第十二話 渦巻く炎
「な、なんてことを!?」
「つべこべ言ってないで力を貸しなさいッ!」
ゴクンと一息に呑み込む。
「わたたたたた」
「あとは勝負よッ!」
目算がないわけでもない。
格上の精霊であろうとも、自身を認めさせることができれば問題はないのだと。細かい誓約と制約はあるらしいのだが、それも内容次第。覚悟さえあれば、時には生来の格を上回ることもできるのだと、【精霊女王】カレン・カトレアの契約精霊であるセレティアナにこっそりと聞いたことがあった。
「こ、こんなことをすればっ、どどどうなるかわからないよっ!?」
「覚悟の上よ!」
先程はあれだけの姉の覚悟を見た。戦う勇気をもらった。
自身の身の安全を考慮して死に物狂いの戦いなどできはしない。死の境界線ともなればそれ相応の覚悟は伴うもの。頭では理解していたのだが、いざ身体を動かすともなると上手くはいかない。
「どうなっても知らないからね!」
「どうやら諦めたみたいね。望むところよっ!」
体内からの精霊の言葉に若干の高揚感を得た瞬間、ユニスの身体に異変が生じる。
「ぐっ!?」
「ほら見たことか。ボクを無理矢理取り込もうとするから」
「ぐあああああああああああッ!?」
絶叫。キャロルと黒き精霊の衝突以外に響く突然の木霊。
「え?」
「この波動はッ!?」
大規模な戦闘を繰り広げていたのだが、突然の衝動を受け、共にユニスへと視線を奪われた。
そこには地面を転がりながら苦悶の表情を浮かべるユニスの姿。
「どうしたの!?」
「この感覚、穢れ、か?」
「穢れ?」
「フッ。まさかあのような小娘が穢れを宿しているとはな」
「何を言っているのあなた!?」
「どうやらあの娘はキサマの身内のようだが、キサマは自分の近くにいる者のことも良く知らないのか?」
「っ! いいから知っていることを教えなさい!」
「…………まぁよかろう。死地へ向かう者へのせめてもの餞別だ」
黒き精霊は、その黒き腕を、指を一本ユニスへと伸ばす。
「あの小娘は穢れ、つまり異種交配の成れの果てだ」
「異種交配?」
疑問を浮かべるキャロルなのだが、それには思い当たることがあった。
(もしかして、ニーナ様のことを言ってる?)
当人には時期がくれば知らせるとのことらしいのだが、キャロルが知っているニーナの素性。それは、街で噂されているようなものではない。
ヨハン・カトレア辺境伯の第四夫人となるニーナはただの実力派冒険者などではなく、その存在は、最古の種族であり最強の種でもあった、竜人族の末裔なのだと。
(だったら穢れとは)
その意味が差すのは、竜人族が竜の力を宿す一族ということに起因しているのではないかという直感。
「……もう少し、教えて欲しいわね」
「死にゆくものにこれ以上教えてやることもない」
「それなら、力づくで聞き出してあげるわ」
「できるのであればな。次はキサマが油断したな」
「え?」
上方に手をかざす黒き精霊。
「しまっ――」
情報を引き出すことに気を取られ過ぎて、完全に油断してしまっていた。
上方に視線を送ると、上空には黒雲が立ち込めている。
次の瞬間、激しく響き渡る破裂音と炸裂音。
「きゃあああああああ」
その場を埋め尽くす落雷。幾つもの稲光が地面を這い回った。
「ごへぁ!?」
衝撃に吹き飛ぶデロン。後方に吹き飛んでいく。
距離を取っていたはずのデロンへも及ぶほどの広範囲攻撃。突然の落雷で感電するデロンは気を失ってしまった。
「ぐ、ぐうぅぅぅっ…………」
「どうやらここまでのようだな。我がただキサマの話につきあってやったとでも?」
意趣返し。
魔法陣によって拘束されていた黒き精霊が一手で形勢を逆転させるために唯一取れた戦法。魔法陣の効力が薄くなっている上方でじわじわと魔力を蓄積させていた。
「今度こそ、終わりだ」
「くっ」
もはやここまでと観念した瞬間、強烈な気配が襲い掛かって来る。素早く駆け抜ける人影。
それが誰なのかということは一目で理解した。
「ゆ、ユニスちゃん!?」
しかし目を疑うのは、それが本当にユニスなのかということ。
キャロルのよく知る妹とはまるで異なっている。
「があああああぁッ!」
前傾姿勢で前のめりに構えるその姿はこれまでのユニスではない。野性味に溢れていた。
「キサマ、穢れが濃くなっているな!?」
「ガアッ!」
刹那の瞬間、黒き精霊との距離を詰めるユニス。振り切られるのは爪撃。
黒き精霊の前面にありありと傷を残す。
「ぐふッ」
これまでと打って変わって、まるで信じられないのは、その爪撃が魔力を宿しているということ。とても人間の所業ではない。
「かはっ……こ、これほどの脅威、すぐに排除せねばなるまいな」
放置しておけばどれだけの脅威になり得るのか。
魔力弾を中空に漂わせる黒き精霊。いくつも放つのだが、蜿蜒なる俊敏な動きを用いたユニスはそのどれをも回避する。
「な、なにっ!?」
野獣。見る人によってはその言葉が適切であるのだが、満身創痍の状態とはいえその状況を見ているキャロルにとってはまた別の言葉が浮かんでいた。
「…………竜?」
野獣でも間違いはないのだが、それはあくまでも広義での意味。キャロルの目にはまさしく竜、そう映っている。
野生の獣と竜、外見上でも大きく違うのだがその決定的な違い。それはその眼に他ならない。キャロル自身竜種との対面は数える程しかないのだが、その竜種独特である黄色い縦長の黒目は、見紛うことなく竜の眼に他ならなかった。
「でも……」
しかしどうして急にそれだけの力を発揮したのか気にはなる。だが、それ以上に気になっていたことがあった。
「あの子、精霊術は使えないはずだけど…………」
胸中に流れる不安。ユニスの体内に感じる違和感の正体。
はっきりと精霊の存在を認識できる。
「はやくなんとかしないと!」
精霊術士としての直感。このままでは手遅れになる気がしてならなかった。
「がああああああああッ!」
「ぐっ」
突如として戦局に飛び込んできた少女によって劣勢に立たされる黒き精霊。
「ならば!」
避けきれない一撃を見舞えばいいだけ。
立ち起こすのは爆炎。
「これならば避けきれまい!」
ユニスを覆い尽くす程に広範囲の魔法を放つ。
「ユニスちゃんっ!」
キャロルの悲痛な叫びの中、巻き起こる業火は周囲の木々を焼き払い、辺り一帯は火の海となった。
「くははっ! いったいどのようにしてそれだけの力を手にしたのかわからぬが、ならばすべて燃やし尽くせば問題あるまい。骨まで焦がし尽くしてやろう」
ユニスがいた場所へ背を向け、勝利を確信したその口上。
「さて、せっかく現世に顕現できたのだ。人の世を破壊と混乱で埋め尽くすのも一興。いや、その前に魔人を探すのも面白いやもしれぬな」
残すのはこの場にいる残りの人間を殲滅。事後のことへ思考を回すのだが、不意に抱くのは疑問。
「ん?」
背後からビュウッと吹き荒ぶ風。後方への妙な気配を感じ取る。
「…………ユニス……ちゃん?」
しかしキャロルの方がより先に異変を察知していた。理由は黒き精霊よりもユニスへ注視していたことによるのだが、その理由は安否の行方のために。
結論的にはユニスは無事ではいたのだが、ほっと胸を撫でおろすよりも先に、キャロルの目には信じられない光景が映っている。
「これは……?」
疑問を抱く黒き精霊。
風がないはずの森の中で、広範囲に燃え盛る火が一点へと向かっていた。
「そ、そんなバカな」
螺旋状に渦を描くその火。まるで何かに呑み込まれていくかの如く。
異変の正体は、巻き起こる炎を吸い込むようにして呑み込んでいた。
「に、人間が炎を呑み込むなど……――」
聞いたことがない。
しかし黒き精霊の脳裏を過るひとつの答え。
「――……穢れの血か!?」
答え合わせをする間もなく、目の前の小さな存在は口腔内に溜め込んだ炎を大きく吐き出す。
「ガアッ!」
「っ!?」
異常なまでの速度で迫りくる爆炎。避けるどころか、相殺することすら不可能。
「ぐ、ぐがああああああああああ……――」
どう考えても先程視認した魔力を越えている。
自身が爆炎として放った魔力だけでなく、その威力は何故か倍化されていた。
黒き精霊を爆炎が襲い、次にはぷすぷすと溶解するかのようにして焦げ跡を残す地面。
「――……くふぅ、よもや、よもやこのような小娘がこれだけのことをしてこようとは」
驚きを禁じ得ない。
さらに衝撃的なのは、もう前方へと踏み込んでいるその少女。
「フッ。認めよう。此度、我はキサマ等に敗北したのだと」
既に振り切られているその剣戟を、正面から受ける黒き精霊は袈裟懸けに引き裂かれる。
「余興としては十分だったと言わざるを得ないな」
「…………」
黒き精霊がその存在を元の魔素へと還る中、ユニスは脱力していた。
「…………ゴフッ……――」
そのまま吐血すると、前のめりに倒れる。
「ユニスちゃん!」
慌てて駆け寄るキャロル。そのまま抱きかかえた。
「だめよっ! 絶対に死なせないから!」
疲労困憊、満身創痍の身体を圧して、最後の魔力で治癒魔法を施す。
「目を覚ましてユニス! おねがいっ!」
試練など、もはやどうでもいい。愛しい妹を助けられれば何もいらない。
「おねがいっ! おねがいっ! おねがいっ! かみさま…………――」
キャロルの悲痛な叫びだけが火の粉を残す森の中で響いていった。




