星降る夜の囁き
自然との調和に重きを置くエルフという種族。広く知られたその特性であり、ヨハン達が招かれた広場に作られていた門は石や木を組み合わせ、繋いでいるのは蔓で編み込まれたアーチ。広場の最奥には種の繁栄を願い、祈祷を捧げるための祭壇が設けられている。
夕刻、ヨハン達を歓待する為に整えられたその場所には他にもいくつもの木卓が並べられており、着々と食事の準備が進められていた。
「ねぇ。そういえば、エルフってここに何人ぐらいいるの?」
給仕に動いているエルフの女性達を見ながらの溜め息混じりのカレンのふとした疑問。溜め息の理由は、せっかくなのでいくらか手伝いに動こうとしたカレンを全員で止められたため。
「おいヨハン、いつカレンさんの料理は上手くなるんだよ」
「僕に聞かないでよ」
小さく言葉を交わすレインとヨハン。退屈そうにしているカレンへと視線を送る。
手持無沙汰にさせてしまったのだが、宴を悲惨な場にしたくはないという全員の無言の意見の合致。
「そうねぇ……えっと…………、ここにいるのはだいたい五百人ぐらいかな?」
「けっこういるのね」
「うーん、でも前はもっといたらしいのだけど、ほら、そもそも私たちって寿命が長いじゃない?」
五百人という人数は、小さな村落に比べれば遥かに多い。ただ、数を大きく減らしたのにも大きな原因があった。
およそ十五年前には千人近くのエルフが過ごしていたのだが、強欲な人間による襲撃により半数近くが命を落としてしまっている。
「……申し訳ありません」
「べつにエレナが謝ることじゃないわ。だいたいエレナが生まれる前の話じゃない」
「ですが、やはり王国として責任は取らないといけませんわ。今後のエルフの境遇はわたくしの身命を賭して保障致しますので」
「それはありがたいけど、お互い様なんだけどねぇ。でもほんとこういう話になると真面目よねぇエレナは」
公私を使い分けるエレナに呆れるナナシー。
「…………平和に見えるこの国にもそういうことがあったのですね」
神妙な面持ちで口を開くクリスティーナ。
純血のエルフはパルスタット神聖国ではまず見ることはない。パルスタットのエルフのほとんどは親友の風の聖女イリーナ・デル・デオドールのようなエルフの血を宿す者に過ぎない。それも長い年月をかけて血が混ざり、寿命や魔力量を始めとしてほとんどは人間に近い状態になってしまっている。違いがあるのは髪の色や耳の長さによる身体的特徴が顕著に出ている程度。
(今は平和だとしても、それもいつまで保てるのか)
明確な課題。
水の聖女クリスティーナは二度目の訪問ともなるこのシグラム王国。見る限り大半が平和そのもの。国として基盤がしっかりしているからそう見えるのであり、国家を担う者として、今後の展望の参考にしなければと思っていたところで聞かされたそのかつての騒動。
「やはり争いのない国づくりは難しいのですね」
「そ。だけど、今こうして私たちは仲良くやってるから、クリスのところもきっとすぐに良くなるわ。お互い悪人だけじゃないってわかってるもの」
「……そうですね。お気遣い、ありがとうございますナナシー様」
しかし理解と納得は別。
人間を忌避しているエルフがいれば、人間を毛嫌いしている獣人もいる。人間側にしても、獣人を魔物と同種と扱い嫌悪する者や、エルフを人族と見なさない者もいるのだから。
互いの歩み寄りという点では、シグラム王国がエルフの里と繋がりを持つことと、パルスタット神聖国が獣人と繋がることの抱える問題にはいずれも通ずるところがあった。
「エルフの皆さまのこれからの繁栄をお祈りさせて頂いても?」
最奥にある祈祷の場に視線を送るクリスティーナ。
「え? べつにいいのじゃない? それぐらい」
「なにを適当なことを言っておる」
「っ!?」
あっけらかんと答えるナナシーの背後に立つ影。直後には頭部に響くゴツンと鈍い音。
「っつぅ……いったぁ。いきなりなにするのよセブ爺っ!」
拳骨が落ちていたのだが、行ったのは老齢のエルフの男性。
「だいたい働きもせずのほほんとしよってからに。いくら馴染みある方とはいえ、ここではお前がもてなす側なのだ」
「わかってるわよそれぐらい」
「まったく。本当にわかっておるのか」
老齢のエルフがため息を吐きながらヨハン達を見ては小さく頭を下げる。
「申し訳ありませんお客人。先程のお話しですが、あの祭壇はエルフの者のみが祈祷を許されておりますので遠慮して頂きたく」
「あっ、いえ、そうなのでしたか。こちらこそ失礼いたしました。そうとは知らず」
慌てて頭を下げるクリスティーナ。その様子を見て笑みを浮かべる老齢のエルフ。
「いえいえ、知らないのは仕方ありませんので。こやつが説明せねばならなかったのですが……それにしてもみなさま、不肖の孫が大変お世話になっております」
「孫ってことは、ナナシーのお祖父さんですか?」
「ええ。セブと申しますヨハン様。この度は、里へお越しいただき誠にありがとうございます。ごゆるりとお過ごしくださいませ。聞き及ぶ限り孫が日々ご迷惑かけていると。こんな子ですのでいつでも叱ってやってくださいませ」
「そ、そんな」
あまりにも丁寧な態度にヨハンは思わず手を振る。「なにをどう聞いてるのよ」と小さく呟くナナシー。
「僕こそ、いえ、僕たちこそ、ナナシーには色々と助けられています」
その言葉を受けて、セブはヨハン達の顔を見まわした。
「…………左様、でございますか。ふむ。クーナ様からもお聞きしておりますが、どうやら良き仲間に巡り逢えたようで」
そのまま満足そうに頷く。
「それで、本日ご宿泊する場所はもうお決まりで?」
「場所ですか? えっと、あー……一応クーナさんのところに呼ばれています」
アーサー達護衛に就いている騎士達は空き家をあてがわれているが、元々は宿泊施設などのない里。泊まれる人数にも限りがあった。そのため、ヨハン達はクーナの屋敷へと招かれている。
「なんと!? いくらお客人とはいえ、さすがにこれだけの人数をクーナ様のところにいさせるわけにもいきません。ですので、何人かは儂のところに泊まって下さいませ」
「でも……」
確認するように周りを見ると、エレナが口を開いた。
「そうしてくださいませヨハンさん。わたくし達は今後のことでクーナさんとお話ししたいので、わたくし達はあちらでお世話になりますわ」
「そう? うーん、じゃあ、せっかくだからそうさせてもらおっかな。ごめん、お世話になるねナナシー」
「まぁ、セブ爺が良いっていうなら、いいのじゃない?」
その態度にヨハンはいくらか疑問が浮かぶ。
ナナシーにしてみれば、珍しくぶっきらぼうな物言い。
(仲……あんまり良くないのかな?)
しかしこの場で問いかけるわけにもいかない。
疑問が解消されない中、歓待の宴が開かれ、盛大に盛り上がりを見せていた。
宴を終え、ヨハンとモニカ、それに加えてカレンとサナとレインがナナシーに連れられセブの家へと向かっていった。
◆
結界によって外界と隔絶された場所であるエルフの里であっても日が暮れれば夜は訪れる。
ただしかし、本来であればその夜空は月や星々が煌めきを彩っているのだが、ここではそれらは他の光に遮られることでほとんど見られない。
「こんな眩しいのかよ」
セブの部屋で借りた一室。そこでのレインの小さな呟き。
確かに夜になっていくらか光量は落ちたものの、それでも煌々と輝きを放つ世界樹によって、カーテンを閉め切っていないとそこそこに光が入り込んで来る。
「でも、ほんと凄いよね」
魔王を滅してから本来の輝きを取り戻した世界樹。月周期でも輝き具合は異なるらしいのだが、今日は特に光量が多い日。クーナが敢えて選んだその日。
「綺麗なんはわかったから、そろそろ閉めてくれよ」
「うん」
欠伸をしながら睡魔に襲われるレイン。窓際ではヨハンが世界樹の放つ夜の景観を最後まで堪能していた。
「あれ?」
カーテンに手を掛けて、締めきろうとしたところでふと視界に入る人物。
(モニカ?)
外を一人で歩いている。どこかに行こうとしている様子。
「どうかしたか?」
「ごめん、僕ちょっと外に行って来るね」
シャッと素早くカーテンを閉めて、足早に部屋の入り口へと向かった。
「ん? おう、なら俺は先に休ませてもらうぜ」
「そうして」
バタンと閉まるドアを見送るレインは一人呟く。
「にしても元気だなあのスケこまし野郎は」
どうせ窓の外に誰かを見かけたのだろうと。モニカかエレナか、又はクリスティーナか、恐らくその辺りだろう、と。
そうして大きな欠伸をするレインはベッドへと横になった。
「…………えっと」
外に出てヨハンはモニカの姿を探すのだがどこにも見当たらない。こんな夜更けに外に出る用事などないはず。
「もしかして」
だとすれば思い当たるところは一つしかない。
大きな光を放つ巨木――世界樹へと向かう。
「――…………ほんと、綺麗ね」
人間大の石に腰掛け、足を伸ばすモニカは世界樹をぼんやりと眺めていた。
夜の世界樹が放つ光は昼間の光景とは別であり、落ち着いた光をまるで星空のように放っている。
「僕もそう思うよ」
そのモニカの横にスッと人影が立った。
「!?」
突然の気配にモニカは思わず剣の柄へと手を伸ばす。
「って、なぁんだ。ヨハンじゃないの」
「やっぱりここにいた」
「驚かさないでよ。どうしたの?」
呆れるように軽く息を吐きながら剣の柄から手を離す。
「いや、モニカが外に行く姿が見えたから、どこに行ったのかと思って」
「それでわざわざここに?」
「うん。最初は探そうかと思ったんだけど……――」
エルフの里で夜中に怪しまれるような動きをするわけがない。そうなればここ以外に向かう場所などないに等しい。
「――……モニカにとって……ううん、僕にとってもここは特別な場所だから」
世界樹がどうして存在するのか。
その全てを見て来たヨハン達にとってはこの場所は何よりも特別な場所。特にモニカにとっては。
「もしかして、心配させちゃった?」
「まぁ、ちょっとだけ?」
指先を小さく摘まむ。
「そっか。でも心配しないで。ちょっとだけ感傷に浸ってただけだから」
「えっと、邪魔しちゃった?」
「ううん。そんなことないわ。ただ、驚いただけだから。にしても、気配を消して近付くのはさすがに怖いわよ」
「ははは。いや、珍しくモニカが隙を見せてるなって思ったらつい」
「ついじゃないわよついじゃ」
モニカも気配を探る術には長けている自負はある。それをさせないのはそれだけの実力者ということ。
「……ねぇ、座る?」
溜息を吐きながら再び石に腰掛けながら、半分だけ身体をずらした。
「じゃあ、ちょっとだけ」
二人で腰掛けると肩が触れ合う距離。なんとなく気恥ずかしさはあるのだが、そんな恥ずかしさは目の前の景色が全て消していく。
「夜の世界樹も綺麗だね」
「ええ。どうしてもこの木の色んな顔を見ておきたくて」
そっと胸元に手を送るモニカ。
誰よりもスレイの存在をその身体に感じているのはモニカ自身。今はもうスレイの存在は感じないらしい。
(あれは、本物だった)
夢のような出来事だが間違いなく夢などではない。
エレナと共にパルスタット神聖国でスレイと会話を交わしていた。刻の約定とでも云うべき出来事。
「そういえば、クリスはミリアに会ったらしいね」
初代光の聖女ミリア。クリスティーナ曰く、ミリアが力を貸してくれなければ間違いなくモニカとエレナを助けられなかったのだと。加えて、クリスティーナ自身もその命はなかったのだと言っていた。
「…………ねぇヨハン。私、考えていたことがあるの」
ゆっくりと口を開くモニカはすっと立ち上がると、ヨハンの前に立つ。
「私がヨハンを好きなのは間違いないの」
「あっ、えっと……うん、ありがとう」
しっかりと見つめられながら言葉にされる。
「本当ならね、ヨハンを独り占めしたいのだけど、そうはできないじゃない?」
「…………まぁ、僕に言われてもちょっと困るけど……」
辺境伯としての地位を賜ったことで将来的には複数人を娶るようにと言われていた。
理由として、四大侯爵家であるカトレア家の血縁とはいえ、個人としては新興貴族。そうなれば地位が固まっていないので地固めが必要なのだと。
国交を兼ねてカレン・エルネライを第一夫人とすることは確実となっているが、シグラム王国からはどの家の者を娶らせるのかということが一部の高位貴族の間では争点となっていた。
「あの、僕が言うことじゃないと思うんだけど、モニカが嫌なら断ってくれてもいいんだよ?」
迷いを抱いているのなら申し訳ない。
先日の王宮でのやり取り。ヨハンへ婚姻を申し込もうとする全ての貴族を黙らせたのがローファス王に他ならなかったのだから。
第二王女としてのモニカを、正式にヨハンの婚約者として送り出すのだと。
(そりゃあ、急にあんなこと言われても困るよね)
ヨハンがそう口にしたのは、もしかすれば嫌々モニカが承諾したのではという可能性。
「あっ、違うの。さっきも言ったけど、ヨハンのことは好きよ。誰にも負けないぐらい」
「あ、ありがと」
「だけどね、色々と思うところがあるのも確かなの」
僅かに表情を落とすモニカ。しかし、何を、と聞くわけにもいかない。
「だからね、もう少しだけ、心の整理をする時間をもらってもいい、かな?」
目線を上に向け、不安の色を滲ませてヨハンを見る。
「もちろんだよ。だけど、僕からも一つだけお願いしてもいいかな?」
「お願い?」
「うん。モニカも知っての通り、僕は卒業してから色々とやらなければいけないことがあるじゃない」
「うん」
辺境伯としてすぐにでも実務に取り組まなければならない。そのための人材の地盤固めはカールス・カトレア侯爵が後見人として見繕ってくれるというのだが、そこから先は直接的な手出しはできない。
「だから、どんな形でだっていいから、僕に力を貸して欲しいんだ」
「え? でも私政治なんて全く知らないし、ヨハンには悪いけど、興味もないわよ?」
「それは全然良いよ。僕がモニカにお願いしたいのは、前にモニカは卒業したらヘレンさんとヨシュアさんのところに帰るって言ってたじゃない。そのことなんだ」
「それって…………」
「ちょっと身勝手なお願いなんだけど、僕たちが開拓する土地を拠点にしてくれないかな? その、冒険者としての活動を続けたままってことだけど」
頬を指でかきながら申し訳なさげに口にする。
「…………」
「だめ?」
小さく問いかけると、モニカは目を丸くした。
「なに言ってるのよヨハン」
「え?」
「そんなこと、聞かれるなんて思ってもなかったわ」
「……そっか。そう、だよね。モニカは前からレナトに帰るって言ってたもんね。ごめんね、今の話は忘れて」
魔王の魂を滅した今、何の気兼ねもなく両親の下へと帰ることができるようになったのだから、今はそのモニカの気持ちを汲むべき。
そんなことを考えていると、目の前のモニカは小さく吹きだす。
「ちがうわよ。今さらそんな答えの決まっていること聞かれるなんて思ってもなかったから」
「え?」
「たしかに前はそんな風に話したことはあったわ」
「だ、だよね」
「でもね、今は違うわよ。今はヨハンの力になりたいって思ってるもの。正直に」
その言葉を受けて目をパチパチとする。
「なんて顔してるのよ。別にそんなおかしな話じゃないわ。私が、っていうか、私とエレナが抱える問題を解決する、もっと言えば私が今こうして生きていられるのも、全部ヨハンのおかげなんだからさ」
「そんなことはないと思うけど」
「そんなことあるの。だからね、次は私があなたの力になるって決めてるの。たとえどんな邪魔が入ったとしても、この命を懸けてあなたの敵を排除する、そう決めてるの」
力強い、決意を抱く瞳。
「でも、迷っているのは、まだ私はあなたを守るぐらい強くなれたわけじゃないわ。だから、もっともっと、誰にも負けないぐらいの力を身に付けて、それであなたのためにこの剣を振るいたいの」
スッと引き抜く愛剣。
剣身を剥き出しにすると、まるで世界樹が呼応するかのように光の粒子がひらひらと剣へ降り注いだ。
「ふふふ。見て。スレイもそうしろって言ってるわ」
「ほんとに?」
「ほんとよ」
あの夢とも思える邂逅で、スレイはモニカの行動を後押しするように助言していた。
「この剣に誓うわ。生涯あなたのために力を尽くすと」
そのモニカの決意に反応する光の粒子は黄金色に輝く。幹も仄かに光を放っていた。
まるでモニカを祝福するかのような幻想的な光景。神秘的な光を放つ世界樹を背負ったモニカの姿はまるで神話の女神かのよう。
「…………」
「だから、だから、ヨハンあなたはこれからも私の目標になってちょうだい」
剣を鞘に戻しながら赤面するモニカ。それでも目線はしっかりと逸らすことはない。
「…………」
「その、私の隣で」
真っ直ぐヨハンへと手を伸ばす。
「……うん。これからもよろしくねモニカ」
差し出された手をしっかりと握り返した。
繋がれる手に視線を落としながら、モニカは恥ずかしさが込み上げてくる。
「…………なんか、改めて考えると、とんでもないこと口にした気がするわ」
「そんなことないよ。僕はモニカの気持ちを感じられて嬉しかったよ」
なにより、これから先もモニカと共にいられるのだと思うと素直に安心した。




