14.
叫び声はセレーナのすぐ側で聞こえた。今まさにセレーナに乱暴を働こうとした、一番目の男の叫び声だった。
「ぐあああっ」
「!?」
目も口も塞がれているセレーナは、声を出すことも出来なければ何が起きているのか確かめることも出来ず身を固くして怯えるしかなかった。
セレーナを攫った男の仲間が他にも居たのか、怒声や呻き声が聞こえ、その中に騒ぎに気付いた住民達の悲鳴も聞こえてきた。
一瞬助けにきてくれたのかもしれないという考えが頭を過ぎったが、マリーが人攫いと戦えるとは思えない。騎士見習い二人もあの様子からして、入団してまだ日が浅いだろう。そんな彼らがどうにか出来るとは到底思えなかった。
では、皇室騎士団かとも思ったが、それだと恐らくすぐに声をかけてくれただろう。
そう考えると、味方よりは新たな敵の可能性の方が高そうだと思い、出来るだけ身を小さくして息を殺す。
状況がわからないまま、ただ荷馬車で一人息を殺して気配を消そうとするものの、意に反してセレーナの心臓はまたも早鐘を打ち、呼吸が浅くなる。
口を封じられているセレーナは、酸欠にならぬよう鼻から酸素を取り込もうとするが上手く取り込めずどんどん呼吸が苦しくなってくる。
(指先もしびれてきた……。もうダメかもしれない……)
意識が遠のいていくのを感じながら、目を覆われた布が涙でじんわりと滲む。
体から力が抜けていくのを感じ、そのまま目を瞑ろうとした時だった。
「大丈夫ですかっ!?」
馬車がガタッと揺れ、車内に飛び込んで来たらしい若い男の声と共に抱き起こされると、口元の布が外され呼吸が楽になる。
酸素が一気に体中を駆け巡り、ぼんやりしていた頭もはっきりとしてくる。
暫く荒い呼吸を繰り返していると、段々と指先の痺れも治まってきた。
セレーナが呼吸を整えている間に、手早く目隠しの布も外され、手足の拘束も解かれた。
セレーナの視界がはっきりするよりも早く、拘束を解いてくれたであろう若い男が息を切らせながらも、手早くセレーナの腕や足を確認して話しかけた。
「痛いところはありませんか……っ」
視界がはっきりしてきたセレーナはこくりと頷くと、男はほっとしたように短く息を吐いた。
少し落ち着いてきた頭で男を見ると、暗がりなのと大きな黒いローブにフードを被っていてはっきりとは見えないが、兄と同じ年頃くらいの少年のように見えた。
セレーナの体をチェックしていた少年は、服がビリビリに破れていることに気付き、ローブを着たまま中から器用に自分の上着を脱ぐと、そっと肩に掛けてくれる。
名前も知らぬ、見たことも無い少年が汗を流しながら、心配そうにセレーナを見つめている。
「……あなたが、助けてくれたのですか……?」
「偶然、怪しい男達があなたをこの馬車に連れ込むところを目撃しまして」
「そうだったのですね……。ありがとうございます」
セレーナがしっかり受け答え出来ることがわかると、少年の目もとが緩んだ。
お礼を言って立ち上がろうとするが、ずっと縛られていたせいかそれとも恐怖のせいか……きっとそのどちらもあるのだろう。うまく足に力が入らない。
すると少年は、さも当たり前かのようにセレーナを抱き上げた。
先程の悪漢がしたような俵担ぎではなく、所謂お姫様抱っこで。
「っ!?」
「危ないので、お知り合いのところまでお連れしましょう」
少年に抱かれて荷馬車を出ると、先程の男達は皆あちらこちらでのびていた。
街の巡回や警備に奔走しているだろう皇室騎士団達が大勢で、事態の収拾にあたっている。
因みに、先程セレーナに襲いかかって来た男は、馬車のすぐ側で背中を切られたのか血溜まりの中、うつ伏せで倒れている。低い声で唸っているので生きてはいるらしい。
びっくりして目をぱちくりとさせるセレーナに、少年は背中に回していた手を少し動かすと、セレーナの頭を自分の胸元に押しつけた。見せないようにという彼なりの配慮なのだろう。
そんな彼はというと、気にすることもなく道端に転がっている悪漢達を避けながらすたすたと歩いている。
「あの……これ、あなたが……?」
「……ええ、まあ」
胸元に押さえられているため少しくぐもった声で問うたセレーナに、躊躇いがちに答えた。
何だか歯切れが悪いけれど、言いづらいことだったのだろうか。それとも、信じてもらえないと思っているのか。
確かに普通であれば、十歳前後の少年が体格も良くて悪さをすることに慣れているであろう大人を一人でやっつけたなんて言われても信じられないけれど、何故かセレーナは彼なら出来る気がした。
行き先を聞かれて広場だと告げると、彼はそんなに遠くはありませんので、すぐ着きますよと教えてくれた。
どうやら、そんなに離れた場所ではなかったらしい。とはいえ、子どもが子どもを抱きかかえて歩くなんて重いだろうと申し訳なさを感じたが、少年は涼しい顔をして歩いている。
彼の腕の中から見上げてみるも、フードで影になっていてその表情はよくわからない。けれど、彼の腕の中はとても安心感があり、セレーナは少年の胸にこてんと頭を預けた。
そうしてそのままお互い何も話すこと無く、十五分ほどすると広場に到着した。
キョロキョロと辺りを見回していると、いち早くセレーナを見つけたマリーが走って来て、滂沱の涙を流しながらセレーナの無事を喜んだ。
「ひっ……姫様ぁぁあああ!!! 申し訳ありません!! 私が目を離してしまったから……っ!!! ご無事で……っ!?」
上着を掛けてもらっているだけでは全身を隠すことは出来ず、セレーナのボロボロの姿を見て言葉を詰まらせた。
「そ……そんな……っ」
「あ、あのねマリー、これは……やぶれちゃっただけで……。すみません、おろしていただけますか……?」
遠慮がちに声をかけ降ろしてもらったセレーナは、絶望した表情を浮かべ泣き崩れるマリーの側にしゃがむと、あわあわとしながら声をかけた。
「大丈夫だよ。なにもなかったよ。だから泣かないで……? しんぱいかけてごめんね……?」
マリーの背を擦っていると、遠くで二人を見つけた騎士見習いもセレーナの元へと駆けてきた。
泣きながら平謝りする二人に、セレーナはこれまた、大丈夫ですよと言って誰より大変な思いをした自分よりも、泣いて謝っている三人を苦笑しながら慰めている。
その様子を見ていた少年が、先程とは違った冷たくて硬質な声で話を遮った。
「お話中申し訳ありませんが、あなた方がこの方の同行者ですか?」
「そうですけど……」
先程までセレーナに優しく声を掛けてくれた少年のものとは思えない、冷たい声にセレーナは驚く。
マリーは涙に濡れた顔で返事をするが、少年の方はマリーの様子には気にも留めず、冷たい表情のまま続ける。
「この方はつい先程まで、とても怖い思いをしていらっしゃいました。一番泣きたいのも甘えたいのも彼女ではないのですか? それなのに、何故そんな彼女を差し置いて、あなた方が彼女に甘えているのですか」
話しながら、段々彼の声色に怒りが混じり始めた。
セレーナは少年に背を向けてマリーの背を擦っているため気付いていないが、マリーも騎士見習い二人もフードからちらりと見えた瞳に気圧される。
「もう少しで彼女は傷付けられるところだったかもしれない。もしかしたら殺されていたかもしれない。それ程の怖い思いをさせておきながら……っ!」
「わ、わたしは……本当に大丈夫です……。あなたが助けてくださいましたから……だからあまりおこらないであげてくださ……っ!?」
セレーナが勢いよく少年の顔を見上げると、その瞳に映る怒りに足が竦み言葉が詰まってしまった。
セレーナの顔を見てはっとした彼は、瞬時に先程の怒りとは反対の悲哀の色を浮かべた。
「あの……」
どうして初対面のはずのあなたが、そんなに辛そうな顔をしているのですか?と、セレーナが声をかけようとするよりも先に彼が口を開く。
「……気味……悪いですよね……。こんな俺に言われたくないかもしれませんけど、護衛をつけるならもっとしっかりした人になさってください。その女性は元々戦力外でしょうからなんとも言えませんが、そこの二人はクビにすることをお勧めします。それでは……」
「ま、待って……ください……!」
先程とは打って変わって、すっかり意気消沈した少年がその場を去ろうとするのを慌てて呼び止める。
「あの……あなたのお名前は……」
「……すみません」
「助けてくださったお礼に、城にしょうたいさせていただきたいのですが……」
「……お気持ちだけで十分ですから」
「あ、あなたと……もっと……お話してみたいのです……! 会っては……もらえないでしょうか……っ」
名前を聞いても、城へ招待したいと言っても断られてしまった。それでも食い下がったが、最後のは理由としてはとても弱かった。
お礼をしたいのは本心だけれど、本当の本当はただ彼と離れがたかったのだ。
もう少し話をしてみたい、そう思ったのは確かだが、それを言ったところで断られるに決まってる。
セレーナは誤魔化すようにすぐ訂正しようとしたが、それよりも一歩早く少年が答えた。
「やっぱり……」
「わかりました。では、こちらからお伺いさせていただきます」
「え……?」
「冗談、でしたか?」
「ち、ちがいます……! で、では、えっと、明日……は、早すぎますよね……? えっとえっと……ふ、二日後……のお昼はどうでしょうか……?」
「わかりました。二日後のお昼に伺わせて頂きます」
冗談かと聞かれ、左右にぶんぶんと勢いよく首を振り、慌てふためいているセレーナの様子に少年は優しげに笑うと頷いた。
フードからちらりと覗く、先程までの怒りも悲哀もない穏やかな瞳にセレーナは暫し見惚れた。
「今日は助けてくださって本当にありがとうございます……! お待ちしています……っ」
「はい。では、今日はもう大丈夫だとは思いますが、気をつけてお帰りください」
少年が去ったのを見送ってから、乗って来た馬車に戻り騎士団に護衛されて帰城した。
(二日後、また会えるんだ……)
ただ助けてくれただけの、命の恩人という言葉だけでは無い何かがセレーナの心にあった。
彼が掛けてくれた上着を胸の前でぎゅっと握り、その中に首をすぼめるとふわりと彼の匂いがした。
(あぁ……なぜだかはわからないけどおちつくな……。ちゃんとは見えなかったけど、かれの目……すきだな……。そういえば……きみがわるいってなんのことだったんだろう……?)
目を瞑って先程の彼の優しい表情を思い出している内に、セレーナは眠ってしまった。
その様子を見ていたマリーは、想像を絶する怖い思いをしたであろうセレーナが、今こんなにも穏やかな表情で眠っていることに、ひっそりと一人静かに涙を流したのだった。
その頃、騎士団と共にセレーナの馬車の護衛として付いて来ている騎士見習い二人は、護衛騎士列の最後尾で事情聴取を受けながら、首が飛ぶことを想像して震え上がっていた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
やっと出ました……!
が、名乗ってない……。
名前は次回判明します><




