第十三話 そして新たな物語を紡いでいく
「――――なんか、ふわふわする」
浮遊感に苛まれながら、ユニスは宙を漂っている。
「どこだろう、ここ?」
まるで身に覚えのない場所。辺り一帯は真っ白な空間。
ギガゴンの背に乗り空を飛んだことはもう数えられないぐらいにあるのに、そのどの経験とも一致しない。
「まったく。無茶をしたものだね」
「え?」
振り向く先は、白い光。
「えっと? だれ?」
「おいおい、ひどい話だよまったく。ボクを取り込もうとしておきながらその言い草はないだろう?」
「んんー? なんのこと?」
「……はぁ。まぁいいや。一応ボクがわかるだけのことは説明しておくね。でもその感じだと、起きたとしてもキミは覚えてないかもしれないけどね」
「はい?」
「結論から言うと、今回キミは無事だったけど、無茶が過ぎるのだと忠告しておくよ。そんな無茶はそう何度も通じないよ? ただだけど、その特殊な血を持っていたからこそ無事だったと言えるのだけどね」
「あのさ、さっきから何言ってんの?」
「まず、キミの身体に流れているのは竜の血。本来であれば人間を遥かに上回る素質を持っている筈なのだけど、何代も人間と交わったことで血が薄まっているね。キミが魔法を使えないのはそのせいだよ」
「え? アタシが魔法を使えないのをどうして知ってるの?」
「…………気にするのはそこなんだね。一応答えておくと、ボクがキミの中に入ったことでキミの苦悩ぐらいなら感じ取れるからだよ」
「そうなんだ?」
とはいえ、何を言っているのかよくわからない。
「それより、竜の血のことはどうでもいいのかい?」
「え? うん、まぁ。だってお母さんたちが何か隠してるっぽいのは知ってたから」
「驚かないのだね?」
「いや、驚いてるよ? だけど、驚くよりも、なんかちょっと嬉しかったっていうのが本音かな?」
「嬉しいのかい?」
「うん。だってそれってさ、アタシに特別な力があるってことじゃないの? だったら嬉しいじゃない」
「特別、か。それはそうとも言えるが、でもそうとも言えないかもしれない。さっきも言った通り、この力はかなり薄くなっているからね。今回はボクが手を貸したことで潜在的に眠っている力を強引に覚醒させた」
「へぇ」
「その代わり、キミは理性を失ったんだ」
「ふぅん。だから覚えてないの?」
「恐らくそうだろうね。それと、この力を自由自在に使えるかどうかはこれからのキミにかかっているよ。それでも扱えるようになるかはわからない」
「…………うん、わかった。ありがとう」
「意外だね。お礼を言われるとは思わなかったよ」
「お礼ぐらい言うよ。諦めかけていたことに希望が持てたんだからさ」
「そうかい。じゃあそろそろ起きようか。あまり心配させるものじゃないよ。人間は弱いのだから」
「うん」
白い光が眩いばかりに光を放つと、目の前が光で覆い尽くされる。
「――――……ユニスちゃん! ユニスちゃん!」
薄っすらと瞼を開けるユニスの目の前には、涙で濡らしたキャロルの顔。
「あ、あれ? アタシ」
「良かった!」
「ちょ、ちょっと痛いよキャロルちゃん」
どうしてこれだけ涙を流しながら抱きしめられているのか理解できない。
「まったく。心配させないでよね」
「ん? カレンさん?」
隣には、溜息を吐いている銀髪の女性。ユニスが目を覚ましたことで喜び離れようとしないキャロルの母。
「えっと……?」
辺りを見回すと、そこは焼けただれた森の中。ぼんやりとだがそこがどこなのかという記憶が思い起こされて来た。
カレンがこの場にいるのは、娘が帰って来るのが遅くて様子を見に来たのだと。
「わたしだけじゃないわよ」
「え?」
燃える木に水魔法を放って消火をしていた男性。ユニスが身体を起こしているのを目にすると、笑顔で振り返る。
「おはよう。ユニス」
「あれ? おとう、さん?」
ゆっくりと歩みを寄せるのは、しばらくぶりに顔を合わせる茶色い髪の男性。
「おかえり、おとうさん」
「ただいま、ユニス」
「でもどうしてここに?」
父は他国の視察に赴いていたはず。近々帰るということは聞いていたが、ここにいる理由がわからない。
「オレが声を掛けておいた」
「あっ、ギガゴン」
背後から聞こえる声に視線を送ると、この森まで連れて来てもらった翼竜。その翼竜が人間へと変化した姿。
「……あれれ? そういえば、アイツはどうなったの?」
「あいつって?」
「ほら、キャロルちゃんが戦ってたあの黒いやつ」
「ユニスちゃん、覚えてないの?」
「なにが?」
「…………」
顔を見合わせるキャロルたち。
「とりあえず色々と落ち着いたみたいだし帰ろうか」
ヨハンが全体へと声を掛ける中、ユニスは事情を正確に呑み込めないまま帰路へと着いた。
◆
普段は賑やかな街並みなのだが、今は人通りもなく静かなもの。
東の空には山間部より覗き始めた朝陽が差す頃、ラスペル領の辺境伯邸の前には一台の馬車が待機している。
「ほら、早く仕度をしてくださいませユニスさん」
「……ふぁい」
部屋からアイリスによって強引に連れ出されるユニスは頭を何度となく沈ませていた。
「まったく。何を寝ぼけていますの」
「むぐっ!」
廊下に控えていた使用人よりパンを受け取るアイリスは、寝ぼけ眼のユニスの口へ強引に押し込む。
「むがっ」
「ほら、起きてくださいませ」
背中を叩かれ、ごっくんと飲みこむ。
「ぷはぁ! 入学式前に殺す気なの!?」
「こんな日まで寝坊しているユニスさんが悪いのですわ。はいお水」
続けざまに手渡される水を受け取りながら、ユニスはジロリとアイリスを見る。
(ほんと、こういうところでこの子は怖いんだよねぇ)
悪びれる様子もなく、ニコニコと嬉しそうにしている妹の顔を見ては、呆れつつも水を飲み干す。
「……ふぅ。ありがと。でさ、ちょっと聞きたいんだけど、アイリスちゃんはどうしてそんなに張り切ってるのさ」
問いかけを受けるアイリスはすぐに目を丸くさせた。次には盛大に溜め息を吐く。
「そんなの決まってるではありませんか。わたくし達はシグラム王都のあの冒険者学校へ入学するのですわよ?」
「わたくしたちって、アタシはしたくないって言わなかったっけ?」
呆れ眼のアイリスによる二度目の溜め息。
「確かにお母様たちはそこまで言いませんが、ですが、ユニスさんも向こうに通えば、もしかすれば魔法が使えるようになるかもしれませんのよ?」
「…………」
その言葉に思わず沈黙してしまった。
思い返すのは二年前のこと。あのエレクトラㇽの森の騒動の事の顛末を姉から聞いたところによると、どうやら無意識下で魔法と思しき行動をしていたというのだから。
(けど……――)
ただ、それも従来の魔法とは具体的にいえば少し違う。
(――……固有魔法、か)
現存する魔法とは一線を画すというのが、その特異性。魔法の素養がある者が扱える一般的な魔法以外に、エルフ独特の魔法や古代魔法などはあるのだが、それらとも違う。
どうにも肉体を強化する魔法を使っていたのではないかという見解。
戦士系が扱う一般的な魔法では身体強化の【闘気】と呼ばれる付与魔法があるのだが、ユニスが行使したのはそれともまた別なのだと。
本当にそんなものが使えたのかと、高揚感を抱いたもの。しかし、それから何度か実践しようとしたものの、一度として使えたことがない。
――――この二年間、一度として。
そうして迎えた十二歳。
シグラム王国では十二歳を迎えた貴族の大半は冒険者学校へと入学する決まりとなっている。通わなくても良いのだが、通った方が人脈や見識など、成人して後に大きく役立つのでユニスのように貴族社会に興味がない者でなければ通わない理由がない。
それ以外にも、平民であれば冒険者としての実戦形式での経験や知識など多くを学べる場所でもある。他には親元を離れて自立したい者や一般教養を学ぶ場所としても重宝している。
「うふふ。それにしても、どのような方がいらっしゃるのでしょうかね」
ユニスの仕度を隣で監視しているアイリスは目を輝かせていた。明らかに期待に胸が膨らんでいる。その理由をユニスは知っていた。むしろ知らない筈がない。
格差が極力ないようにされているその冒険者学校はおよそ二十年前に両親達が出会った場所。
「なに言ってるのさ。どうせ碌な奴いないって。デロンみたいにね」
「あら? そんなこと言っていいですの? あんなに慕ってくれていますのに」
「……それがヤなんだって」
嫌悪感を抱きながら窓の外を見ると、外に待機しているのは王都までユニスとアイリスを乗せて走る予定の馬車。その御者台には使用人が手綱を握っているのだが、この家の関係者ではない人物が一人。まるで従者のようにして馬車の前に立っている。
「デロンさん、明け方から来てらっしゃったみたいですわよ?」
「……ばっかじゃない?」
二年前のあの騒動以降、愛人だ妾だなんだといった、ユニスへの罵詈雑言は鳴りを潜めていた。それどころか何を血迷ったのか、辺境伯家と子爵家の立場を弁えるといったように下手にでるようなものではない。まるで下僕かのようにユニスに付き従っているのだから怖くて仕方ない。その態度が一変したことにデロンの周囲も困惑していた。
そのデロン自身も十二の歳を迎え、ユニスとアイリスと共に王都へ向かうことになっている。
(はぁ。めんどくさいなぁ)
やる気の起きない王都での生活。
しかし、一応行く気にはなっていた。
(まぁでも、何か掴めるかもしれないのはあるか)
期待がないわけではない。
魔法を使うということは、厳密には魔力を扱えたということ。二年前のことを何も覚えていないと周囲へは話していたのだが、たった一つだけ覚えていたことがある。
(あの時の魔力の流れ)
本当に魔法が使えたのかどうかは正直な感想としては怪しいところ。しかし確実にこれだけは言えた。
(あんなの、初めてだったから)
記憶にない経験。体内に流れる魔力が熱を持っているかのよう。
実体験として、体内を流れる魔力がこの身に実感として残っている。
「二人ともおはよう」
「お父様!」「おとうさん」
着替えを終え、マントを羽織ったところで姿を見せたのは二人の父であるヨハン・カトレア辺境伯。
「二人に会えなくなると思うと寂しいね」
「わたくしもですわ」
「うん」
ゆっくりと二人へ歩むヨハンはその胸の中に二人を抱き寄せた。
「でも、可愛い子には旅をさせよっていうみたいに、二人の自立を願っているよ。僕も、二人のお母さんもそうだったしね。それに、二人なら立派な大人になって帰って来るって信じてるから」
「ええ。お任せくださいませ。お父様の期待にしっかりと応えてみせますので」
「うん、やっぱりアイリスはエレナに似てもう十分に立派だね。その調子だよ」
「えへへ」
父に頭を撫でられ、顔を綻ばせているアイリス。
「ユニスもしっかりね。ユニスの思う通りにしたらいいからさ」
「うん。でもおとうさん、そんなこと言ってるけど、王都にもちょろちょろ顔を出してるんでしょ? だったらいつでも会えるじゃん」
「ははは。確かにユニスの言う通りだけど、でも必要以上には干渉しないつもりだよ。冒険者学校は、きみ達が自分で考え、答えを出し、それでいて尚もぶつかる壁や直面する問題を乗り越えることによる成長にこそ意味があるからね」
かつての自分達が正にそうだったのだと。そしてそれは父たちだけでなく、祖父たち先代の英雄達やもっと言えば一番近しい姉や兄もそうして成長したのだと。
「まぁそうはいっても、二人のことだから困ったからってすぐに助けを求めることもないと思うけどね」
スッと身体を離れる父の体温。いつも父に抱きしめられることはどこか安らぎをくれていた。向けられる笑顔が信頼の証。その父の顔を見ていると、不思議と先程まで抱いていた不安や倦怠感といったものがいつの間にかなくなっている。
「よしっ。じゃあアイリスちゃん、いこっか」
「あら? 急にやる気になりましたわね。さすがはお父様です」
「もうっ! そんなんじゃないってば!」
「ふふふ。素直ではありませんわねぇ。ではお父様。ごきげんよう」
「うん。二人とも、気を付けてね」
「ええ」「うん」
二人で頷き、自然と手を繋いだ。
エントランスでは母たちが見送りに出る中、二人手を繋いで玄関の扉を開ける。
「いってらっしゃい二人とも」
「二人なら大丈夫ですわ」
二人の母であるニーナとエレナが小さく声を掛ける中、外に出たところで振り返った。
「「いってきます!」」
大きく手を振りながら、顔を見合わせると笑顔で駆けだす。
「お待ちしておりましたユニスさま。アイリスさま」
「デロン、それ向こうで言ったら一生口きかないからね」
「そうですわ。学校では一学年時は身分を隠さないといけませんのよ」
「はっ。承知しております」
そのまま馬車に乗り込む中、デロンは御者の横に座る。
「では出発致します」
御者が手綱を強く握ると、馬車はガラガラと走り出す。
「――――……ま、なるようになるか」
馬車はラスペルの街を出て、街道を走りながら外の景色を眺めるユニス。
街を出た直後は若干の哀愁を抱いたのだが、なんとなく目を向けた車窓から見えるその景色に全てを呑み込まれた。
「あっ、ギガゴン」
流れる雲を見つめていると、空を飛ぶ一頭の翼竜。
「いってくるよ。またね」
幼い頃より心許して過ごして来た友に別れを告げ、そうしてこれから三年間を過ごすシグラム王都へと向かう。
――――その双眸に宿す魔力。
自身の血である、竜人族の血の真相を知ることになるその冒険者学校へと。
ユニスの話はここで終わりです。
冒険者学校に通い、きっと自分を見つめ直して成長していくことと思います。




