第七十六話 オルフォード・ハングバルム
「いやいや、まさかこんな子どもたちの襲撃を受けようとは。いえ、やはりそれも侮ってはいけませんね。どんなに小さくとも力があれば認められるのが世の常ですからね。そうですね?エレナ・スカーレット王女様」
「あなた……やはり…………あなたがオルフォード・ハングバルムですわね?」
エレナは長髪の男の顔をきつく睨みつけるのだがオルフォードは余裕の笑みを持ってエレナを見つめ返す。
「おや?これは光栄であります。まさかエレナ様に名前を憶えて頂いていたとは。こうして話をするのは初めてだったかと?それともどこかでお調べになられたのでしょうか?どちらにせよ私がシグラム王国、オルフォード・ハングバルム伯爵であります。以後お見知りおきを」
オルフォードは貴族の所作を用いてエレナに一礼をした。
「……よくもまぁぬけぬけと」
ヨハンとレインが驚くのは、オルフォード・ハングバルム伯爵はエレナを王女と知った上で堂々と名乗る。
それはつまり自ら貴族の関与を自白したということ。
「思っていたよりもあっさり認められますのね?」
エレナはオルフォードをしっかりと見据える。
「ええ。それもそうでしょう?ここまで踏み込まれた以上、ここで負けたら私は捕まり、すぐに私の素性もばれるでしょうし、隠したとて無駄なこと。それに、勝てばあなた達が死んで、私の素性を知るものがいなくなります。つまり、言おうが言わまいが私としてはどちらでも構わないではありませんか?」
「……確かに、そうですわね」
オルフォード伯爵はエレナの質問に関して落ち着いて返答した。
自信の表れなのか、やけくそになっているのかわからないが、恐らく前者なのだろうと判断するのはオルフォードの後ろに立つ三人の男達。
「ですが、あなたの言うことには間違いがありますわ」
「間違い?はて?どこに間違いがあるのでしょうか?良ければ教えて頂けますか?」
笑みを崩さずにオルフォードはエレナに問い掛ける。
「ここであなたがわたくし達に勝つことなど不可能だということですわ!」
「……くっ、くくくくっ」
エレナが言い放つとオルフォードは僅かに俯き、薄く口角を上げて笑い声をこぼした。
「くくくっ」
「気でも触れましたか?」
「いや、これは失礼しました。申し訳ありません、あまりにもエレナ様が滑稽だと思いましたので」
顔を上げ、エレナを見るオルフォードは嫌らしい笑みを浮かべている。
「お前達、まさかの獲物だ。あそこにいるのは本物の王女だ。宴会に特別料理が届けられたぞ」
そしてオルフォードは背後を向き両手を広げた。
自身の近くに立っている幹部らしき男三人に声を掛ける。
「いいんですかい?」
「もちろんだっ!」
「生きて捕えれば好きにしても?」
「ああ、お前たちの好きにすればいい!」
「小僧どもは殺してしまいますぜ?」
「かまわんっ!」
こうして見る限り、その男達はオルフォードの信頼に足る実力を有しているのだろうと判断出来た。
側近なのかはわからないが、この状況で他の人攫い達とは明らかに一線を画すほどに落ち着いている。
オルフォードを追い越すようにずいっと前にでる男達。
一人は長髪で長剣を手にしており、一人は中年髭面で槍を持ち、一人はスキンヘッドの無手で手甲をしていた。
「ヨハンさん! レイン!」
エレナが大きく声を掛け、目が合うとお互いに頷き合う。
「ちっ、しゃあねぇな」
「(エレナ、珍しく本気で怒ってる)」
エレナが意図するのは、それぞれが一人ずつ対応をするということ。
ヨハンもレインもエレナの横に並び、男達の前に立つ。
男達もそれぞれ分かれてヨハン達の前に立った。
エレナの前には無手のスキンヘッドの男が。
レインの前には長髪の剣士風の男。
ヨハンの前には中年の髭面の槍使いが立つ。
ジリッと距離を縮め、エレナ達もそれぞれ得物を持って構えた。
見てわかる程に戦闘態勢に入ると、それまで黙って動向を見守っていた人攫いの男たちが活気付く。
「殺っちまえー」
「殺せー」
「生意気なガキをぶっ殺せー!」
など、絵に描いたような怒号が飛び交っていた。
「さあ始めましょうか。命を賭けた戦いをッ!」
オルフォード伯爵の表情は嬉々としており、その状況を楽しんでいるようだった。
エレナはジッと正面に立つ男を見る。
「(無手ですか……徒手空拳の類ですわね。暗器は…………この様子からは見受けられませんわ)」
観察する様に男を見る。
暗器を扱う雰囲気には見えない。
「(余程腕に自信がある様ですわね)」
暗器を見える位置に仕込むはずもないのでその可能性を捨てることなく観察をした。
「お嬢ちゃん、さっきの凄かったな。物凄い速さであいつらを倒していた」
「お褒めに預かりまして」
自身たっぷりの笑みで声を掛けられ、エレナもニコリと笑みを返す。
「では、いざ尋常に」
「既に正々堂々の状況ではありませんわ。人攫いのオジサマ?」
「ふははっ、その通りだな。ではいくぞッ!」
勢いよくエレナに突進する男。
「速いっ!」
想定以上の速さの突進に対して即座に薙刀を横薙ぎに振るうのだが、スキンヘッドの男は手甲でエレナの薙刀を上に逸らして踏み込んで来た。
「なるほど、それだけの得物をこれだけの速さで振り切るのか」
もうあと一歩のところまでエレナは踏み込まれている。
「(それだけ速く振れるのなら慢心もわかる。オレに出会ったことを後悔するんだな!)」
スキンヘッドの男は脳内で考えを巡らせた。
薙刀はその長さ故、間合いを詰められると途端に劣勢になる得物。
薙刀に限らず槍や斧など、俊敏性に欠ける武器を得物にする者に対して対抗するには、武器を振るえなくするほどに距離を詰め、近距離戦に持ち込むのが常套手段。
「フンッ、青い。自分の武器の弱点も知らぬとは。それが長い得物の弱点だ!」
そう言い、スキンヘッドの男がエレナの腹部に向かって思いっきり踏み込み、拳を振り抜こうとする。
その拳がエレナの腹部に深々と突き刺さろうとした。
――――普通の戦いの話ならば、だが。
エレナはその拳に対して即座に身を捻る。
薙刀を振り切った遠心力を利用してクルっと背を向け右足を軸足にして回転して躱した。
そのまま左足を大きく振り上げ、回転の勢いのままスキンヘッドの後頭部目掛けて後ろ回し蹴りを放つ。
踵をスキンヘッド男の後頭部に蹴り込み、「ゴフッ」っと息を吐いてそのままその場に前のめりに倒れ込んだ。
倒れ込んだ男を見下ろすようにエレナが立つ。
ダンッと勢いよく薙刀を地面に立て、笑顔を浮かべた。
「申し訳ありませんわね。自分が使う武器の弱点ぐらいは十分に心得ておりますわ」
薙刀に目を向け、柄をさする。
「それに、何も手持ちの武器だけで戦うわけではありませんのよ」
軽く足を上げて膝を曲げたまま冷淡な口調でそう言い放つのは、体術で倒したことを意味していた。
「ヨハンさんは――」
エレナがヨハンに顔を向けると、ヨハンはエレナと同じように槍使いを地面に寝転ばせており、槍は半ばで折れて地面に転がっている。
「レインは――」
反対側、レインを見ると、レインは長剣使いを足蹴にしているところで、目が合うとピースサインを送られた。
エレナはその様子に呆れて溜め息を吐き、前の方向を向く。
人攫い集団は呆気なく沈黙した。
それまで飛ばしていた野次は鳴りを潜め、ひそひそと話をしている。
「どうする?」
「逃げるしかない!」
「どこに?」
「こいつらから逃げられるわけないだろっ!」
などといったことをこそこそと話していた。
そして、それはオルフォード伯爵も同じ様子が見える。
衝撃を受け、怯える表情を浮かべるオルフォードはこれほどまでに一方的に負けるとは思っていなかったのだろうことは見て取れた。
肩をわなわなと震わせ俯く。
「さて、これで満足して頂けましたか?」
「……ぐっ…………」
「はぁ。終わりの様ですわね。では大人しく捕まって下さいませ」
オルフォードに向かってゆっくりと歩いて向かうエレナ。
しかし、オルフォードは震わせていた肩を静めて、胸元に手を入れギロリと怒りを込めてエレナを見た。




