75話 ースフィア編ー ロフト
その夜…
コン コン コン
生まれて初めてのヒールの音、右足が痛むが無理してでも平然と歩く。
ヒール、ワンピース、ネックレス、ブレスレット、香水、化粧、
初めてばっかり、すれ違う青年がチラッとコッチを見た。
目が合うと、恥ずかしそうに逸らした。
クロス男爵の屋敷の門前に来た。門は開いているから入る。
妻とかいるのかな? いても関係無い、ただ金を返すだけだ。
古い屋敷の扉を開く、
玄関の下足場には靴が一つ、横の靴棚に女性の靴が無い…
「すいません!」
奥から白いTシャツが見えて、トトトトっと、バナナの房ごとを持ったまま太った男の子が来た。
息子かな? 歳は13歳くらいか?
「クロス男爵はいる?」
息子は無表情に一つのバナナを食べながら、
「奇麗なお姉さんだ~~ァァ…パパは~ムチャムチャァ…となりで~仕事してる~ムチャァ」
「お母さんは?」
「ママ~? 去年…病気で…」
ブルブル体と手に持つバナナを震わせ、
「しんじゃった~~…えぐえぐぅ…でも…黒魔術で生き返らせるぅ…イシュラビィィ…バロウムカァァ…」
一瞬でクロスの息子の髪の毛を掴む。
「やめろ!!」
「ひっ!」
バナナの房と、食べかけのバナナが落ちた。
ワタシは髪の毛を離し、
「黒魔術に頼るな!!」
「でもでも…貴族学校でいつも男達に貧乏、デブ、ってイジメられて…黒魔術で仕返ししたい」
「お前が弱いなら髪の毛を掴め! その後に急所を狙え! 潰せ!」
「うっ…うん…急所って?」
ワタシはクロスの息子を睨みながら、
目にヒトサシ指を、
「目」
次に喉にヒトサシ指を、
「ノド」
最後に股間にヒトサシ指を、
「睾丸」
クロスの息子はワタシの動きの真似をしながら、
「うっうん…目ノド睾丸…目ノド睾丸…目ノド睾丸」
ひたすら繰り返す。
「それでいい…」
ワタシは屋敷を出て、隣の酒蔵へ行く。
大きい建物の開いている戸から入る、
すぐに見つかった、
下を一点集中して、何か作業をしている。
他に人はいない…
すごいな…「✖(クロス)」ラベルの葡萄酒を…一人で作ってるのか…
髪も薄くなったな…なんか疲れがにじみ出てる…老けた…
あんなに魅力的だったのに…
コン コン コン
ヒールの音が鳴る、それに気づくクロス、ワタシは前に立つ。
クロスは見上げ、
「あの? だれ?」
フフ、ちょっと、からかってやるか…
「ウフフ…ワタクシを覚えてませんこと?」
「え? どこかで? たぶん令嬢だろ? まさか…ナオミか? もうずいぶん前に別れただろ?」
「違いますわよ」
「ローラ? イザベラ? ソフィア? ドナ?」
近いのがいたな… 何人思い当たるんだ…もうからかうのは止めだ…
右目の隻眼を隠していた長い髪をかき上げる。
「スフィア?」
「そうだ、スフィアだよ」
「随分、変わったな? 奇麗だよ…本当に元気になって良かった…俺は色々あって老けてしまったけどな」
「クロス…」
「お前が山小屋から逃げてから…もう……6年か?」
「ああ…ありがとう…本当に……」
笑顔を作る、本当は目頭が熱い、でも泣かない…泣いたら失礼と思った。
ワタシは金の入った袋を床に置く、
「あの時の金を返す…少しばかり多めに入っているが、利子と思ってくれ」
「助かるよ」
ワタシはクロスのしている作業を見て、
「ブドウの皮を剥いてるのか?」
クロスは箱に山盛りのブドウの粒を見ながら、
「ああ、でも、その金があれば、人を雇えるから心配するな」
ワタシは対面に座り、
「ワタシも手伝うよ」
「いいよ、いつも一人でしてるし」
「手伝う! こういうのは得意だ!」
クロスは笑いながら、
「分かった分かった、スフィアを怒らせたら大変だ、そこで手を洗って来い」
「よし、終わり、今日はここまで」
クロスはコッチを向いて、
「どこで泊ってるんだ?」
「すぐ近くのドトールホテル#3よ」
「本当にすぐそこだな…息子のモロスはもう寝てるだろうし、前の酒場で晩飯を食べよう」
「クロスの息子はモロスと言うのか? ココに来る前に会った、貴族学校でいじめられていると言ってた」
「ああ、あの子は、少し鈍くてな…この酒蔵を継いでやっていくのも厳しい、だから6年前に博打を打った、あの子のため、クロス家を存続していくために」
クロスは剥き終わったブドウを片付け、金の入った袋を凄く重たそうに両手で少し持ち上げ、
「屋敷の金庫に締まってくる、少し待っててくれ‥‥重い…」
すぐ前の「チキンハート」という名前の店に歩む。
クロスは白いワイシャツのまま…
店に入ると、ロフトがある。流行っているのかな? 7割くらいの客がいる。男の何人かがワタシをチラっと見てくる。
クロスの特等席なのか、店の若い女がすぐに上へどうぞと言った。
ロフトへの階段を上がる。 上のランプが照らす一つのテーブルに椅子は4つ。
座ると、一階がよく見える。
「いい席だろ?」
「そうだな」
「料理も美味いぞ、俺の時はお任せだけどな、酒は『✖』ラベルだけど」
「あの時の、あれは美味かったぞ」
「ありがとう」
店の女がすぐに料理と酒をボンに乗せて上がってきた。
「なにかありましたら、そこの呼び鈴をならしてください」
ロフトから降りていき、二人きりになる。
クロスの造ったブドウ酒を注ぎ合った後で、ワタシはグラスを持ち、
「乾杯しよう」
クロスは嬉しそうにグラスを持つ、
「再会か? スフィア復活か? それとも俺の返ってきた金にか?」
ワタシは静かに首を振って、
「クロス…乾杯に言葉はいらないよ」
「そうだな」
重ねたグラスが二人の6年を…
これからを鳴らした…




