9.
翌朝、セレーナは朝早くに目が覚めた。
窓の外を眺めると日の出が始まっていた。
特に理由は無かったが、なんとなく部屋ではなく庭園に出て、空を見上げる。
昨日は悪夢で目を覚まして、暗闇に怯えながら朝を迎えた。朝になっても不安は消える事無くセレーナの心を苛んだ。夢の中で守ろうとしてくれていた名前もわからない彼が居ない事に喪失感を覚えた。
そんなセレーナに、長年世話をしてくれていた侍女が心情を吐露してくれ、彼女の涙を見た時、今まで後ろを向き続けてきた自分が、ほんの少しだが前を向こうと思えた。
それから、昨夜の夕食は父と兄と初めて家族の時間を過ごす事が出来た。
思い出しても頬が緩んでしまう。
今のセレーナには夢の彼は居ないけれど、マリーが居る。
それだけでこんなに気の持ちようが変わるのか。昨日までは朝が来る度、一日の始まりを憂鬱に感じ、出来るだけ人目を避けて誰の目にも止まらぬよう、関心を持たれぬよう祈り続けて過ごすだけだったというのに。一日の始まりを心穏やかに迎えられたのは初めての経験だった。
特に理由もなく庭園を歩いていると、後ろでかさりと誰かの足音が聞こえた。
こんな早朝から誰も居ないと思っていた空間に、直ぐ後ろから足音が聞こえてセレーナはびくっと肩を揺らした。
恐る恐る振り向き、軽く目を見開く。兄が上着を片手に立っていたのだ。
「おはよう、セレーナ」
「……おはようございます、お兄様」
「こんな時間にどうしたの?」
優しく尋ねながら、兄は手に持っていた上着をセレーナの肩に掛ける。
「いえ、とくには……。ただ目がさめるとあさひがきれいだったので……」
「確かに、今日は朝陽が綺麗だね」
「……はい。お兄様はなぜこちらに?」
「僕も目が覚めてなんとなく窓の外を眺めていたらセレーナが見えたから」
「……そうですか」
兄と二人で朝焼けの空を見上げる。互いに口を開くことはなかったが、穏やかな時間が流れているのを肌で感じた。
そこでふと思い出す。
「……あの、お兄様。お手紙、ありがとうございます」
「それはいいんだけど……。ました、じゃなくて?」
「はい。ます、です」
「……どうして?」
“ました”ではなく、“ます”ということを不思議に思ったらしい兄は朝陽から視線を移して疑問を投げかけてくる。
そんなに変な事を言っているだろうか?とセレーナは疑問に思いながらも朝焼けの空を見たまま答える。
「かんしゃの気持ちにかこけいはないから、です……」
「……そうなの?」
「はい……。そうみたいです」
「そうなんだ。……セレーナは物知りだね」
そう言った兄は嬉しそうに顔を綻ばせ、また空を見上げた。
セレーナも何だか気恥ずかしくなって、空を見続けた。
疑問は解決したようだ。顔を見てはいないけれど、嬉しそうな空気を感じてセレーナも微笑し、嬉しそうな兄が続ける。
「じゃあ……今もありがとうって思ってくれてるんだ」
「……勿論です。とても嬉しかったです。大事にしまってあります」
「ふふっ、嬉しいな。変な話だけど、やっと本当の兄妹になれたみたいだ」
「……わたしも、そう、思います」
ちらりと隣を見上げると兄もセレーナを見ていた様で、お互いのほんのりと赤くなった頬を見てどちらから共無くくすくすと笑った。
「これ以上は体が冷えてしまうね。そろそろ中に入ろうか」
「はい」
「部屋まで送ろう」
そう言うとセレーナの手を取って、部屋まで送り届けてくれた。
そして去り際に、またあとでね。そう言ってぽんぽんと優しく頭を撫でてから兄は自分の部屋へと戻って行った。
次に兄を見かけた時は、自分から先に挨拶しようと心に決め、優しい兄の背中を見送った。




