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エピローグ

 

 遠くには緑豊かな山々が連なり、穏やかな風が草原を流れている。

 広く大きな街並みは綺麗に整えられ、行き交う人達も笑顔が多く活気に満ちていた。


「おっ、にぃちゃんちょっと寄ってかないか?」


 立ち並ぶ店の商品を物欲しげに眺めている赤髪の若者に店主が声を掛けるのだが、隣に立つ金色の髪の女性がグイっと腕を引き上げる。


「おいおい、ちょっとぐらい寄ってったっていいじゃねぇかよ。ここにゃあ珍しいのが結構入ってくんだからさ」

「お生憎様。今はそんな時間はありませんの。後で仕入れをする時間ならきちんと取ってあげますわ。だからほら、早く行きますわよ」

「ったく、しゃあねぇな。俺らがいないと始まらねぇしな」


 ボリボリと頭をかきながら、二人連れ立って正面の奥に見える大きな建物に向かって歩いて行った。



 ◆



 大きな邸宅の一室。すやすやと眠る赤子を腕に抱くお腹を膨らませた女性は本を片手に窓から差す光を浴びている。長く綺麗な金色の髪は陽の光を反射させてキラキラと光っていた。


「おぎゃあああああ」


 不意に響き渡る赤子の泣き声。


「ど、どうしたの、急に泣き出して」


 オロオロとしながらも、本を置いて立ち上がるとゆらゆら身体を揺らし始める。


「もしかして、お腹が空いたのかしら?」


 ふと思いついて、確認する様に口元へ指を持っていくと、赤子はちゅぱちゅぱと指を吸い出した。


「ふふ。やっぱりそうね」


 泣き止んだかと思えば、まるで乳を吸うように力強く指を吸う赤子を女性は微笑ましく見る。


「どうしたのモニカ? キャロルの泣き声が聞こえて来たけど」


 ドアを開けて入って来るのは背の高い貴族服の男性。


「あっ、ヨハン。ほら見て、なんかお腹が空いてるみたいで」


 モニカの指を吸っている赤子をヨハンが覗き込む。


「ほんとだね。でもカレンさん出掛けちゃってるしなぁ。うーん、じゃあネネさんを呼んでこよっか? 乳母さんに声を掛けてもらわないと」

「そうねぇ……――」


 考えながらモニカはキャロルに吸わせていた指を離してそのまま大きく膨らんだお腹をさする。キャロルは指を吸えなくて再びぐずり出していた。


「――……ううん、やっぱりいいわ」


 そのまま赤子の頭を軽く撫でる。


「これからこの子の弟か妹が生まれるのだもの。私のお乳をあげるわ。最近出だしたから」

「いいの?」

「ええ。もしかしたら拗ねちゃうかもしれないけどね。自分より先にキャロルがママのお乳をのんだぁってね」


 口元を緩めながら服を捲り、キャロルの口元に乳首を持っていくモニカ。


「それなら大丈夫だよ。こうしてカレンさんもモニカも仲良くしているんだから、キャロルも生まれてくる子もきっと仲良くしてくれるよ」

「だといいけど…………」


 ゴクゴクと母乳を飲む銀色の短い髪の赤子、キャロルを胸に抱きながら、モニカは窓の外を見る。


「どうかしたの?」

「ううん。ちょっとエレナのことを考えてて。もうあれから五年も経つんだなぁって」

「そうだね。ようやくこの辺りも落ち着いて来たからね」

「まさかヨハンが辺境伯だなんてね」

「僕だってそうだよ。カレンさんやイルマニさんにネネさん達がいなければとてもこんな役割をこなせないよ。それに、レイン達にも随分と助けられてるしね。コルナード商会が流通網を拡大してくれたおかげだね。それにお義父さんも」

「そこはお父さん逆に喜んでたからいいんじゃない? コルナード商会と深い繋がりができたぁ、って。あっ、そういえばレインで思い出したけど、レインはまだ逃げ回ってるみたいね」

「でもなんか聞けばそろそろ観念するかもしれないみたいだよ」

「それはレインが?」

「ううん、ベラルさんが言ってたんだ」

「…………あぁ、あの人か」


 げんなりしながら思い返すのは、冒険者学校を卒業して半年が過ぎた頃、ベラルがヨハンの統治する領地へ突然足を運んで来た時のこと。


『よぉやく会えましたわヨハンさまぁ!』

『ちょ、ちょっといきなりなんですか!?』

『あなたに受けたここの傷が、忘れられなくて忘れられなくてぇ。思い出すだけでこの胸が疼きますのぉ』


 恍惚な表情を浮かべながらヨハンの頬を擦るベラル・マリア・アストロス。この時は既に元土の聖女。騒動からしばらくして後任の選定を行っている。


『初めてなのよぉ、あんな仕打ちを受けたのわぁ。もちろん責任をとってくださいますのよねぇ』

『そ、その言い方誤解を生むからやめて!』

『事実を述べているだけよぉ?』

『ちょ、っと。何をしていますのかしら?』

『え、エレナ! 早く助けて! 僕は何もしてないから!』

『わかっていますわ』

『あぁん』


 ベラルの首根っこを掴み、ヨハンから引き離すエレナ。


『もぅっ。今代の光の聖女様は厳しいわねぇ』

『そんなことを言っていますと国に戻って頂きますわよ?』

『あらぁ? 本当によろしくてぇ? そんなことをすればヨハン様がお困りになるのでわぁ?』

『…………』


 グッと握り拳を作るエレナは薙刀の魔剣へと手を伸ばす。


『やはりあなたには情状酌量の余地はありませんわね。この場で処断してあげますわ』

『望むところですわぁ。あなたを倒してヨハン様の下に駆け付ければ問題ありませんものぉ』

『ちょ、ちょっと二人とも落ち着いて! ここに来たのはそんなことをするためじゃないじゃないでしょ!?』


 二人を強引に引き離すヨハン。


『ほら、エレナも。それにベラルさんも』


 睨みつけるエレナとは対照的に、悠々とした態度を取るベラル。


『そういう見た目より力強いところも素敵だわぁ。やはりあなたは唯一無二ですぅ』

『…………どいてくださいませヨハンさん』

『だからダメだって!』

『まったく。一年前とは比べ物にならない豹変ぶりね』

『カレンさん、なんとかしてください』

『あら奥様。お加減はよろしくてぇ? あまり動かれては――』

『まだ妊娠してないわよっ!』

『あらあらぁ、そうでしたのぉ、それは失礼致しましたわぁ』

『本当に失礼ね……――』


 悪びれる様子なく、ニヤニヤとカレンを見るベラル。


『――……いいわティア。やってしまいなさい』

『おっけ。カレンちゃん』


 カレンの前にポンっと姿を現すセレティアナ。


『違うでしょカレンさん!』


 一触即発の事態が一瞬で生み出された、今思い出してもげんなりするそのやり取り。


(ま、でもあの人にも随分と助けられたけど)


 卒業してすぐに辺境伯としての領地経営に取り組んでいた。冒険者としての活動と並行してなのだが、その補助をベラルは十分に務めあげている。

 魔素の浄化や交通路の整備。整地や開墾に移民を募ることなど課題は山積していた。そんな中でパルスタット神聖国から友好の証として人材派遣が行われており、それが元土の聖女ベラル・マリア・アストロス。

 土魔法を用いて街道の整備や鉱山採掘、他にも生来の美貌と聖女として培った人心掌握を用いた求心力。それらによる領地貢献度はかなりのもの。パルスタットから派遣されたのはベラルだけでなく、他にも優秀な人材をエレナが見繕って加えている。


『でもありがとうエレナ。色々と融通をしてもらって』

『ヨハンさんのためですもの。遠慮はなさらないでくださいませ』


 じっとエレナからヨハンへと向けられる視線。その様子にモニカは居た堪れなくなり、思わず目を逸らしてしまっていた。


『(あの卒業式の日以来…………)』


 そう考えるのは、二人の様子に微妙な空気が時折流れることを感じている。

 しかし確認したくともモニカが口に出せないのは、モニカはカレンに次ぐ第二夫人としてヨハンの下に嫁いできているから。


(あの時エレナは……)


 隠し子とはいえ、モニカの存在は既に公認されている。

 シグラム王国としても辺境伯の地位を授かったヨハンの下に多くの貴族が婚姻を持ち掛けていたのだが、第二王女であるモニカと婚姻をさせたことで他の貴族を暗に引き下がらせていた。これでカレンと同等の地位を娶らせただけでなく、辺境伯という爵位によってカサンド帝国よりシグラム王国の方がより優位に立っている。


 そんなモニカはエレナがヨハンに抱く気持ちは知っていた。恋ではなく愛なのだと。学生時代を共に過ごしただけでなく、死線をくぐり抜けた絆の深さはもう家族同然。

 願わくば添い遂げたいと思いつつも、しかしそれが叶わないというのはエレナの立場がそうさせている。シグラム王国の王位継承権によるしがらみにしてもそうなのだが、それに輪をかけるようにエレナの気持ちを抑え込んだのが公然とヨハンの下へ嫁ぐことが決まった妹モニカの存在、それにパルスタット神聖国とシグラム王国で定められた条約によって。


『……もう、立派な光の聖女様だね、エレナ』

『ええ。与えられた役割はしっかりとこなしてみせますわ』


 シグラム王国に飛空艇の権利の譲渡と同時に持ち掛けられた条約がエレナの光の聖女としての任に就くこと。

 当然いくつもの反対意見はあったのだが、パルスタット神聖国にすれば、今回の一件の反省として平等性を担保した他国の介入を必要とするのだと。閉鎖的で独善的な国にならないように、と。それにはエレナが適任だという教皇テトの判断。

 それに他にも思惑がある。パルスタット側からすれば、経済的にも大きく潤っているシグラム王国、その王家と直接的な交流を深められる。

 シグラム王国側がその条約を断らないというのも、王女であるエレナが光の聖女を務めることでより外交を優位に進められるという利点があった。


 そういったことがあり、冒険者学校を卒業してからのエレナの主たる活動は光の聖女として任。任期は五年。その後は王女としての立場がエレナを束縛する。


「確かもうそろそろ期限よね?」

「そうだね」


 そうしてモニカの腕の中ですやすやと眠るキャロルの額を撫でるヨハン。


「ヨハン様。失礼します」


 コンコンとノックされ、姿を見せるのはヨハンよりも僅かに年若い使用人服を着た大人の女性。


「どうかしたのアイシャ?」

「あっ、失礼しましたモニカ様。お話ししているところ。それにキャロル様もおやすみされているのですね」

「まったく。そんなの気にしなくていいのに。アイシャのその余所行きほんと気になるわ」

「いえ、普段から気を付けていないとネネさんに怒られますので」

「ふふっ、アイシャはマジメねぇ」

「でどうしたのアイシャ?」

「あっ、そうでした。ヨハン様へお客様がいらっしゃっています」


 ニコリとアイシャが部屋へ招き入れるようにして姿を見せたのは先程話題に上がっていた女性。光の紋様が刺繍された白い法衣を着ている。


「元気そうね二人とも」

「「エレナっ!」」


 ヨハンとモニカの二人同時に声を上げる。

 モニカの腕の中の赤子、キャロルは突然の大きな声にビクッと身体を動かすと次には顔をしかめる。


「ふ、ふぎゃあああ」


 不意の大きな声に泣き出してしまった。


「あっ、ごめんなさいキャロル。びっくりしたよね」


 再び寝かしつけるために身体を揺らすモニカ。


「もう、何やってるのよモニカ。そんなことじゃ良いお母さんになれないわよ」


 そっとモニカの腕の中の赤子を代わりに抱くエレナ。


「ほーらよしよし。ちょっと見ない間に大きくなって。将来はカレンさんに似た美人さんに間違いないわね」

「ふぎゃ、ふぎゃ…………ふ、ぅ、す、すぅぅぅ………………」


 ゆらゆらとした揺れに徐々に寝息を立て始めるキャロル。


「……上手いじゃない」

「溢れる母性がそうさせるのですわ」

「なに言ってるのよまったく」

「ごめんなさいアイシャ。少しこの子をお願いしてもいいかしら?」

「もちろんですエレナ様」


 エレナからキャロルを抱き渡されるアイシャは寝顔を見ながら部屋を退室していく。



 ◆



「それで? 急にどうしたの? 光の聖女の任はもう終わったの?」


 問い掛けるモニカなのだが、エレナの表情はどこか暗さを感じさせた。


「実は、そのことで相談したいことがありますの」

「「相談?」」


 これまで何度も手紙でやり取りはしてきている。確かに聖女としての大変さはあるものの、他国の文化の違いや国政について考えることができることは勉強にもなると言っていた。その中に特別問題を抱えているとも思えず、順調に進んでいるのだとばかりに思っていた。


「わたくし、光の聖女としての任は確かに終えることとなりましたが、国に帰ることができなくなりましたの」

「どうして!?」

「なにか、事情があるんだね?」

「…………ええ。実は、次代の光の聖女をクリスが務めることになりましたの」

「凄いじゃない!」

「クリスなら納得だね」


 元々水の聖女として類い稀な才能を発揮していたクリスティーナ・フォン・ブラウン。

 しかし騒動の後しばらくして発覚したことがある。それは光属性をその身に宿しているということ。

 元来クリスは光属性の扱いはそれほど得意ではなかったのだが、テトの見立てでは精霊王であるセレティアナが一時的とはいえその身に入り込んだことが起因しているのではないかという見解。実際それは間違いではなく、そういった外的要因によってこれまで扱えなかった属性を扱えるということは確認されている。


「でも、それがどうしてエレナが帰ることができないことに関係しているの?」

「それが、なんと言いましょうか……わたくしにはどうしても国に残って欲しいのだと。今は随分と落ち着いてきてはいますが、いつまた国が大きく乱れるともわからない。そのため、シグラムとの友好の証として残って欲しい、と。それで、わたくしに結婚話が持ちかけられたのですわ」


 出窓の前に立ち、遠くの山を見つめるエレナ。まだかなり距離はあるが、その山の方角にはシグラム王都がある。


「…………エレナ」


 小さく呟くモニカは、無意識にお腹へ手を持っていき、そっと撫でてしまっていた。


「つまり、王位は他に譲ってパルスタットに嫁入りして欲しい、そういうことでいいんだね?」

「……その通りですわ」

「っ! 勝手な言い分よ! そんなのすぐに断ったらいいじゃない!」


 大きく声を発するモニカなのだが、言葉を発する直前僅かばかりに躊躇してしまったのは、エレナの視線の先がヨハンを捉えていたことをはっきりと理解していたから。


「モニカは良いですわね。剣姫としてこの領地が安定するまで好きに生きることができて、それに、ヨハンさんの妻として今は腰を落ち着けているんですもの」

「……え、れな?」


 その眼差しには複雑な感情が含まれていた。


「いえ、別にモニカを責めているわけではありませんわ。ただ、ただただ単純に羨ましかっただけですの。同じように生を受けた二人ですのに、こうも生き方に違いがあるのだと考えると」


 エレナは物憂げな表情を浮かべら振り返り、後ろの窓辺に両の手を置く。


「今まではそんなことを考えてこなかったですわ。シグラムの次期女王として国の為に成さねばならないことがあるのだと、そう考えて来ましたが、ダメですわね。少し、羽を伸ばし過ぎましたわ。籠の中の鳥が他の籠の居心地の良さを覚えるには五年という時間は十分すぎる程でしたもの」

「……じゃあ、エレナは悩んでいるってこと? それとも……――」


 ヨハンが言葉を続けようとしたところ、背後でカチャと足音が聞こえる。

 誰が来たのかと振り返るのだが、その顔を見て思わず呆気に取られた。


「――……レイン?」

「よぉ。元気そうだな」


 見慣れた、それでも久しぶりに顔を合わせる親友の顔がそこにはあった。

 隣には以前よりも大人びた姿のマリン・スカーレット。


「また視察に来たの? それともレインがいるってことは二人で商談にでも来たの?」

「どっちでもないわ。それよりエレナ。どこまで話したの?」

「まだ話の途中ですわ」


 二人見つめ合わせる。


「そう。なら先にこちらの用件を一つ済ませてもらうわ」

「ええ。お好きになさって」

「ふん。相変わらずね。聖女の箔が付いて余計に癇に障るわ」


 つかつかとヨハンへと歩くマリン。


「国王様からの手紙よ」

「あ、ありがとう」


 不遜な態度のマリンはいつものこと。そのマリンは何度となくこの地の視察に赴いていた。

 チラと確認するレインの表情が片目を瞑っているのもいつものこと。謝意を表している。


 ヨハンが辺境伯としてこの地――ラスペルを治めるようになってから、王都有数の商家であったコルナード商会が大きく貢献を果たしていた。元々レインの実家ではあるのだが、我先にと商談をまとめている。

 土地の名もラスペルとなっているのは、四大侯爵家であるカトレアの名を用いることは流石に許されていない。他の名をどうしようかとなったところでモニカのもう一人の両親であるラスペルの名を用いることとなった。

 第二夫人としての立場もあることは当然ながら、ラスペル自体そもそも元は偽名。しかし今では公然の名として知れ渡り、レナトは王女を育てた街として一時人気の街となっていた。

 そうしたことがあり、ヨハンが領地の名を付ける時にラスペルと名付けている。

 モニカの母ヘレンはもちろんのこと、ヨシュアもこの地に引っ越し、辺境伯としてのヨハンの助けとなるよう、日々奔走してくれていた。それがなければ立ち行かない程度にまだまだ土地として安定していない。


(次はなんだろう?)


 時々、嫌がらせのようにこうしてマリンが訪れては無茶な要求を突き付けられる。内容は他の貴族からの招待や、現役冒険者としての依頼もある。

 マリンはヨハンが断れないように王家としての使者でその任に就いているという名目、なのだが、実際はコルナード商会としてレインがこの地に来る時に必ずと言っていい程一緒に来ていた。つまり、レインと一緒に旅行しているのだというのはカレンの見解。


『いいじゃない。そういうことでしか表せられないなんて可愛いじゃない』

『そう、かなぁ?』


 その行動力と奥ゆかしさにカレンは感心していた。

 そんなことを思い出しながら手紙を開けると、思わず目を疑う。


(え? エレナが養子に入る?)


 手紙から視線を上げ、周囲を見るのだが、疑問符を浮かべているのはモニカのみ。


(みんな、知ってるんだ)


 だからこそ、今日この場にこうして集まっているのだと。さっきエレナが話していたこととも合致する。


「…………エレナ、養子に入る家は決まってるの?」

「ちょ、ちょっとヨハン! 養子ってどういうことよ!?」

「モニカ。あんまり大きな声を出すとお腹の子に障りますわよ」

「だ、だって、急な話だから…………エレナはそれでいいの?」

「仕方ありませんわ。その印、正式なお父様からの書面ですもの。恐らく、辺境伯としてのヨハンさんにも先に知ってもらう必要があったのですわね。それにしてもお父様も、わたくしは自分で言うつもりでしたのに」

「それでエレナ」

「ええ。家はテト様のところになりますわ。やはり王家としてそれなりの格の家でありませんと。ですが、まさか現教皇であるテト様のところに養子入りするとは思ってもみませんでしたが」

「そう、なんだ…………」


 流れる沈黙。いつもこの仲間が集まると賑やかこの上なかったのだが、ここに至ってはそういうわけにはいかない。


「お、おいおい! なんだこの湿っぽいのはよぉ。俺たちゃいつも楽しくやってきたじゃねぇかよ」


 沈黙を破ったのはレインの一言。しかしそのレインはすぐに苦痛に顔を歪める。マリンが脇腹をつねっていた。


「すこし、ヨハンさんと二人にしてもらってもよろしいでしょうか?」

「そうね。レイン、あなた丁度街を見たいって言ってたじゃない。行きますわよ」

「そ、そうだけどよぉ」

「わ、私が案内するわ!」


 慌てて立ち上がるモニカ。それでも身体が障らないように気を付けながら。

 三人で連れ立ち部屋を出る。


「じゃあ私馬車を出してもらうよう声を掛けて来るから」


 感情を悟られないよう取り繕うモニカは廊下の奥にいる使用人へ声を掛けに行っていた。そのモニカの背を見送りながらマリンは小さく溜息を吐く。


「あの子も気を遣い過ぎよ」

「しゃあねぇだろ。あいつの気持ちを考えろよ」

「でしたらレインはわたくしの気持ちを考えてくれていますのよね?」

「そ、それとこれとは別の話だろうがよぉ」


 顔を覗き込まれるマリンから視線を逸らすレイン。


「ほ、ほら早く行くぞ」

「ふふ。そういう照れ屋なところも好きよレイン」

「っ!」


 早歩きで前を歩くレインを、口元に手を当てて笑みを浮かべるマリンはすっと振り返った。


「まったく。今回だけですわよエレナ」


 ドアの向こうで二人きりとなった従姉妹へ思いを馳せる。



 ◆



 陽が西に傾き始めた頃、窓から差す光が流れる雲に遮られると僅かな暗闇を生み出していた。


「…………」

「…………」


 ヨハンとエレナ、二人きりとなった後に流れるのは二度目の沈黙。

 声を掛けたいのだが、掛けるに掛けられないのは思い出す記憶が原因。これまで何度となくエレナと二人きりになることはあったのだが、それももう随分と昔のことに感じられるほど懐かしい記憶。

 しかし、最後に二人きりになったのは冒険者学校の卒業式のあの夜。王宮に呼び出された時以来。

 だからこそその記憶が尾を引いて声を掛けることが叶わない。


「本当に、変わりませんわね、ヨハンさんは」


 静寂を突くエレナの声。

 正面に見据えるエレナは先程まで見せていた重苦しい雰囲気はなく、これまで接して来た変わらない笑みを浮かべている。

 それでもその笑顔と重ね合わせるのは、あの夜に見せた笑みと同じに見えたから。余計に胸を締め付ける感覚があった。


「やはり、あの時の、あの雨の夜のことを思い出してたのですわね」

「え?」

「どうしてわかったのか、という顔をしていますわね。それはもちろん決まっていますわ。心を読んだわけでもなければ、ヨハンさんのことを理解しているわけでもありません。なにより、わたくしも、丁度……あの日のことを思い出していましたからですわ」

「……エレナ…………」

「ふふ。そういう時のヨハンさんの顔は面白いですわね」


 いたずら半分に愉し気に笑うエレナの顔もまた記憶の中とそう違わない。だが当時と決定的に変わっていることがある。それは、辺境伯と光の聖女といったそれぞれが高位の地位に就いたことなどではない。それに、五年の月日が経ったことによる、互いに大人へと成長した外見の変化でもない。


 ただ一つ、変わったこと。それはもう既にお互いが別々の人生を歩み始めている、この一点のみ。


 別々の人生を歩む――――元々そのことについては学生時代から時折考えていたことだった。当時は実感が湧かなくとも、それでもそう遠くない未来にその時が訪れるということは理解していた。

 現在の辺境伯としてのヨハン自身の立場は功績によって大きく変化していったことではあるが、冒険者としての活動は描いていた活動とそう大きくは変わらない。内政に秀でた執事長であるイルマニを始めとして、周囲の優秀な人たちに助けられ、領地を不在にして他国へ足を運ぶこともできている。


 だが、エレナは王女という不変の地位がその人生を絞めつける。しかしその境遇を不遇と思ったことなどない。それがエレナ自身に課された役割だと、エレナ自身が誰よりも自覚していた。

 しかしそんなエレナが、唯一自身の立場を一時的にとはいえ捨て去ってしまおうとした一日があった。五年前に。


(…………僕はあの時のエレナの気持ちに応えられなかった)


 今でもそれで良かったと、正直にそう思える。個人的な感情で、ましてや一時の感情で流されるべきではなかったのだと。


(エレナもきっと、そう思っているはず)


 思い返すのは、同意することのできなかった直後に見せたエレナの強がりの笑み。先程思わず重ね合わせてしまった五年前の笑み。あの――――冒険者学校を卒業した日の夜。


『――…………わたくしを、抱いてください』


 日が暮れだした頃より降り出したどしゃ降りの雨音が、小さく発せられたエレナの声を掻き消してしまいかねなかったのだが、ヨハンの耳にははっきりと聞こえていた。

 外の大雨があってよかったのだと、地面を大きく叩く雨音がなければこの空気がより重たい空気へと変わっていたはず。

 エレナと二人きりでいることにこれほどどう答えたらいいものなのかわからない問い。


『エレナのことは、好き、だよ』

『だったら! だったらこの身体を抱いてくださいませ! 今日! この日にっ!』


 (せき)を切ったように言葉へ変えるエレナの目尻には必死に堪えながらも微かに涙を浮かべているのがはっきりと見えた。


『だけど、僕たちはそういう関係になってはいけないんだよ』


 ヨハンの言葉を受けてほんの、ほんの一瞬目を見開いては怯み、聡明さ故にすぐにその返答の意味を理解する。そのまま次の言葉を発する瞬間、目を見開いた。


『でしたらっ! でしたらわたくしもモニカのようにヨハンさんのところに行かせてくださいませっ!』

『それは…………――』


 だが、言葉にはしたものの、答えはもうわかっている。


『いえ、何も言われなくとも大丈夫ですわ。わかっていますもの。ヨハンさんはこう考えていますのよね? 正式に、公的ではなくとも、実質的には第二王女の立場となったモニカがヨハンさんのところに行くことになったのですもの。であれば第一王女であるわたくしが同じようにヨハンさんの行けるはずがありませんわ』


 言葉の通りではあるが、それ以外にも理由がある。

 エレナの王女としての使命感を一緒に過ごした日々で理解しているからこそ。


『でしたら、わたくしは王女という身分を捨ててもかまいませんわ。だからヨハンさんの側にいさせてくださいませ』


 矢継ぎ早に言葉へ変えるエレナ。


『――……でもそれは、誰よりもエレナ自身がそんなことできないって、知ってるはずだよ。僕よりも、誰よりも、エレナが』


 わかりきっていた答えをゆっくりと口にすると、一瞬、ほんの一瞬だがエレナは自分自身がどれだけ取り乱していたのかを理解したかのように、呆気に取られてはすぐに表情を落とす。


『そぅ……ですわね。ヨハンさんの言う通りですわ』


 時には一時の感情で突拍子もないことを口にすることがあるのかもしれないが、ここでエレナを抱いても後悔するのはエレナ自身。自分自身の立場を、役割を正確に客観視できるからこそ、個人の感情を押し殺して国の為に奉仕することができるのだから。


『ですがヨハンさん。わたくしは後悔はしていませんわ。今日、この大事なこの日に伝えておかない方が後悔していますもの』

『うん。やっぱりエレナはその方がいいよ。意外なところで強気で、時には意地悪なところもあるけど、全部がエレナらしいし、可愛いと思うからさ』

『ほんとう、ヨハンさんは最後まで優しいですわね。そんなこと言われたら忘れられなくなるではありませんの』

『僕は忘れられないよ。こんなにも素敵な女性が僕のことを好きになってくれたんだってことを』

『ありがとうございます。ではヨハンさん、これから別の人生を歩むことになりますがお互い頑張りますわよ。ヨハンさんも辺境伯ともなればもうそれほど自由はありませんから覚悟していることですわ』

『……わかってるよ。エレナも、活躍を期待しているよ』

『当然ですわ。わたくしはただの一国の王女ではなく、国を股に掛けて聖女を務めるのですもの。存分に課された役目を果たしてみせますわよ。ヨハンさんに今日のこと、わたくしを抱かなかったことを必ず後悔させてみせますわ』

『ははは。そうだったらいいね』

『…………では』

『…………うん』


 あの日の別れ際に見せた強がりの笑み。強がりだということはヨハンが一方的に思っていただけなのだが、間違いはないと断言出来るのは、僅かに席を外していた後に見せたエレナの充血した目。腫れないよう、擦らずに必死に涙を鎮めたのだろうと推測できるその目。これだけ好意を寄せてくれているというのに応えられないもどかしさ。葛藤がないわけではなかった。後悔がないかといえば嘘になる。しかし一時の感情に流されなくて良かったと思えるのも本音。


 そうしてそれから互いが歩いて来た道。王女と聖女、冒険者と辺境伯、新しい人生を歩み始めた二人。時折顔を合わせることもあれば、その評判を耳にすることもあるが、あの日以来エレナと二人きりになることはなかった。


(だから、エレナは受け入れているんだ)


 あの時と変わらない自身へ課された役割の遂行。今こうして突き付けられた他国への養子へという新しい人生、そして婚約するという(みち)を。選択することを決して許されない、束縛された立場がもたらす新しい人生の転機、を。


「……後悔、していますか?」

「え?」

「あの時、わたくしを抱かなかったことを」

「そんなこと、そんなことないよ」


 僅かに抱いた後悔を、悟られることなく隠してみせる。


「あら残念ですわね。これでもあれから成長したと思いますのよ?」

「うん。素敵な女性に成長してるよ、エレナは」

「…………凄いですわね。ヨハンさんもそういうことが臆面もなく言える様になりましたのね?」

「まぁ僕も成長してるしね。いつまでも子どもじゃないさ。かわし方も上手くなったよ」

「それはそうしてもらいませんと困りますわ。なにせ、わたくしを振ったのですからね」

「うん。あとさ、どんな人とエレナが結婚するのか僕にはわからないけど、僕は、エレナが幸せになるのを祈ってるよ」

「ありがとうございます。ですが、もしそれがとんでもない悪人だったら助けてくれますの?」

「大丈夫だよ。テト様がエレナにそんなことするわけないよ」


 教皇テトのエレナ評は相当なもの。以前会談した時、テトが話していたエレナの国内に於ける評判が想定以上なのだと嬉し気に語っていたことを思い出す。


「それに、エレナもそれぐらいは上手く運んでるでしょ?」

「あら? さすがはヨハンさんですわ。よくご存知で。そんじょそこらの男にはこの身体を差し出しませんわ」

「うん。それでこそエレナらしいよ」

「では、わたくしが選んだ男性であれば、どんな方でも信用してくださる、とヨハンさんはそう言われるのですわね」

「そうだね。エレナのことは信用も信頼もしているから、心配はしてないよ」


 はっきりと、そう断言できる。


「…………ヨハンさん………………」


 互いに見つめ合う笑みは、もうあの夜に見つめ合った笑みとは大きく異なる。


「じゃあ僕たちもそろそろ」


 ドアの方に振り返り、モニカ達の下へと向かおうとする。


「言質、取りましたわ」

「なにか言った?」

「いえ。ヨハンさん、それよりも、こちらをご覧くださいませ」


 振り返った先にいるエレナはまるで以前と同じようないたずら顔の笑みを見せていた。差し出されているのは片手であり、伸ばした指先に握られているのは封がされた小さな封筒。


「これって?」


 どうにも疑問が浮かぶのは、封入されている蝋に記された印がシグラム王家の印。


「あれ?」


 先程マリンがヨハンへと渡したものと同じなのだが、それをどうしてエレナが持っているのか。


「えっと……?」


 ニコニコとしているエレナから受け取ったのだが、エレナはヨハンがどうするのかと見ているのみで他には何も言わない。


「……開ける、ね?」

「ええ」


 短いやりとりを挟み、ゆっくりと封を開けると、中に入っているのは一枚の紙。

 その中に書かれているのは文章としてはとても短く、要領を得ないものだった。ただ、要領を得ないまでも内容だけは理解できる。


「あの……なんていうか、おめでとう、エレナ」

「ありがとうございます」

「……?」


 未だにニコニコとしているエレナ。小首を傾げてもう一度視線を手紙へと落とす。何か見落としがないのかと。

 しかしわからないのは、これがどうして封に入ったままなのかということ。ただ間違いなく自分宛には違いない。


「まだ、性別はわからないんだよね?」

「テト様によれば、男の子だそうですわ」

「…………そうなんだ…………あっ!」


 そこでようやくエレナの笑みの理由を理解した。


「良かったね!」


 ガシッと手を握ると、僅かに顔を赤らめるエレナ。


「だからエレナが養子に行くことができるんだ」

「……ええ。そうですわ。その通りですわ」

「そっかぁ。エレナとモニカに弟かぁ」


 もう一度手紙を見る。手紙の差出人はシグラム王国の国王であるローファス・スカーレット。


『いまジェニファーのお腹には赤子がおる。もうすぐ生まれるお前とモニカの子と同じ歳だが、叔父と甥の関係になるな。それにこれでお前の子が王家に入ることはなくなった』


 ただそう書かれていただけ。


(でもなんだろこの違和感)


 しかし、一つだけ疑問に思うのは、追伸で書かれていたこと。微妙に引っ掛かる。


(半分だけ、ですわね)


 エレナは考え込んでいるヨハンの顔を見つめながら、先程のヨハンの導き出した答え『養子に入れる』といったことが正解の半分にしか達していないことが面白くて仕方なかった。

 しかし感情を抑え、真っ直ぐに手紙の内容について思案しているヨハンを見る。


「どういうことだろう、これ?」


 追伸に書かれているのは『アトムの野郎によろしく言っておいてくれ。顔を見るとまた殴ってしまう』とだけ。

 思い返すのは、モニカを第二夫人として正式に娶ることが決まった日、二人して酒を飲んでは大喧嘩していた。

 アトムとローファス、出会った当初は仲が悪かったのは二人を昔から知る人であれば誰もが知るところ。それが後に親友とまでなったのが、次には互いの子が結婚して親戚となったのだから。昔話に華を咲かせていた時に罵り合ったことがきっかけ。


「あれ? 二人以外に誰もいないの?」


 そこでガチャとドアを開け、入って来たのは綺麗な銀髪を編み込んでいる女性。


「あっ、カレンさん、いまみんなを探しに行こうって思ってたんですけど……」

「ふぅん、そうなの? にしても久しぶりねエレナ。任期が終わったから会いに来たのよね?」

「ええ。それと、挨拶に、と思いまして」

「いらないわそんなの。それよりもキャロルはもう見た? おっきくなったでしょ?」

「ええ。将来はカレン姉さんに似て、美人になると思いますわ」

「そうなの。親ばかって思われるかもしれないけど、キャロルは顔立ちがいいもの…………って、いま、なんて言ったの?」

「美人さんになると言いましたが?」

「ちがうわ。その前よ」

「はい?」

「ごめんエレナ、僕にもエレナがカレンさんのことを()()()と言ったように聞こえたんだけど?」

「言いましたが? それが何か?」

「「…………」」


 さも当然のように言い放つ理由がまるで見当たらない。いったいどういうことなのか。

 疑問符を浮かべながら見つめ合うヨハンとカレンを見て、エレナは小さく口角を上げる。


「あー、でもわたくしの方が姉のはずなのに、これからはモニカを姉として見なければいけませんのね。まったく嘆かわしいですわ。カレン姉さまならまだしも、それはさすがに少しだけ抵抗がありますもの」

「「え?」」


 同調するヨハンとカレンの声。


「あっ、でもニーナを姉と呼ばなくて済んで助かりましたわ。さすがにそれは勘弁願いますわね」

「あ、あのさエレナ」

「ちょっと、それって」


 カレンとモニカのそれぞれを姉と呼ぶ理由。しかも極めつけはニーナを姉と呼ばなくて良いと言った理由。共通することはあのことしかない。


(ちょ、ちょっとまって、ど、どういうこと?)


 動揺を隠せない。ニコリと微笑むエレナが何を考えているのか理解できない。

 ヨハンの父アトムとニーナの父リシュエルの間で交わされたのは婚約。シグラム王国にしてもそれ自体はヨハンが辺境伯の地位に就いたことでニーナとの婚姻はいくらか黙認されてはいるのだが、ローファスとラウルから突き付けられた条件がある。

 それは、カレンとモニカ、二人の間にそれぞれ子ができた後にして欲しい、と。


 条件をつけなければならないのはそれぞれ国家的な事情が絡むせい。二国の皇族と王族、それぞれが嫁いだ先で、たとえ竜人族とはいえ第一夫人と第二夫人である二人よりも先に第三夫人になる予定のニーナに子が出来たとなれば明らかに問題視されるのだと。


『それぐらいはかまわない。反故にさえしなければな』


 人間のしがらみをめんどくさそうにしていたリシュエルなのだが、条件自体は容認している。リシュエルからすれば、アトムと交わした約定が違えることなく遂行されるのであれば婚期や地位など二の次。むしろどうでもよかった。


「そういうことですので。では、これからお世話になりますわ。あ・な・た」


 そっとヨハンに口づけを交わすエレナ。あまりにも突然のことで身じろぎひとつ取れずにエレナの唇を受け入れる。柔らかな唇の感覚が離れると、目の前には恥ずかし気な顔をしていながらも、どこか勝ち誇った顔をしているエレナ。


「さぁて。ようやく、よぉやくこの時が来ましたわ。次は、きちんと抱いてくださいませ、ヨハンさん」

「あ、あの、どういうこと、なの? エレナ」


 まるで理解が追い付かない今の状況。


「カレンさんはわかりましたか?」

「……わかるわけないじゃない」


 ついさっき顔を合したところ。その前にどのような会話が交わされたのかも知らない。しかしそれよりも気になる言葉がエレナから放たれたことを聞き逃すカレンではない。


「それよりもヨハン? エレナ? さっきのどういうことよ?」

「さっきのって?」

「決まってるじゃない! 次は抱いてって言ったことに決まってるでしょ! 次はってことは、前があったんでしょ!? 抱く抱かないになる状況がっ!」

「あら、互いの情事に口を出すだなんて、こういう場合の暗黙の了解を知らないのかしら?」


 複数の女性を娶る貴族の場合、夜の営みに探りを入れることは禁忌とされている。


「し、知ってるわよ!」

「でしたら、第一夫人は品位に欠けますわねぇ」

「ち、違うじゃない! 正式に認められていない場合は、う、浮気になるじゃない!」

「そうは言われましても」


 顎に指を一本持っていくエレナは素知らぬ顔をする。


「あ、あなたねぇ!」


 怒りに肩を震わせた瞬間、ポンと姿を見せる小さな妖精。


「そうだよカレンちゃん。カレンちゃんももう良い大人なんだから、ヨハンの浮気ぐらい多めに見てあげなよ」

「突然出て来たくせに何言ってるのよティア!」

「久しぶりねティア」

「そうだねエレナ。見たところ、前よりも精霊力が漲ってるね」

「ええ。この地に貢献できるように、これまで磨き上げてきましたもの」

「無視しないでよ二人とも!」


 その様子を見て、苦笑いすることしか出来ないヨハン。


「…………ははは。変わらないなぁみんな」


 つい数十分前にあった重苦しい雰囲気がどこにいったのかと思う程の賑やかさ。まるで学生時代に戻ったかのような雰囲気。


「ヨハンさん、先程確かに言いましたからね。忘れないでくださいませ」

「僕が言ったことって?」

「わたくしがどんな男性を選んでも信用し、幸せを祈っているといったことですわ」


 確かにそう言っている。すぐに思い出せる。


「わたくしの幸せは、あなたと一緒にいることですわ」


 照れながら言葉にする様に、思わず見入ってしまう。


「これは、どうやらしっかりとやられたようね」


 開いたドアの外から部屋の中を見ている四人。モニカとレインとマリンにテト。


「ああ。わたしも驚いた。まさかそんな方法を取るとは思ってもなかったのでな」


 モニカとレインとマリン、街へ出たところでテトに会い、その時にエレナの思惑、そうなった経緯をモニカは聞かされていた。


「しっかし逞しいなエレナも。ってか、それならこんな回りくどいことせんでもいいじゃん」

「女の子はそう素直になれませんのよ。本心を隠して生きることに長けていますもの。特にエレナは」

「マリンさん、それ……」

「ま、まあいいじゃん! これでまた楽しくなるじゃねぇか」


 モニカが言葉を発するよりも前に慌てて口を挟むレイン。

 マリンの気持ちを知りながらも答えをはぐらかす様を見て溜め息しか出ない。本当にいつまで経っても意気地がないのだと呆れる始末。


(でも、これで良かったのかも)


 レインの相変わらずさはさておき、ゆっくりとお腹をさするモニカは部屋の中へと視線を送る。

 ここに戻るまでにテトから聞いた話によると、パルスタット神聖国、引いては教皇であるテトの下へ養子に入るといったのはエレナ自身。それもシグラム王国からの連絡を受けて数日後のことなのだと。


『これしか、わたくしが彼と添い遂げる方法はありませんの。ご協力、よろしくお願いしますわ』

『しかしだな』


 迷いを抱くのは、パルスタット神聖国に於いて最終決定権を持っている教皇とはいえ、さすがに独善的過ぎるのではないのかと考える。だがエレナの言い分も尤も。筋が通る。

 シグラム王国の王家でもあり、これまで光の聖女として多大な貢献を果たしたエレナを養子に取るということは、国家的にも利が大きい。既に民心を大きく集めているエレナを、任期を終えただけで手放したともなれば反感も買う。今や押しも押されぬ光の聖女。


 そんな中でエレナから持ちかけられた先の提案。


『わたくしがテト様の養子となり、彼の英雄と婚姻を結びましょう。カサンド帝国の第一夫人カレン・エルネライ。第二夫人であるのはモニカ・スカーレット。残念ながらその次とはなりますが、第三夫人であれども彼の英雄、引いてはその子らも含めて三国に多大な利をもたらすと約束しましょう』


 彼の英雄――S級冒険者ヨハン・カトレアの名は国内でも大きく知れ渡っている。


『うむぅ、わたしとしても反対する理由がないのはない』

『では決まりですわね』


 パルスタット神聖国の国境線のすぐ向こう側、シグラム王国の若き領主というだけでなく、聖都パルストーンを救った英雄。その一件以降も多大な功績を残し、大きく知れ渡る武勇伝。その冒険者としての活動だけでなく、当人を囲う血縁や幅広い人脈。もはや生ける伝説とも呼ばれる人物。

 その英雄と教皇の養子が婚姻ともなれば国民の関心度は相当なもの。それが元光の聖女ともなれば尚更。


(まったく。上手くやりおってからに)


 シグラム王に男児が生まれるために養子に入ることができるといった、表向きの正当な理由。両国の友好の証としてこれほどのものはない。しかしそれだけでなく、個人的な裏面の理由を見事に重ね合わせたエレナの計略。

 自身がパルスタット神聖国で築いた聖女としての立場を損なうことなく、愛しい想い人と添い遂げるのだという目的まで辿り着いたのだから。


(女は強し、といったところだな)


 聖女が国の要であるパルスタット神聖国であればこそ、テトからすればエレナのその行動力と決断力を感心せずにはいられなかった。


「ふむ。どうやら込み入った話になるようだな。ではまたの。わたしからすれば、クリスをもらってやって欲しかったが、今回は諦めようではないか」


 そもそもテトからしてもヨハンの下へ国の重要人物を娶らせたいという考えはあった。それを見透かされていた気がしなくもないが、エレナの提案がなければ水の聖女であるクリスティーナ・フォン・ブラウンと婚姻させる腹積もりだった。


(すまんなクリス)


 テトは内心でクリスに謝意を抱きながらその場を後にする。



 ◆



 それから約一月。

 晴れ渡る空に響き渡る小さな産声。


「おにいちゃん! 生まれた!?」

「静かにニーナ。もうすぐ会えるから」

「うわぁ! お兄ちゃんとお姉ちゃんの子かぁ! 楽しみだなぁ!」

「ほんに変わらないなお主は」

「ギガゴンは楽しみじゃないの?」

「私は人間と同じような感性を持っているわけではない」

「ちぇ。つまんない」

「ニーナ様、もう少しだけお静かに。では旦那様、準備が出来ましたのでお入りください。皆さまも」

「ありがとうネネさん」


 使用人長であるネネが声を掛けると、部屋の中にはベッドに横になっているモニカと、その横で寝ている生まれたばかりの小さな命。


「抱いてあげて、ヨハン」

「うん。よく頑張ったね、モニカ。ありがとう」

「ふふ。痛みには強い方だと思ったけど、かなりきつかったわ。エレナも覚悟しておくことね」

「わたくしは会えなかった分、まだもう少しヨハンさんとの逢瀬を楽しみますわ」

「まったく。しょうがないわねあんたは。それでヨハン、この子の名前だけど」

「やっぱり男の子だったね。前に決めていた名前でいいよね?」

「ええ」


 ヨハンの腕に抱かれる生まれたばかりの命。


「よく生まれて来たね。これからキャロルと仲良くしてねジェラール。ジェラール・カトレア」


 多くの幸せな笑顔に囲まれ、また一つ、新たな仲間を歓迎する。



 Fin



最後まで読んで頂きありがとうございました。本作はこれにて完結とさせていただきます。

後日談やスピンオフの構想はあるので、追加投稿か次作以降に期待しておいてください。

あとがきを長々と書くのもアレなので細かい後書きは作者マイページの活動報告に載せておきます。興味のある方は一読してみて下さい。


最後に一言。完結の労いを頂けたら素直に嬉しいです。具体的には下↓の評価。(広告の下)

☆☆☆☆☆に面白かった分だけ★★★★★と色を付けていって下されば次作以降の大きな励みになりますのでよろしくお願いします。

既に評価をされている方はありがとうございました。いつも嬉しく思っていました。


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