第四話 長女
朝陽が差し掛かる頃、いつもならまだ寝ているはずのユニスがパチリと目を覚ます。
「ふ、ふわぁぁ…………」
ゆっくりと伸びをしながら身体を起こす。
「ん?」
ぎぃとドアが軋む音がするので、視線を向けると隙間から覗いている眼。
「…………なにやってんの、キャロルちゃん」
「え? あれ?」
呆れ混じりに疑問を投げかけると、ドアが開いた先にいるのは透き通るような銀色の髪の女性。戸惑いの色を滲ませながらぱちぱちと目を見開いていた。
「おっかしいなぁ。ユニスちゃんっていつもこんなに朝早いの?」
「そんなことないけど、今日はなんだか目が覚めちゃった」
そう返すものの、いつもはもっと遅い。むしろ寝坊の常習犯。何故目を覚ましたのかはわからないが、いつもよりも寝覚めが良い。
「ふぅん。せっかく久しぶりにユニスちゃんの寝顔を堪能しようと思ってたのになぁ」
「何を考えてるのよキャロルちゃんは」
数日前、領内の巡回に出ていた長女が帰ってきている。目的はエレクトラㇽの森の鎮静化。
多方面に動いているキャロル・カトレアは家を不在にすることも多い。
(これが聖母だっていうんだから困ったものだよねぇ)
領民からは尊敬と羨望の眼差しを向けられるその女性は母親譲りの器量を持ち合わせている。しかしユニスから見るキャロルはまるでそのような素振りは見られない。
「そんなことよりキャロルちゃん、こんな日までアタシのとこに来ていいの?」
「え?」
「だって、今日はあそこに行くんだよね?」
数瞬目を瞬かせるキャロルは、次にはニヤケ顔になる。
「なぁに言ってるのよぉ。こんな日だからこそユニスちゃん成分の補充に来てるのじゃない!」
「ちょ、ちょっと急になにさ! は、離れてよ!」
盛大に抱き着かれては髪の匂いをクンクンと嗅いで大きく吸い込むキャロル。
「はぁぁぁ。癒されるわぁ。ユニスちゃんってほんと良い匂いがする」
「べ、別に一緒でしょ! アイリスも使ってる石鹸同じだからアイリスのとこに行ってよ!」
「だあってぇ、アイリスちゃんってば冷たいんだものぉ」
「だ、だからって…………もうっ! しつこいっ!」
「ああん」
強引に引き離すと、キャロルは床に両手を着く。
「いい加減にしないとほんとうに怒るよ!?」
「そんなに恐い顔しないでよぉ、ユ・ニ・ス・ちゃ・ん」
「ぐぅっ!」
「朝っぱらから何をやっているのですか、あなた達は」
「「ネネさん」」
大きく息を吐きながら姿を見せたのは使用人長のネネ。領地開拓以前より領主であるヨハンへ仕えている女性。
「ち、違いますって! キャロル姉がまた」
「別にやましいことはしていませんよ」
慌てふためくユニスとは対照的に居直るキャロル。その佇まいは公人然と堂々としていた。
「まったく。仕方ありませんねあなたは」
「ですが、大事な日だからこそ気負うよりもいつも通りすることが必要なはずです」
「そうですね。そのあたりのことは私よりもあなたの方が理解しているでしょうから何も言いませんが、私から言えることは一つだけですよ」
指を一本立てるネネの顔は真剣そのもの。
「結果を出してください。これまでと変わらず」
「ええ。もちろんよ。じゃあねユニスちゃん、またあとで」
手をひらひらとさせネネと連れ立ち部屋を出ていく姉の姿を目で追い、ドアが閉まると同時に盛大に溜息を吐くユニス。
「……ほんと、あの二面性なんとかなんないの?」
隠しているわけではないキャロルによるユニスへの溺愛ぶり。父であるヨハンも、キャロルの母であるカレンでさえもその姿には笑って済ますだけ。しかしユニスからすれば迷惑極まりない。いつだって返って来る言葉は異母姉妹が仲良くするのはむしろ問題ない、と。
(でも、あのキャロルちゃん)
どうしてこれだけの早朝に目が覚めたのか、その違和感の正体がはっきりとした。
ベッドから立ち上がり、窓の外を見る。そうして先程のキャロルの表情を思い返す。
(やっぱり、緊張してるんだ)
一瞬だけ見せた眼差し。いつもであれば何食わぬ顔で物事をこなす姉の姿には感心しっぱなしだったのだが、今日に限ってはその限りではない。その様子が昨晩顔を合わせた時にも垣間見られたからなのだと。
「んぅぅぅぅん!」
目一杯の伸びをしながら大きく息を吐く。
「ま、そもそもアタシがキャロル姉の心配をする必要なんてないか」
時には落ちこぼれとも揶揄される者が天才の心配をすることなどおこがましい。
「アタシはできることをするだけ。背伸びしたって仕方ないしね」
早起きしたことで時間は十分にあった。
「さーて、もうひと眠りしーよおっと」
ぼすっと再びベッドに横になり、枕を抱きしめた途端、乾いた破裂音が響く。
「ったぁ!」
「なにバカなこと言ってんのあんた」
「へ? おかあ……さん?」
目の前には自分と同じ桃色の髪を頭上で結っている女性の姿。その表情は怒り顔。
「い、いつのまに!?」
「ほらほら、早く仕度してよね」
「仕度って?」
「へ? 今日はあたしと狩りに出かけるって言っておいたよね?」
「あっ……」
そういえば忘れていた。実戦経験を積む為に母ニーナと狩猟に出かけるのだということを。
「だからはやくしてよね」
「…………はぁい」
それから準備を終え、朝食の席に着く。
(にしても、このお母さんが昔は無茶苦茶してたなんて)
今でもそれなりだとは思うのだが、若い頃は今以上なのだと。正確には父やモニカ達と話している時にはその片鱗を確かに見せているのだが、ユニスに対してはのほほんとした母の一面しか持ち合わせていなかった。
しかし、第一夫人であるカレンや第二夫人のモニカから聞く母の人物像は正に天真爛漫そのもの。ギガゴンから聞く母の姿とも一致する。
『どうして変わったんですか?』
『『どうしてって……――』』
顔を見合わせるカレンとモニカ。僅かに生まれる沈黙。少しの間を挟むと、にまっと笑みを浮かべて口を開く二人。
『まぁ、あの子も母親になったってことよ』
『そうね。いつまでも子どもじゃいられないもの』
至ってまともな返答でありその答えに十分理解はできるのだが、僅かに気になるのは生まれた沈黙と二人の様子。
「どしたの?」
食事の手を止め母の姿を見ていると、疑問を浮かべて小首を傾げるニーナ。
「ううん。なんでもない」
「そう? そういえば今日はアイリスたんも一緒に行くんだよね?」
「うん。アイリスも行ってみたいって言うから」
「そっかぁ。あたしは別にユニスが良いって言うなら良いんだよ」
「? べつにいいけど?」
どうしてその言葉が出たのか。若干の疑問を抱くものの質問をする程でもなかったのだが、その言葉の本当の意味を理解したのは狩りを終えた頃。




