第八話 月下の精霊地
エレクトラルの森は平時であっても禁忌の森とされてきていた。
それは魔素が他の場所より発生し易いということもあるが、カレン・カトレアによって平定された後も精霊地として扱われていることからして。
夜、陽が完全に沈み切った頃、屋根の上へ足を運ぶユニス。
星明りに照らされる屋上にはなにもない。ただそこには会いに行く人物――いや、正確には一頭の竜がいるだけ。
「どうした? 珍しいなこんな時間に」
月の光を浴びる男はユニスを生まれた頃より知っている。
「あのさ、ギガゴン、ちょっと教えて欲しい事があって」
まるで歳をとっていないかのように常にその姿の男は竜種の内のひとつである翼竜。しかしその中でも特に特殊であることは竜の姿の時の大きさもそうなのだが、何より宿す魔力が極めて稀有。人間の姿へと変えることができるのは竜種の中でもほんの一握りだけ。
「教えて欲しい事とはなんだ?」
「えっと……キャロル姉はいま、どうしてる?」
「む? キャロルか」
街の明かりが眼下に広がる中、遠く西側へ視線を向けるギガゴン。
「たしか、あの辺りだったな」
ジッと目を凝らし、深みを増し始めた暗闇の中でギガゴンの黒目は黄色い縦長になった。それは竜種の特徴として見られる独特の眼。
「どうやら苦戦しているようだな」
「わかるの?」
「可笑しなことを言う。お前が聞いてきたのだろう?」
「いや、そうなんだけどさ。で、苦戦してるってのは?」
「ここからでは遠くてわかりにくいが、あの精霊地で悪しき波動を感じ取れるのだが、同時に揺らぎもある」
「……そっか」
精霊地が落ち着いていなく、かつ揺らぎがあるということは精霊石の浄化にキャロルが取り組んでいるということ。
「やっぱりキャロル姉でも難しいんだ」
「珍しいな。お前がキャロルの心配をするなど。いつもキャロル姉は凄いと言っていたではないか」
「まぁ、ね」
劣等感だということははっきりと自覚している。しかし今回に限っては話の焦点はそこではない。
「ちょっと、見に行ってもいい?」
「オレはかまわんが、そっちはいいのか?」
「うん。ちょっとだけ見ておきたくて」
「そうか。そんなに勉強熱心だとは思わなかったが。心境の変化でもあったか?」
いつも不平不満を漏らすユニスからすれば考えにくいその判断。キャロルの仕事している様子を見に行きたいと言ったのも初めてのこと。いつもであれば比較してしまうことを嫌って目にするのも嫌なはず。
「まぁ…………そんなとこね」
「ふむ。それは良い心掛けだな。だがオレは送り届けるだけだぞ? ヨハン達との契約上、お前たち子の行動には必要以上に干渉するなと言われてるのでな」
「それでいいよ」
「わかった。ならば乗れ」
カッと光り輝くギガゴンはすぐさまその身体を大きくさせ巨大な翼竜の姿へと変える。
(ごめんね、アイリスちゃん)
夕刻のことがあった手前、声を掛けようかとも思ったのだが、掛け方もわからない。結果一人で来る始末。
そうしてギガゴンの背に飛び乗り、漆黒の空へと羽ばたいていった。
◆
精霊地エレクトラル。
およそ十五年前までそこは鬱蒼とした森であり、ただでさえ人があまり寄り付かないのだが、それ以上に問題だったのは瘴気とも呼ばれる魔素が広く充満していた土地。
魔素が充満したその結果、肥沃な大地であったが故に強大な魔獣が住みつくこととなる。
しかし苦難の末、精霊石による魔素の浄化が図られて以降は精霊が住み着き、現在の精霊地となっていた。精霊の純度も相当に高く、新たなる精霊が生まれることも期待されていた。
「そ、そこから絶対に動かないで!」
バチバチと光が広がる中で響く女性の声。背後には少年。
「ぅあ……あぁ…………あああ………………」
女性から声をかけられた少年は動きたくとも足が言うことを聞かない。
「下手に動き回られるよりもマシね。それにしてもまったく。母様も大変な仕事をさせてくれるわね!」
普段はその美しさから誰もが見惚れる程の透き通る銀色の髪。いつもは辺境伯子女として綺麗に揃えて結っているのだが、今は髪飾りもほどけ、巻き起こる衝撃で激しく揺れている。
「でも、根を上げてなんかいられない!」
握りしめる杖に目一杯の魔力を漲らせ、周囲の微精霊の波動を感じ取っていた。
「現状、五分と五分といったところね。あとは体力勝負!」
上方を見上げるキャロルは、感覚的な時間経過しかわからないのだが、空の暗さからして相当な時間が経過しているのだということを感じ取る。
――――キャロル・カトレアが精霊地エレクトラルへ足を運んでかれこれ十二時間は経過していた。目的は五年毎に訪れるという精霊石の浄化。上手くいけば数時間程度で終えるはずだったのだが、不測の事態が生じた事で現状はそこまで順調にいってはいない。
「オオオオオオッ!」
キャロルの前で弾ける閃光のその先、そこには巨大な石碑があり、浮かび上がるのは黒い影。まるで怨霊かの如き呻き声を上げている。
「おれのせいだ……おれのせいだ…………おれのせいだ…………」
自責の念に駆られながらただただ呟く事しかできないキャロルの後ろで尻餅を着いている少年、デロン。
――――遡ること数時間前。
「へっへへ。これが噂の魔石か」
目の前の石碑をぐるりと一周回り見回す。しかし見たところ普通の石碑。特に何か変わったところは見られない。
「しっかし何書いてんだこれ?」
石碑には何かの文字が刻まれているのだが、デロンには読むことができない。
刻まれている文字は精霊文字。精霊術に造詣が深ければそれらを読み解くこともできたのだが、読めない者にしてみれば意味不明の記号でしかなかった。
「でもなんか魔力は感じるんだよなぁ」
なんとなくだが魔力の波動は感じられる。
「まぁこんだけの大きさだ。ちょっとぐらい削り取ったところで問題ねぇだろ」
腰元からナイフを取り出し、石碑に打ち立てた。ガンガンと鈍い音が森に響く。
「――……ふぅ、これで四つ目。残すはあと一つね」
エレクトラルの森の別の場所。同じような石碑の前に立つキャロルは周囲の色とりどりの微精霊から喝采を受け取っていた。
「ありがとう。これであなた達もまた住みやすくなるわね」
石碑――精霊石に溜め込まれていた魔素の浄化を微精霊たちが喜んでいるのをしっかりと感じ取る。
「さて、と。次に行かないと」
残りの一つの精霊石の波動を感じ取るために目を瞑り集中を始める。
「……え?」
しかし不意に訪れる感覚はこれまでとは別物。まるで異なっていた。
「だめっ!」
残りの一つに何らかの衝撃が加えられている。同時に遠くから微精霊たちが慌ててキャロルの下に向かって来ていた。
「大丈夫。安心して。わたしがなんとかするから」
不安気に周囲を飛び回る微精霊をなだめ、素早くその場を後にする。




