出ているんじゃないかというくらいクールだ。
それに、挨拶の仕草一つ取っても慣れているというか、長年よく品のある行動をするような環境にいたかのようなとても洗練された、到底子どもには思えない綺麗な所作だった。
暫し見惚れてしまったセレーナだったが、ここで立ち話をするのもどうかと思い、マリーと共に応接室に案内した。
室内は落ち着いた雰囲気のダークブラウンのアンティーク家具で調えられており、少女と少年が座るにはサイズ感が合っていないソファーに向かい合って座る。
少年はギリギリ足が床についているが、セレーナは足がつかず浮いてしまっている。
なんだか格好がつかないなとセレーナは思ったが、せめて淑女らしくと足をぴったりとくっつけて姿勢を正した。
二人の間にあるローテーブルには、所狭しとサンドイッチやキッシュなどの軽食から、ケーキやマカロンなどのお菓子まで様々な種類が並んでいる。
マリーが二人の側に淹れ立ての紅茶を置いている間も、俯いたまま微動だにしない彼にセレーナが声をかけた。
「あの……昼食をとられたかわからなかったので色々と用意してみたのですが……お気にめしませんでしたか?」
「あ、いえ……。お気遣い頂きありがとうございます。その……もうお加減はよろしいのですか……?」
「はい。とてもこわい思いはしましたが、なぜかあなたに会えることの方がうれしくて……ふしぎですよね」
「そう……ですか……」
顔を綻ばせて言うと、彼はフードをぎゅっと下に下げてぎこちなく返事をする。
「あっ! しつれいしました。自己紹介がまだでしたね。セレーナ・ウィンクルム・インペーリオです」
セレーナは名乗っていなかったことに気付き、今更ながらの自己紹介をした。
普段ならば名を名乗ることを忘れるはずがないのに、彼の前では名乗るという行為自体が抜け落ちていた。
頭が勝手に、当たり前に知っているものだと勘違いしていたのだ。
彼と居ると時々不思議な感覚になるとセレーナは思う。
二日前が初対面のはずなのに、彼の腕の中が心地良いだとか名前を知られているのが当たり前だと思ってしまっていたりだとか。
この奇妙な感覚はなんだろうかと思いつつ、名前を尋ねてみた。
「あの……お名前をうかがってもよろしいですか?」
「………………カース。カース・ヘルツォークと申します」
前回、名前を尋ねると言い淀んでいたから今回もどうかと思ったが、少し間があったにせよ教えてもらえたことにセレーナはほっとした。
そして彼、カースはそれとは対照的に握っていたフードをこれでもかと下に引っ張って、何かに耐えるようにじっと固まっている。
対してセレーナの側に控えていたマリーは、カースの名前を聞いた瞬間、警戒するようにさっと顔色を変えたのだった。




